雑文コラム

庄野潤三の小説が村上春樹の小説に似ていなくもないと考える理由

庄野潤三の年譜を作るために、夫婦の晩年シリーズを読み返しているうちに、あることに気が付いた。

晩年の庄野さんの作品は、小説とも随筆とも日記とも判別が付きにくいという作風で、子どもや孫や近所の人々と楽しく交流する様子などを描き、穏やかな生活のスタンダードな形として安定の人気を得た。

暮らしの中の嫌な部分が一切描かれていないというところにフィクション性があるのが、庄野文学の特徴である。

今回、年譜を作りながら気が付いたことは、その穏やかな暮らしの中に、文化的な話題が非常に多く含まれているということである。

例えば、庄野夫人はピアノのレッスンに通っているから、妻の弾くピアノ練習曲の紹介が、作品の中には頻繁に登場する。

『ピアノの音』は、妻が弾くピアノの音が作品名になっているし、『せきれい』は妻が練習するプルグミュラーの曲名が作品名になっている。

さらに、夫婦は一緒に古い唱歌や童謡を歌って「いい歌だなあ」「いい歌ですね」と共鳴し合うが、そのとき、作詞や作曲を担当した人物のプロフィールに触れることも多い。

気になる曲があったとき、庄野さんは専門家である友人の阪田寛夫へ手紙を出して、その来歴などを訊ね、阪田さんからの詳しい返答を作品の中で紹介したりする。

庄野夫妻が好んだ「狐になった奥様」(ガーネット・岩波文庫)庄野夫妻が好んだ「狐になった奥様」(ガーネット・岩波文庫)

子どもや孫たちと仲が良いのは庄野家の特徴だが、誕生日のお祝いなどでは本をプレゼントすることが多い。

幼いフーちゃんに「ドリトル先生物語」を買ってあげたときには、次男が子どもの頃に読んだ井伏鱒二訳(岩波少年文庫)のドリトル先生物語集の思い出に触れ、「こんなに良い作品を読むことができるのは、石井桃子さんと井伏鱒二さんのおかげですね」と、妻と喜ぶ。

さらに、自分でも読もうと久しぶりにドリトル先生の本を買ってきた妻は、面白かった部分を庄野さんに話して聞かせて、庄野さんはそれを作品中で紹介する。

妻が読んでいる小説の内容を、妻の話を通して紹介するのは、夫婦の晩年シリーズにおける定番的なテーマのひとつである。

ガーネットの「狐になった奥様」の話を、妻が身振りを交えて説明する場面では、自分も昔サラリーマンをしていた頃に、職場で「狐になった奥様」の話を、身振りを交えながら紹介したものだということを回想している。

庄野夫妻は宝塚が好きだから、年に何度も公演へ出かける。

舞台の内容は作品の中で紹介され、デイモン・ラニアンのように、原作小説にまで話が展開していくこともある。

近所の団地で暮らす清水さんは、いつも美しい薔薇の花を持ってきてくれる人で、庄野さんは「エイヴォン」という薔薇の名前から『トム・ブラウンの学校生活』という古い小説の一場面を思い出し、その内容を作品の中で紹介してみせる。

庄野さんの父も高く評価していたといデイモン・ラニアン「ブロードウェイの天使」(新潮文庫)

家族や友人と美味しいものを食べに行けば、その店は井伏鱒二や小沼丹など、親しい友人たちと通った店で、こんなときには仲間たちの作品の話に及ぶことが多い。

庄野さんの書籍が刊行されたときには、妻や子どもたちもその作品を読み、どこそこの場面が良かったですね、などと感想を述べる。

時には、庄野さんの古い小説の話になって、家族全員が若かった頃の思い出話へと繋がっていくこともある。

暮らしの中に文学を中心とする文化的な話題が満ち溢れていて、つまり、それが庄野一家の日常生活である。

穏やかな日常生活を綴ったものが、そのまま文化的教養を広げる作品として優れたものになっているのだ。

僕は、こうした文化的教養度の高い一連の作品群が、庄野さんの人気の秘密ではないかと思っている。

文学や音楽に興味関心のない人が、庄野さんの作品を読んでも、きっと楽しくないのではないか。

それは、庄野さんの作品が穏やかな日常を描いているからつまらないのではなくて、穏やかな日常を構成する文学や音楽などのマテリアルが精神的肉体的に受け付けないからだ。

そういう意味で、庄野さんの小説は、実は村上春樹の小説に似ていないこともない

作品の舞台は大きく異なっているのに、それぞれが優れたファンタジーワールドを描いているということも、二人の共通点だと思う。

庄野さんの作品を何度も繰り返し読んでいるうちに、そんなことを考えるようになった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。