石川淳は牛肉が大好きで、200グラムのステーキを毎日欠かさず食べた。
朝食は自家製ローストビーフにトーストという洋食スタイルで、パンより厚く切ったバターを付けて食べるのが好きだった。
旺盛な食欲が創作活動のエネルギーになっていたことが分かる。
生涯を独身で通した永井荷風は、戦後の食糧難の時代、ホウレン草とニンジンと大根を千六本に刻んで飯盒で一緒に炊き込んだ五目炊き込みご飯を得意料理とした。
晩年は市川の「大黒家」へ日参し、カツ丼とお新香と酒一合を注文したといわれ、死ぬまで書き続けた日記には「正午大黒屋」の文字が並ぶ。
美食家として知られる立原正秋は、中瓶のビールを一本飲むことから始まった。
その後、地元鎌倉の海で獲れたばかりの魚を朝食にしたが、自家製の梅干しとラッキョウは、必ず食卓に添えられた。
織田作之助の好物は、代表作「夫婦善哉」にも登場する、大阪ミナミ「自由軒」のライスカレー。
「作家仲間と連れだって毎日カレー食べに来てた」と、三代目女主人は回想する。
「しっぽまであんこが入っている」と安藤鶴雄が絶賛した東京四谷「わかば」の鯛焼きは、宇野千代が愛した食べ物でもあった。
三宅一生は何十匹もの鯛焼きを大皿に並べて、千代をアトリエに迎えたという。
食べきれない分は包んで持ち帰り、翌日、フライパンで焼き直して食べるほど、鯛焼きが大好きだった。
夜更けの寿司屋で偶然一緒になった三島由紀夫がトロばかり続けて注文するのを見て、「世間知らずだと思った」と綴っているのは山口瞳。
その三島が好きな食べ物として挙げるのはステーキとグレープフルーツだった。
食べ物に関する文章というのは、どこまで読んでも満腹にならないばかりか、ますます腹が減ってくる。
「作家の食卓」は、多数のグラフィックと関係者の回想で構成された、素晴らしき食への案内書である。
喫茶店でやりたい放題だった森茉莉
森茉莉が頼むのはいつも一杯の紅茶だけ。ミルクも入れずストレートで飲むことが多かったという。あるいは氷入りのコップを別に頼み、そこへスプーン二杯ずつくらい、紅茶をすくって入れては飲む。氷が無くなると「氷だけください」と注文し、タダじゃ悪いから、と五円玉を出した。(森茉莉と「邪宗門」)
代田の喫茶店「邪宗門」は、森茉莉にとって書斎兼応接間のような存在で、原稿を書くのも、点眼鏡で本を読むのも、食事をするのも、すべてこの店で済ませた。
自宅に冷蔵庫がないので、上質のバターや自作のおかずは、この店の冷蔵庫で預かってもらった。
食パンを持ち込んでバターだけ出してもらったり、餃子やコロッケを買ってきて店で食べたりと、まさにやりたい放題だったが、店の主人は彼女のわがままに干渉することなく、放置していたという。
「まるで女学生のお嬢さんそのままの雰囲気でした」という店主の回想は、まさに森茉莉のイメージそのものだ。
読者は、好きな作家の食事を追体験したがるものだが、「氷水に紅茶を垂らして飲む」といのは、ついぞ試してみたことがない。
林芙美子が愛した銀座「洋菓子舗ウエスト」
夜のなごりに愉しい音楽を聴ける茶房と云うものは、かつての巴里の夜を想い出します。目をとめて、心をとめて、あるはひとときのその音色に漂う思い出…。今度ウエストで詩の選をする事になり、この茶房にそのひとときを愛して集る方々から、心の音色を聴ける事は愉しい事です。(「林芙美子『洋菓子舗ウエスト』のリーフパイ」)
ヨーロッパ帰りの林芙美子は、クラシック音楽を流し、文化人が集う店として著名な銀座「洋菓子舗ウエスト」をこよなく愛し、昭和22年の創業以来ウエストが出し続けている投稿の栞「風の詩」(当時は「名曲の夕」)の初代選者も務めた。
芙美子は「ウエスト」のリーフパイが特にお気に入りで、お使い物にも銀座土産にも、必ずこの店のリーフパイに決まっていた。
下落合の純和風住宅で暮らす芙美子にとって、「ウエスト」のリーフパイは、恋多き日々だったパリでの思い出を運んでくれる食べ物だったのかもしれない。
食に思い出あり、食に人生あり。
「作家の食卓」は、食を通して作家の素顔に触れることができる、そんな楽しい本だ。
書名:作家の食卓
発行:2005/7/25
出版社:コロナ・ブックス