チョコレートが文学になるのか?という素朴な疑問を、おいしい文藝シリーズの「うっとり、チョコレート」は解決してくれるだろう。
なにしろ、総勢38人の作家陣によるチョコレート・エッセイがずらりと並んでいる。
どうせ、チョコレート好きの若い女性によるチョコレート讃歌ばかりだろうと思ったら、さにあらず。
執筆陣の名前を見ると、片岡義男や開高健や阿刀田高や浅田次郎や東海林さだおなどといった、正真正銘の硬派なおじさん作家の名前が、しっかりと刻まれていて、チョコレートの魅力にとらわれているのは、世の女性ばかりではないということらしい。
そういえば、女性陣のエッセイを読んでも、ミルクチョコレートみたいに甘ったるいエッセイばかりではない。
「ジャン・ポール・エヴァン」や「ラ・メゾン・ショコラ」が大好きだという女子力高めな渡辺満里奈はともかくとして、一度もバレンタインチョコを渡したことがないという青木奈緒や、36歳にして初めてバレンタインのチョコレートを買ったという角田光代のエピソードは、ちょっぴりビターなチョコレートのような味がする。
通読して感じるのは、チョコレートの話題はバレンタインデーの思い出と強く結びついているということである。
バレンタインデーが近くなった頃にお勧めしたいアンソロジーだ。
よその女にチョコレートをあげない
結婚するとき、夫に約束してもらったことが一つある。これから先、どんなことがあってもよその女にチョコレートをあげない、という約束だ。お花や靴や鞄や装身具ならいいけれど、チョコレートだけは駄目。(江國香織「よその女」)
「よその女になりたい」と、著者(江國香織)は言う。
自宅ではない場所で夫が見せている姿は、「よその女」にしか見ることのできない姿であるからだ。
他の女性と恋愛することを防ぐことはできないけれど、「チョコレートをあげない」という約束だったら守ってもらえそうな気がする。
この瞬間、夫にとってチョコレートは「妻の愛」という呪縛に満ちた、恐るべき食べ物になったに違いない。
チョコレートがなまじ身近な食べ物であるだけに、「よその女にチョコレートをあげない」という愛の誓いは、あまりにも重過ぎる。
幸せの形は切り干し大根で
ちょっと古い話になるけど、二月十四日の夕方に切り干し大根を作った。西友の前を歩いていたら農家のおばさんが道ばたでビニール袋に入った切り干しを売っていて、それを見たら急に食べたくなり、買ってしまった。一袋五十円である。それから近所の豆腐屋で厚あげと豆腐も買った。ここの豆腐屋の娘はちょっと毛深いけれど、割に親切で、かわいい。(村上春樹「聖バレンタイン・デーの切り干し大根」)
家に帰った著者(村上春樹)は早速、切り干し大根の煮物を作って、なますやみそ汁や湯どうふや焼いたはたはたなんかと一緒に夕食にするのだが、食事をしながら、「どうして自分はバレンタインデーに切り干し大根なんか食べているのだろう?」と疑問を覚える。
高校二年生の時には三人の女の子からチョコレートをもらったし、早稲田大学文学部にいた時だって、そういうことはちょくよくあった。
どこかで突然自分の人生は正常な軌道を外れてしまったと、著者は嘆いてみせるが、眼の前には愛する妻がいて、自分の作った切り干し大根を食べている。
バレンタインデーの恨み節のように見えながら、これは幸せで充実した結婚生活を描いてみせたエッセイだろう。
幸せの形がチョコレートから切り干し大根に変わっただけのことである。
それにしても、本書を読みながら、チョコレートほど恋愛と深い絆を有するお菓子はないだろうなと思う。
チョコレートで愛情を計るなんてことはできないんだけどね。
書名:うっとり、チョコレート
発行:2017/1/30
出版社:河出書房新社