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「片岡義男と一緒に作ったブルータス」1981年に残された伝説の特集

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」1981年に残された伝説の特集

ブルータスのバックナンバー「片岡義男と一緒に作ったブルータス」を読みました。

いろいろな意味で「THE 1980年代」が満載です。

書名:ブルータス(No.17)
著者:
発行:1981/4/14
出版社:マガジンハウス

作品紹介

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」は、雑誌「ブルータス」1981年4月15日号(通算17号)の特集タイトルです。

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」「片岡義男と一緒に作ったブルータス」

特集記事「片岡義男空間を遊ぶ」の冒頭に、「ブルータスは、この特集を片岡義男といっしょになって作った。これはまったく新しい試みだった。それは楽しい作業だった。片岡義男空間は一つの共和国だ。私たちはその国へのパスポートをここで作った」と、本特集の概要についての説明があります。

一人の小説家が雑誌編集に関わる。

1980年という時代において、片岡義男さんの持つ存在感がいかに大きかったかということを感じさせてくれる、すごいエピソードだと思います。

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」コンテンツ「片岡義男と一緒に作ったブルータス」コンテンツ

編集後記「さようなら玉川学園、さようなら銀座<ブルータス>」(宝謙二)を読むと、「小田急線の玉川学園こそが、この<ブルータス片岡義男空間を遊ぶ>号のキーワードなのだ」とあり、ともに玉川学園で暮らす片岡義男さんと宝謙二さんの「玉川学園派」が、ブルータス「銀座派」と一緒になって作ったのが、この特集号だったそうです。

(主なコンテンツ)《片岡義男空間を遊ぶ》片岡義男がマウイ島空間で遊んだエッセイ「彼はこうしてラハイナ・ボーイにならずにすんだ」/林道を走り去る万沢康夫「オレと息子とオートバイ」/黒川邦和構成の、小説空間から片岡義男ファッションをポラロイドを使って取り出した「ブラック・コーヒーに洗いざらしのコットンを合わせる」///《ブルータスの片岡義男”白書”》鏡明、亀和田武、篠沢純太の「片岡義男の読み方」シリーズ/片岡義男の文章をコラージュしてまとめた、片岡義男の自伝、殺人百科、用語辞典、スーパーマーケット案内/そしてまた片岡義男のパートナー、温水ゆかりのスケッチ///《小説》「約束」片岡義男///《1ドル19セントのノートブックから片岡義男の不思議世界が広がる》片岡義男のスリー・リング・バインダーを見るのは楽しい/そのノートをもとにして『ブルータス』と片岡義男はいっしょになって24ページを作った/朝倉学から理想的なクルマの持ち方、月、光にいたるまで広がる片岡義男空間

なれそめ

僕はマガジンハウスの雑誌が大好きです。

片岡義男がマウイ島空間で遊んだエッセイ片岡義男がマウイ島空間で遊んだエッセイ

毎号欠かさず読んでいるのは「ポパイ」「ブルータス」「アンド・プレミアム」「ブルータス・カーサ」で、特集によって読んでいるのが「ターザン」「アンアン」「クウネル」「ギンザ」「クロワッサン」で、早い話、空き時間があるときには、とにかくマガジンハウスの雑誌を見ていれば安心するというタイプの人間なのです。

だから、古本屋でマガジンハウスの古いバックナンバーを発見したときは、割合にパッと買ってしまうのですが、本号「片岡義男と一緒に作ったブルータス」は、表紙だけで即決して購入してしまいました。

ブルータスの片岡義男さん特集、おもしろくないはずがありませんからね。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

店先で選ぶのは女の買い物、メール・オーダーこそ男の買い物

ぜいたくなんか、しなくていい。余計なものもいらない。日常的に使うものとして、必要にして充分なできばえであえあってくれたら、それでいい。できるべきところがちゃんとできていればいい。そして、じっとディテールを観察しても、やがて悲しくなってくるような貧しささえなければ、それ以上なにも望まない。日常的な道具とか持物、衣服などをこの方針で買うとするなら、店へ出かけて行く手間も必要ない。カタログを見てメール・オーダーで買えばそれですむ。(片岡義男「店先で選ぶのは女の買い物、メール・オーダーこそ男の買い物」)

ヘミングウェイは店で買い物をすることが大嫌いだったそうです。

メール・オーダーこそ男の買い物メール・オーダーこそ男の買い物

女性差別主義者(セクシスト)のヘミングウェイは、店先で品物を手に取って、あれこれ悩んだり、じたばたと店員に相談したり、あげくの果てに値切ったりするというようなことは、女のすることだと考えていたんだとか。

大藪春彦さんや片岡義男さんは、アメリカの「エディー・バウアー」や「L.L.ビーン」から、メール・オーダーで直接買い物をしています。

メール・オーダーというのは、カタログを見て気に入った商品を手紙や電話で注文をするシステムのことで、ロクな商品も置いていないような田舎が多かったアメリカでは、歴史的に特に発達してきたんだとか。

もっとも、メール・オーダーで買えば、何でも男らしいのかと言えば、もちろん決してそんなことはなくて、「やっぱり男っぽいものを買わなくちゃだめだ」「たとえ年に1、2回しかアウトドアに出て行かないとしても、アウトドア用品は男の生活にある種の緊張と夢を与え続けてくれる」「パパ・ヘミングウェイ、あるいは大藪春彦、片岡義男にならって、がっちりとしたアウトドア用品を買いたい」と、宝謙二さんは指摘しています。

メール・オーダーの方法については、詳しい解説が掲載されていますが、インターネットでのオンラインショッピングが定着した現在から見ると、かなり複雑で時間と手間のかかる買い物だったように思われます。

その手間を楽しむことができるのも、男性ならではなのかもしれませんね。

四つ玉やるんだろ。ぼくはプール以外、やらないんだ

もう10年近くも前、ぼくと友人の一人が、ビリヤードをやろうと渋谷を歩いていたことがあった。偶然、片岡義男と出会ったぼくらは、いっしょにやりませんかと言った。すると片岡義男は答えたものだ。「四つ玉やるんだろ。ぼくはプール以外、やらないんだ」(鏡明「片岡義男の読み方『ぼくはテディが大好き』」)

どうして、片岡義男さんの「四つ玉やるんだろ。ぼくはプール以外、やらないんだ」という台詞が印象的だったのか。

「ブラック・コーヒーに洗いざらしのコットンを合わせる」―言葉がいちいち魅力的だ「ブラック・コーヒーに洗いざらしのコットンを合わせる」―言葉がいちいち魅力的だ

鏡明さんは、その理由について「日本人がポケットとも、ローテーションとも言わず、そのゲームをプールと呼んだのを聞いたのは、それが最初で、最後だ」ったからと説明しています。

かつて「テディ片岡」という名前で雑誌にコラムを書いていた片岡義男さんについて、鏡さんは「どこか日本産じゃないところがある」と感じていたそうで、ビリヤードのポケットゲームを「プール」と呼んだ時にも、そんなことを感じたのかもしれませんね。

ちなみに、テディ片岡の小説は「1970年代の初めに『テディ片岡ゴールデン・デラックス』という分厚いペーパーバックにまとめられている」そうですが、1980年当時で既に「もちろん、今では、手に入りやしない」と書かれています。

いつか読んでみたいと思いました、テディ片岡の作品。

コーヒー・ブラウンの小さなショーツをつけているだけで、あとは裸だった

寝がえりを打った彼女は、丸めて胸に抱いていたコットン・ブランケットを、両手で前へ押しやった。ブランケットは、ベッドの端から、ゆっくりフロアに落ちた。彼女だけが、シングル・ベッドのうえに残された。コーヒー・ブラウンの小さなショーツをつけているだけで、あとは裸だった。(篠沢純太「片岡義男の用語の中に片岡義男の世界が見える。ブルータス版用語辞典」)

「片岡義男には片岡義男独特の言葉使いと用語がある」と指摘する篠沢純太さんの構成による「ブルータス版の片岡義男用語辞典」。

「ブルータスの片岡義男白書」は片岡義男入門にぴったり「ブルータスの片岡義男白書」は片岡義男入門にぴったり

「ペーパーバック」とか「万引き」とか「シティ・ボーイ」とかいう言葉が、片岡さんの作品の中でどのように使われているのかを検証する見開き2ページの特集記事で、フィーリップ・マーロウ辞典やシャーロック・ホームズ辞典のように、片岡義男さんの描く世界が見えてきそうな、すごく大好きな特集です。

「ショーツ」という項目では、他にも「彼女が身につけているのは、濃紺の小さなショーツと白い長袖のスエット・シャツだけだった」「タオルで髪をふき、体をきれいにぬぐった。まっ白い、お気に入りの小さなショーツだけをはいた」などが引用されていますが、どの場面にも性的な印象が出てこないのは、片岡さんのさらっとした文章のせいだと思われます。

ショーツに限らず、片岡さんの文章はできるだけ感情を排した形で書かれていることが多く、主観を抑えた文章はまるで観察記録や評論のような趣さえ感じさせます。

「淡々として渇いた文体こそが、片岡義男的である」とさえ言えるし、クールな文章で描かれる情景の中から人間的なドラマを感じることこそが、片岡義男作品の醍醐味であるとも言えるのです。

ああ、久しぶりに、片岡義男さんの小説を読みたくなってきました(笑)

読書感想こらむ

「片岡義男のファンだったら、絶対に読むべし」というのが、この雑誌を読んだときの最初の感想です。

片岡義男さんのスリー・リング・ノート片岡義男さんのスリー・リング・ノート

考えてみると、40年も昔の雑誌なのに、全然古典になっていない。

むろん、カルチャーアイテムはきっちり40年分時代遅れなんだけど、「片岡義男的」なものは、全然古くない。

むしろ、その後の40年間で片岡義男が辿ることになる道のルーツがそこにはあって、しかも、2020年から逆算して考えたときに、片岡義男は全然ブレていなかったんだと思えることが、ほとんど驚異です。

きっと1980年には、片岡義男さんというのは、ある意味で「トレンドの作家」だった思われるのですが、その後の1990年代にも2000年代にも2010年代にも、片岡さんはあくまでも「片岡義男的」のままに時代を超えてきたわけで、実は「トレンド」とかそんなこととはほとんど関係なかったのではないかとさえ思われます。

かつて「こうしか書けない片岡」略して「KKK」と呼ばれていたという片岡さんですが、自分だけの世界を創り上げ、その世界を積み重ね続けてきた歴史は偉大ですよね。

まとめ

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」は、片岡義男さんのファンだったら、絶対に読んでおくべき特集です。

平凡な一瞬の情景から、いかにして非凡な物語を作るか平凡な一瞬の情景から、いかにして非凡な物語を作るか

片岡さんの小説やコラムも、たくさん読むことができますよ。

著者紹介

片岡義男(小説家)

1939年(昭和14年)、東京生まれ。

1974年(昭和49年)、「白い波の荒野へ」でデビュー。

「片岡義男と一緒に作ったブルータス」刊行時は42歳だった。

ABOUT ME
じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。