日本文学の世界

竹山道雄「ビルマの竪琴」仲間の死を弔うために若者は還らなかった

竹山道雄「ビルマの竪琴」あらすじと感想と考察

若き日本兵は、なぜビルマから還らなかったのか。

故国を想う気持ちと同胞への弔い。

戦後児童文学永遠の名作。

書名:ビルマの竪琴
著者:竹山道雄
発行:1959/4/15
出版社:新潮文庫

作品紹介

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「ビルマの竪琴」は、ドイツ文学者・竹山道雄による児童文学小説です。

1947年(昭和22年)3月から1948年(昭和23年)2月にかけて、児童雑誌「赤とんぼ」(実業之日本社)に連載された小説を、1948年(昭和23年)10月、中央公論社から書籍化されました。

1948年(昭和23年)に毎日出版文化賞、1950年(昭和25年)に文部大臣賞を受賞しています。

書籍化直後、「主人公のモデルは、自分の身内ではないか」との問い合わせが、読者から相次いだそうですが、著者はあとがき「ビルマの竪琴ができるまで」の中で、「あの物語は空想の産物です」と明記しています。

また、物語の舞台がビルマであることについて、「最初には、シナの奥地のある県城というつもりでした」「合唱による和解という筋立ては、場所がシナではどうもうまくゆきませんでした(日本人とシナ人とでは共通の歌がないのです)」「相手はイギリス兵でなくてはならない。とすると、場所はビルマのほかにはない」と綴っています。

物語では、戦後当時のビルマの様子が詳細に描写されていますが、「私はビルマに行ったことがありません。今までこの国には関心も知識もなく、敗戦の模様などは何も報じられなかったのですから、様子は少しも分かりません」とあるとおり、ビルマ文化について多くの誤りがあることも指摘されています。

(目次)第一話 うたう部隊/第二話 青い鸚哥(インコ)/第三話 僧の手紙///ビルマの竪琴ができるまで/あとがき/解説(中村光夫)/『ビルマの竪琴』余聞(平川祐弘)/注解(牛村圭)/楽譜「荒城の月」「朧月夜」「巴里の屋根の下」「埴生の宿」「蛍の光」「春爛漫の花の色」「秋の月」「からたちの花」「野なかの薔薇」「嗚呼玉杯に花うけて」「庭の千草」「故郷の空」「都の空に東風吹きて」「あふげば尊し」「海ゆかば」/『ビルマの竪琴』関係図

1956年(昭和31年)と1985年(昭和60年)の2回、市川崑の監督によって映画化されました。

なれそめ

僕が初めて「ビルマの竪琴」に触れたのは、石坂浩二や中井貴一が出演していた1985年版の映画でした。

その後、三國連太郎出演の1956年版の映画も観るほど、「ビルマの竪琴」にハマってしまい、すぐに竹山道雄の原作を買ってきて読んだことを覚えています。

映画と原作小説とは大きく異なる場合も多く、少なからず失望させられることも珍しくないのですが、「ビルマの竪琴」は原作小説・映画いずれも内容が充実している作品だと思いました。

映画の大きなストーリーが、原作に忠実に沿っていたということが、その大きな要因になっていると思います。

ただ、映画「ビルマの竪琴」の原作が、児童文学(掲載誌「赤とんぼ」は童話雑誌)だということは、まったく考えていなかったので、最初は面喰いましたが、作品の出来具合が素晴らしいので、そこは全然問題にはなりませんでした。

令和の子どもたちにも読み継いでいってもらいたいと思える、不朽の名作です。

あらすじ

ビルマの戦線で英軍の捕虜になった日本軍の兵隊たちにもやがて帰る日がきた。

が、ただひとり帰らぬ兵士があった。

なぜか彼は、ただ無言のうちに思い出の竪琴をとりあげ、戦友たちがが合唱している“はにゅうの宿”の伴奏をはげしくかき鳴らすのであった。

戦場を流れる兵隊たちの歌声に、国境を越えた人類愛への願いを込めた本書は、戦後の荒廃した人々の心の糧となった。

(背表紙の紹介文より)

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

私がしていることは日本人の白骨を始末することです

私がしていることは何かといいますと、それは、この国のいたるところに散らばっている日本人の白骨を始末することです。墓をつくり、そこにそれをおさめ葬って、なき霊に休安の場所をあたえることです。(竹山道雄『ビルマの竪琴』)

戦地ビルマで敗戦を迎えた後、イギリス軍の捕虜となっていた水島上等兵は、仲間たちと一緒に祖国日本へ帰る選択肢を捨てて、一人ビルマに残ることを決意します。

理由も告げずに姿を消した水島のことを、仲間たちは当初「脱走兵になってしまった」と考えますが、水島上等兵がビルマに残った理由は、帰国途上の船の中で読んだ手紙によって、初めて明かされます。

水島が見たビルマには、各地に激しい戦闘の跡が残り、そこには多くの日本兵の遺体が無残な姿で放置されていました。

「幾十万の若い同胞が引きだされて兵隊になって、敗けて、逃げて、死んで、その死骸がまだそのままに遺棄されて」いたのです。

ほとんどの仲間たちが帰国を急ぐ中、水島ただ一人が、敵地で死んだ仲間の霊を弔うために、ビルマに残ることを決意したのでした。

あの「はにゅうの宿」は、すべての人が心にねがうふるさとの憩いをうたっている

あの「はにゅうの宿」は、ただ私が自分の友、自分の家をなつかしむばかりの歌ではない。いまきこえるあの竪琴の曲は、すべての人が心にねがうふるさとの憩いをうたっている。死んで屍を異境にさらす人たちはきいて何と思うだろう! あの人たちのためにも、魂が休むべきささやかな場所をすくってあげるのでなくて、―おまえはこの国を去ることができるのか? おまえの足はこの国の土をはなれることができるのか?(竹山道雄『ビルマの竪琴』)

「ビルマの竪琴」では、唱歌『埴生の宿』が大きな役割を担っています。

「埴生の宿」は、貧しい造りの住宅を意味していますが、そんな貧しい家であっても我が家というものは楽しいものだということが、この唱歌では歌われています。

戦地の日本兵にとっては、まさしく故郷の家を偲ばせる、望郷の歌だったということが言えるでしょう。

原曲はイギリス民謡「Home Sweet Home」で、『ビルマの竪琴』では戦闘中の日本兵とイギリス兵が、この曲のメロディによって、互いの心を通わせる場面も登場します。

「ことに『はにゅうの宿』はイギリス人が自慢するかれらの家庭の楽しみをうたったもので、すべてのイギリス人は、これをきくと、自分たちの幼かった頃のこと、母親のこと、故郷のことを思うのです」とあるように、戦地ビルマで故郷を思う気持ちは、日本兵もイギリス兵も同じだったのかもしれませんね。

われわれも気力がありながら、もっと欲がすくなくなるようにつとめなくてはならないのではないでしょうか

わが国は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。それはむだな欲をだしたからです。思いあがったあまり、人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです。われらが奉じた文明というものが、一面にははなはだ浅薄なものだったからです。(略)われわれも気力がありながら、もっと欲がすくなくなるようにつとめなくてはならないのではないでしょうか。それでなくては、ただ日本人ばかりでなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?(竹山道雄『ビルマの竪琴』)

仲間たちへ宛てた手紙の最後で、水島上等兵は戦後の日本を憂う言葉を綴りながら、「どうしたらわれらは正しい救いをうることができるか―。そしてそれを他の人にももたらすことができるか―。このことをよく考えたい。教わりたい。それを知るべくこの国に生きて、仕え、働きたい、と念願いたします」と締めくくっています。

著者は、水島の言葉を借りる形で、戦後日本の復興を背負う子どもたちに、新しい社会とはどのような社会であるべきか?ということを問いかけています。

それは、悲惨な戦争体験を決して無駄にすることなく、次の時代に向けた貴重な教訓にしたいという思いから生まれた言葉であったはずです。

物語の最後に、帰還兵を乗せた船の様子が描写されています。

「船は、毎日ゆっくりと進みました。先へ―。先へ―。」

敗戦の兵隊を乗せた船は、まさしく「敗戦国・日本」そのものであり、「復興・日本」はゆっくりと、けれども着実に前へ進んでいるのだという勇気と激励を、著者は子どもたちに投げかけているのです。

読書感想こらむ

太平洋戦争を題材とした文学に、明るいものはありません。

そうした中にあって『ビルマの竪琴』は、敗戦後の日本の子どもたちに、わずかの希望とささやかな救いとを提供しようとしようとしているように思います。

同胞の死を弔うため戦地に残る決意をした水島上等兵の姿は、すべての日本人が持つべき美しき人間愛ですが、「お国のために(戦争のために)」死んでいった若者たちの死を尊ぶ、日本国民の懺悔の象徴とも受け止めることができます。

ただ「戦争反対」「世界平和」といった理念を唱えるだけではなく、戦争で命を落とし、「英霊」と呼ばれることとなった若者たち一人一人の死と向き合うことこそが、戦後日本に与えられた宿命であったような気がしてなりません。

『ビルマの竪琴』は、戦争と平和に関する様々のことを考えさせてくれる小説です。

どうして、水島上等兵はビルマに残らなければならなかったのか?

その謎を、皆さんも自分の言葉で考えてみてはいかがでしょうか。

まとめ

『ビルマの竪琴』は、戦後児童文学の名作のひとつ。

子どもだけではなく、すべての日本国民が読むべき価値のある作品だと思います。

敗戦という歴史が風化する前に。

著者紹介

竹山道雄(ドイツ文学者)

1903年(昭和36年)、大阪生まれ。

戦前はニーチェやゲーテの翻訳で活躍した。

『ビルマの竪琴』連載時は44歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。