庄野潤三の世界

飯田龍太「小さな旅—庄野潤三氏のこと」作品集『絵合せ』と庄野さんのヤマメ釣り

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飯田龍太「思い浮ぶこと」には、「小さな旅—庄野潤三氏のこと」という随筆が入っている。

初出は「『庄野潤三全集』月報8」で、原題は「小さな旅のことなど」だった。

「庄野さんの作品を読むと、私は、自分の健康状態がいっぺんでわかる」という一文から始まっている。

そして、「ながい作品が短く、短い作品がながく、そういうときは身体の調子が上々で、気持が落着いている確かな証拠である」と続いている。

ここで龍太先生が例として紹介しているのが、庄野さんの「絵合せ」という中編小説だ。

龍太先生がこの作品をあっという間に読み終えたとき、裏の竹藪で蜩が鳴いていて、「蜩の鳴いて机の日影かな(子規)」という俳句を思い浮べるくらいに、読後の印象と実にぴったりの雰囲気だったという。

次に紹介されているのは、同じ作品集の中の「仕事場」と「鉄の串」という短篇小説で、「この二篇は、読み終った途端に時間が逆流する。作者の手を離れた人物が勝手に生きかえって、いつまでも残像が消えない」とある。

「ながい作品は豊饒な詩情でつらぬき、短い作品はきびしい散文の搾木にかけるためだろうか」というのが、龍太先生の分析だ。

その上で、龍太先生は「長短いずれにも共通することは、文章に余計な騒音がないことだ」と言う。

「速度があっても動揺がないことである」と言う。

例えるなら、これは昔のプロペラ機と新しいジェット機の乗り心地の違いということになるらしい。

随筆の後半は、初めて庄野さんと旅行をしたときの回想記である。

「昨年の秋、私は初めて庄野さんと小さな旅をした。同行五人、甲州と信州の境の別墅に居る共通の知人を訪ねるためであった」とあるから、昭和48年の秋のことであったらしい。

下界は初秋、別墅は深秋、そこから十分ばかり車で上った広大な原野には、既に初冬の風が吹いていて、「庄野さんは眼を細め、ほのかな微笑をうかべて、飽かず風景に見入っていた」という。

綺羅をつくした雑木林の黄葉、遠く夕靄をまとって烟るように見える落葉松の群々は、鮮明で柔らかく、ゆとりがあって無駄がない。

それは、まるで「庄野さんの作品そっくりじゃあないか」と、龍太先生は思ったらしい。

その夜は、龍太先生がヤマメ釣りの常宿にしているという、釜無川の本流沿いにある鉱泉宿に泊まるのだが、離れの部屋へ向かう狭苦しい急な階段が、尾長鳥のように大仰な音を立てたとき、庄野さんはすかさず「おや、これはいい。ウグイス階段だ」と言った。

小柄な龍太先生でも尾長鳥のような音がするのだから、重量のある庄野さんが歩くと、カケスか椋鳥が一斉にわめき翔ったような音がする。

それでも、庄野さんは、こんな素朴な素晴らしい宿に案内していただいて実に有難い、愉しい旅になりましたと言っていたという。

翌日は近くの養殖場でヤマメ釣りをするのだが、庄野さんの竿にも尺近い大物がかかった。

庄野さんは「両手でしっかりと竿をにぎりしめ、大地に足をつけたその姿は、野球でいうならまさに長打一発という恰好」だった。

やがて、尺ヤマメは庄野さんの手元にゆっくりと寄せられてくるのだが、最後に龍太先生は「釣りばかりではない。庄野さんは、どんな場合でもかりそめにことを進めないひとである」と、この随筆を締めくくっている。

飯田龍太と井伏鱒二と庄野潤三と

本随筆集には、もうひとつ、庄野さんが登場する作品がある。

「風土・十二ヶ月」の中の「栴檀の花」という作品である。

先ごろ、共通の友人の葬儀に参列し、井伏鱒二、庄野潤三両氏と同車しての帰途、車中でそんな話が出た。「しかし、栴檀は双葉より芳し、というあの木は、楝のことではないんだ。…の一種なんだね」と井伏先生がいったが、そのとき、傍らを大型トラックが通り過ぎて聞きもらした。(飯田龍太「栴檀の花」)

龍太先生と井伏さん、庄野さんの関係を思わせる文章だが、これを読んだとき、『井伏鱒二・飯田龍太往復書簡』の中にも、庄野さんの名前が登場していることを思い出した。

何にしても、龍太先生の随筆集は読みやすく、そして、読んでいて気持ちのいい随筆集である。

そういう意味では、井伏さんや庄野さんの随筆集と同じような味わいがあると思った。

書名:思い浮ぶこと
著者:飯田龍太
発行:1981/8/10
出版社:中公文庫

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。