日本文学の世界

「村上龍VS村上春樹 ウォーク・ドント・ラン」大いに文学を語る

「ダブル村上」と呼ばれた時代があった。

『村上龍VS村上春樹 ウォーク・ドント・ラン』は、過去を振り返りつつ、未来を語った、二人の「村上」による貴重な対談集である。

「ダブル村上」と呼ばれた時代

先に注目を集めたのは、1976年にデビュー作『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した村上龍である。

『限りなく透明に近いブルー』は100万部を売り上げる大ベストセラーとなり、当時、現役大学生だった村上龍は、時代の寵児としてマスメディアにも頻繁に登場した。

1980年には、代表作となる『コインロッカー・ベイビーズ』を発表、「村上龍」の名前を絶対的なものとして固めた。

村上龍が絶大な人気を誇る中で登場した、もう一人の「村上」が、1979年に『風の歌を聴け』でデビューした村上春樹である。

当時、ジャズ喫茶のマスターだった村上春樹は、アメリカ文学の影響が色濃い文体で、特に若い世代から「都会派作家」として支持された。

以後、若者を主人公として現代社会を描く二人の作家は、「ダブル村上」として様々な場面で比較対象とされていくことになる。

ちなみに、村上春樹は1949年生まれ、村上龍は1952年生まれで、春樹の方が龍より3つ年上だった。

村上春樹と村上龍村上春樹と村上龍

1981年に刊行された龍と春樹の対談集

『ウォーク・ドンド・ラン』は、1981年に刊行された村上龍と村上春樹との対談集である。

当時、小説家としての地位は、既に『限りなく透明に近いブルー』や『コインロッカー・ベイビーズ』を発表していた村上龍の方が明らかに格上で、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』しかない村上春樹は、内容の薄いチャラチャラした小説を書いている作家というのが、世の中の一般的な評価だった。

現役大学生としてデビューした龍に比べて、ジャズ喫茶を経営する春樹は、明らかに遅咲きと作家であったためだが、龍と春樹は互いに連絡を取り合うなど、良好な交流関係を保っていたようである。

二人の対談は「1980年7月29日」と「1980年11月19日」の2回に渡って行われている。

巻頭には、若き日の二人の写真が掲載されている(二人が並んでいる写真ではないのが残念)。

巻末には、それぞれが互いについて書いたエッセイが掲載されている。

『村上龍VS村上春樹 ウォーク・ドンド・ラン』目次

<Ⅰ>(1980年7月29日)
都会と田舎
なぜ小説を書くのか
新人賞の周辺
一つの言葉から
記号と会話
うちのかみさん
わが愛するネコたち
チャーリー・パーカーを聴いたか
小説家という職業
三作目で飛べ

<Ⅱ>(1980年11月19日)
コインロッカー・ショック
「グッド・ライティング」と「トゥルー・アート」
飢えと文学
『ブルー』から『コインロッカー』まで
冷酷と傲慢
『風の歌』と『ピンボール』の世界
小説のブラックホール
ただ作品があるだけだ
セックスと死
「切符自動販売機」型モラル
知性と感性
作品、表と裏
一人と二人の日常
がまん、がまん、そして感動
日本の小説、外国の小説
僕にとっての名文とは
パワーの拒否
What happened is all good
六〇年代、七〇年代に何があったのか

<Ⅲ>
村上龍のこと(村上春樹)
村上春樹のこと(村上龍)

対談のテーマは実に幅広いが、基本的には、過去の生い立ちを振り返りつつ、自分の作品を語る文学的な内容が濃いものとなっている。

現代社会やジャズ、家庭、ペット(猫)を語ることが、実は文学について語っているといった印象。

同世代の若手作家同士の気安さからか、リアルな言葉が飛び交っていると思われるが、村上春樹の場合は当時から、どこから嘘でどこまで本当か、分からない作家だった(笑)

『ウォーク・ドンド・ラン』村上春樹語録

当時、ジャズ喫茶「ピーターキャット」のオーナーだった村上春樹の、小説(あるいは小説家)に対する距離感は興味深い。

職業作家としての道を歩むことへのためらいが、言葉の端々に感じられるからだ。

都会と田舎

(『風の歌を聴け』の舞台について)
ぼくはうちが芦屋なんですよ。だから、神戸と芦屋のあたりが舞台になっているわけだけど、舞台を限定しちゃうと、やっぱりいろいろ問題があるし、あと言葉の問題もあるでしょう。いちおう、架空の街って感じでやったんだけど、あれ読んでて、なかには日本と思わない人がいてね。途中で、やっと日本かと思ったって。

デビュー作『風の歌を聴け』が、神戸や芦屋を舞台として書かれていることが、著者の言葉によって語られている。

ほんとの都会的な人というのは、小説書かないような気がするなあ。田舎者っていっちゃあ悪いけど、本質的にそういうものがないと、小説は書けないんじゃないかという気がすごくするのね。だから、ぼくは都会的だっていわれるけど、自分では、そういう気はあまりしないですよね

デビュー当時、村上春樹の小説を端的に表現する言葉が「現代的な都会派小説」だった。

先進的な都市生活者が読者層の中心になったのも、村上春樹の作品の持つ都会的な雰囲気が受け入れられたためだった。

なぜ小説を書くのか

僕はね、小説書くのは自己解放だとは思わない。自己変革だと思うわけ。小説書くことで、自分が変わっていくインパクトっていうか、刺激になればね、小説ってそういうもんじゃないかなっていう気がするけど。

自己表現のための小説書く人が多すぎると僕は思うけどね。

ぼくは二十九まで、ぜんぜん字を書かなかった人間だからね。なんで書いたのかって、あとで思うわけね。

学生時代に起業してジャズ喫茶のマスターとなった村上春樹は、若い頃から小説家志望だったということではないらしい(脚本には興味があったらしいが)。

自らを恥じる気持がなくちゃいけないと思う。いまでも飲み屋なんか行くと、ぼくらの世代でいるでしょう? あのとき、安田講堂で石投げたとか、ちょうど戦争の思い出話みたいな調子でしゃべっている。あのときは、いろんな人がアジったわけじゃない。小説家なんかも、ずいぶんアジったしさ。そのときは、聞いてて、心地よいわけね。でも、終わってみると、なんにも残っていない。

ぼくが二十九までほとんど文章書かなくて、なんかのかげんで書けたのは、オーバーにいうと、神の恩寵みたいなものを感じるんですね。それを無駄には使いたくないな、っていう気がすごくするわけ。

「二十九歳までほとんど文章を書かなかった」というエピソードは、村上春樹自身の言葉によって何度も語られている。

現役大学生時代に作家デビューをして芥川賞を受賞した村上龍との大きな相違点のひとつだと、村上春樹もとらえていたのだろう。

新人賞の周辺

ぼくの場合は、いちおう仕事(ジャズ喫茶)をちゃんとやって、飯食ってたわけだから、生活のためっていうのはないわけね。

村上春樹が、ジャズ喫茶「ピーターキャット」を知人に譲渡して、職業作家に専念するのは、1981年のこと(村上龍との対談の翌年)。

だから、村上龍との対談時、村上春樹の肩書は「ジャズ喫茶オーナー」だった。

それと”受ける”とは、絶対、思わなかった。下読みでボツになると思ってたんです。せっかく書いたんだからって応募したんだけど、絶対、ボツになると思ってたから、出したの忘れててね。最終選考に残りました、って「群像」から連絡がきても信じられなかった。

書いたものが活字になるっていうのは、すごくうれしい。それ以上は、もう望まない。

ジャズ喫茶経営の傍らで書かれた『風の歌を聴け』について語られたもの。

ぼくの場合は、映画なんですよ。シナリオやりたいと思って、ずいぶん読みこんだし、映画もよく観たし。だから、ぼくの小説は、チャプターがすごく多いでしょう。あれは順番に書いていくわけじゃなくて、映画でいえば、シーンごとに撮っていくわけ。それを、あとで編集する。

ふつう頭から書いていくでしょう。ぼくにはできないんだね。

ぼくなんか行きあたりばったりなんですよね。シチュエーションがあってそれがどうなるか、ぜんぜんわかっていないわけ。適当に書いてって、辻褄合わなくなると、前のほうをまた直す。

『風の歌を聴け』は、ジャズ喫茶の閉店後の時間を使って執筆されたという。

集中的に執筆することができないため、断片的なエピソード(チャプター)の編集のような構成になった。

一つの言葉から

ぼくは、一つの言葉から、なんかつくるっていうの好きなんですよね。

『1973年のピンボール』にしても、まず、ピンボールについての小説を書きたい。ピンボールっていう頭があるから、じゃ、年号をつけようか。”1973年のピンボール”でいこう、と。頭はできるけど、筋はぜんぜんできていないんですよね。その言葉から書いていく。そんなのが、すごく好きなんです。

二作目の長編小説『1973年のピンボール』は、先にタイトルがあった(このタイトルは、大江健三郎の『万延元年のフットボール』を参考としたもの)。

「お題」から文章を書き始める手法は、短篇小説やエッセイなどにも見られている。

短編「ニューヨーク炭鉱の悲劇」も、ビージーズの楽曲「New York Mining Disaster 1941」(ニューヨーク炭鉱の悲劇)をヒントに、小説を書こうと思ったものだった。

使いたい言葉と使いたくない言葉をはっきり分けて、使いたくない言葉は絶対使いませんね。

それから比喩は、考えると面白いんですよね。何々のようなビールグラスと。で、「何々のような」って、考えるのやっぱり大変なんですよね。でも、すごく好きなんです。チャンドラーなんて、すごくうまいでしょう。

やっぱり日本でハードボイルドが育たないのは、そういうある種のゲームみたいな感覚が薄いんじゃないかなという気がするんですよねえ。

映画でもね、全く関係ないシーンってあるでしょう。それが好きなのね、どういうわけか。

レイモンド・チャンドラーは、村上春樹が大きな影響を受けたアメリカのハードボイルド作家である。

『長いお別れ』や『さらば愛しき女よ』などの代表作で有名。

チャンドラーの作品を読むと、村上春樹が、いかにチャンドラーから文章表現的影響を受けているかということが分かる。

記号と会話

ぼくも、文芸誌もふくめて、日本語の本や雑誌は、ほとんど読まなくて、ずーっと英語の本ばかり読んでたんですよ。

あたり前の話だけど、英語を読むってのは日本語を読むのと、ぜんぜんちがうのね。つまり、言葉じゃなくて、記号で書かれた小説を読んでるような気がするわけ。だから、ぼくも言葉じゃなく記号で小説書けるんじゃないかな、と思った。

『風の歌を聴け』も、最初はタイプライターで英語で書いて、それを訳したわけ。もっとも、はじめの二、三十枚だけで、あとは日本語でちゃんと書いたんですけどね。

『風の歌を聴け』が、英語で書いてものを日本語に翻訳した作品だということは、都市伝説のように語られているが、実際には、一部分のみだけだったらしい。

ぼくも十八まで関西弁しかしゃべらなかったんで、東京へ出てきてどうなるかと思ったら、三日で完璧にしゃべれるようになったね。あれは、なんか性格の問題じゃないのかなあ。ぼくは順応性が高いらしい。

その代わり、地元に戻ると、すぐに関西弁に戻ってしまうらしいですが(笑)

うちのかみさん

うちのかみさんは夢野久作とかポーなんかの怪奇小説ばっかり読んでますよ。

あっ、うちもそれいう(笑)「おもしろくない」って。ぼくは書くと、まずかみさんに見せるんですよ。おもしろくないと捨てちゃうんだね。彼女の関門を通ったものだけ、編集者に渡すわけ。

なにしろ理屈っぽい女(ひと)でね。エッセイなんかでも、すらすら書けたなと思って渡すでしょう。そしたら「哲学がない」って捨てちゃうのね(笑) なかなかあるわけないんだ、そんなもの。

村上春樹の作品を一番最初にチェックするのは、陽子さん(嫁)だった。

村上春樹の奥さんの陽子さんは、いかにも、村上作品に登場する女の子みたい(なので、奥さんについて書かれているエッセイも楽しいです)。

わが愛するネコたち

たくさんネコ飼っちゃうとダメ、、、スキンシップがね、やっぱり行き届かなくなっちゃうんですよね。

チャーリー・パーカーを聴いたか

ぼくなんか商売でジャズやってるのに、最近、あまり聴く気しないのね。

もう天才は出ないんじゃないかなあ。いまは、前衛っていうのが存在しないじゃない。先端はいるけどさ。

いまジャズ聴いてるのは”六〇十年代”の生き残りみたいな人ばっかりだから、、、

でも、ぼくらの同世代の人は、意外に進歩してない。ジャズはコルトレーンとかね。会って話してみると、この十年なにしてたのかなあと思うわけ。だから、話が合わない。

職業作家になったあと、村上春樹はジャズ音楽に関する作品も執筆した。

小説の中にジャズ音楽が頻繁に登場するところにも、ジャズ喫茶オーナーとしての経験が生かされている。

小説家という職業

いまの若い連中は、おれたちにはなにもないんだ、という意識がある。ぼくらの時代は、なにかあったような気になっちゃう。これ、すごく偽善的な気がするのね。やっぱり、なにもなかったんですよ。

ぼくは、同世代の人がやってること、どうも信用できないっていう部分があるな。

村上春樹の作品には、同世代の人たち(団塊の世代)を魅了するノスタルジーがある。

1980年代当時、団塊世代のノスタルジーは、若い世代にとって憧れのアイテムでもあり、そのノスタルジーがまた、村上春樹という作家の魅力でもあった。

ぼくは文芸誌に書くの、割と好きなんだけどね。カテゴライズされたもの好きなんですよ。純文学とか中間小説とか。

ぼくなんか本職があるから、ものを書いていられる。書くのが専門になっちゃったら、これ、大変だと思うな。

個人的に、村上春樹の作品は、文芸誌ではない雑誌に掲載されたものに、好きなものが多い。

『ブルータス』に掲載された「ニューヨーク炭鉱の悲劇」とか、『宝島』に掲載された「午後の最後の芝生」とか。

小説ってお金もうかると、みんな思ってんのね。小説書いて一発当てて、すごいねっていわれるんだけど、収入なんて、、、ぼくは商売やってるから、多少は収入があるけど。

ぼくはどちらかというと、小説は密室的な感じがするから好きなんだね。ただ、それが本職になっちゃうと、とてもじゃないど耐えられない。

当時の村上春樹は、ジャズ喫茶のオーナーが小説も書いている、といった体だったような気がする。

本職作家じゃないからこそできる、チャレンジングな姿勢というものもあったかもしれない。

いまは書いていますね。まあ、三、四年先も書いてるだろうと思うわけ。ただ、十年先となると、ほんとにわかんない。そういう不安を抱えながら、ものなんて書けないよ。ダメならダメで、飯食っていけるあてがないと、ダメですね。

小説家って、つぶしがきかねいのね。これ、問題だと思うな。

ぼくは、いまだに小説で生活しているという実感がないんですよ。まだ四年だし、それもなんかこう、、、

ぼくも、書いてる期間とおんなじ期間休まないと、次が書けない。三ヵ月書いたら、三ヵ月休む。その間は、なるべくほかの仕事したくないしね。

「ただ、十年先となると、ほんとにわかんない」と言っているのが村上春樹。

ちなみに、10年後の1991年までに村上春樹は『ノルウェイの森』という大ベストセラーをモノにし、『ダンス・ダンス・ダンス』という初期の代表作も仕上げている。

三作目で飛べ

ぼくは、小説ってのは根本的には方法論だと思っているから、、、小説書くこと自体を小説に書くという、転化の作業みたいなのが小説じゃないかと思ってるわけ。それが実際の小説になってみると、スラスラ読めるとか、風俗的になっちゃうんだね。

自分の本って読む気しないでしょう。ぼくは絶対、読む気しないんだね。

1981年当時、書籍化されている村上春樹の作品は、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』という、長篇小説2作のみ。

新刊出ると、本屋へ行けない。自分の本が並んでると思うと、恥ずかしくて入れないのね。

小説書くこと自体も、すごく恥ずかしいですしね。

「作家」なんて書かれると、恥ずかしくてしょうがない。だから、なるべく”恥ずかしい想いをしなくて済む小説を書きたい”という気で、書きはじめたんだけどね。

対談の中で、村上春樹は「恥ずかしい」という言葉を連発している。

作家であることも恥ずかしいし、小説を書くこと自体も恥ずかしい。

あんまり真情を吐露すると、あとでどうしようもない、自己嫌悪になっちゃうでしょう。なるべく吐露しないように、べつのものを引っぱってきて書いてるわけですよ。

こないだ、まあ短いものだけど順番からいくと三作目というのを書いたんですよ。『街とその不確かな壁』っていう題です。一作目と二作目は関連してるけど、三作目でがらっと変えたのね。

『街とその不確かな壁』は、後に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という大長編小説へと発展する、その原型の中編小説だ。

『1973年のピンボール』が芥川賞候補作となったことを受けて執筆された作品だったが、作者自身「失敗作」と認識しており、これまで書籍化されていない幻の作品である。

マイルスは自分のレコード、絶対、聴かないんだってね。その気持、よくわかるんだ。

だから、小説を書くというのは、自分の小説をどこまで客観的に見ることかできるか、という勝負じゃないかと思うね。

自分の小説を読むことなく、自分の作品と客観的に向き合うことができるのだろうか。

しかし、作家の中には、自分の書いた作品を読まないと公言している人たちがいることは確かである。

コインロッカー・ショック

小説を書くからにはやっぱり長いものって書いてみたいですよね。

でもあえて言うなら僕はどちらかといえば、いわゆる生理的なバイブレーションを回避した小説を書いていきたいと思ってるわけです。

「長いものを書いてみたい」と言っていた村上春樹は、この後、本格長編小説『羊をめぐる冒険』(1982年)を発表する。

「グッド・ライティング」と「トゥルー・アート」

読み直してみて、自分の『風の歌を聴け』の場合とくにそうだけど、消化できないものまで吞み込んでいるということがあとになってわかっちゃうとね、自己嫌悪になっちゃう。

ただ、小説というものは、消化できるものだけ呑み込んでて小説になるかどうかっていうと、これは疑問ですよ。

小説家にとっては、「消化できないものまで吞み込んでいるということがあとになってわかっちゃう」という部分が、いわゆる<壁>ということなのかもしれない。

『風の歌を聴け』の場合、ラジオのDJが読んだ入院中の少女からの葉書のように、消化しきれていない素材が、確かに組み込まれていると考えることができる。

ただ、「小説というものは、消化できるものだけ呑み込んでて小説になるかどうか」と著者自身が語っているように、未消化のものまで含めてひとつの小説の完成形だととらえることも可能だろう。

ある文芸誌の編集者が「鈍じゃなくちゃ小説なんて書けないんですよ」って僕に言ったけど、たしかにそうなのね。少なくともあるランクまではね。

音楽と同じで、下手でもいい、まず人に聞かせるところから始まる。

恥かかないとうまくならないと思うよ。泥かぶってさ。

「恥かかないとうまくならないと思うよ。泥かぶってさ」という言葉が、僕は大好きなんだけど、クールな村上春樹がそれを言うか?と思った部分はある。

そのくらい、1980年代の村上春樹の小説というのは洗練されていたし、渇いてもいたから。

僕はあえて「グッド・ライティング」—「トゥルー・アート」という公団住宅風の図式にこだわりたいって気はするんですよ。

トゥルーマン・カポーティの図式をもう一度ひっぱってくるなら、「グッド・ライティング」という水たまりをどんどん掘り下げていけば、いつかうまくいけば「トゥルー・アート」っていう水脈にぶつかるんじゃないかって気はするんですよ。

ある歳までは、自分にとっての「グッド・ライティング」というものを極めてみたいと思うし、もしそれを極めることができたなら「トゥルー・アート」というものを目指してもみたい。無理かもしれないとは思うけれど、、、

本質的に古いのかもしれないと自分でも思うよ。

文章には「バッド・ライティング」と「グッド・ライティング」の2種類がある。

だけど、世の中には「グッド・ライティング」と「トゥルー・アート」の違いがある。

これは、カポーティの言葉を引用したものだが、村上春樹は、さらに自身の解釈として「グッド・ライティング」という水たまりをどんどん掘り下げていけば、いつかうまくいけば「トゥルー・アート」っていう水脈にぶつかる」という見解を述べている。

飢えと文学

もちろん貧乏したことはあるけどね。飢えるのと貧乏とは別でしょ。だから、一銭もなかった時期もあるし、借金で首が回らなかった時期もあるけど、飢えるという感じはなかった。

村上春樹のエッセイには、貧しかった時代のエピソードが時々登場している。

ジャズ喫茶の経営も、決して当初から好調だったというわけではないらしい。

書くための規範のようなものをこれからつかんでいかないと我々の世代の存在価値はゼロになっちゃうんじゃないかっと思うな。

僕だって欲望はあるし、あれが欲しい、これが欲しいと思って生きてきたんだけど、欲しいと思ったものはなんだか手に入っちゃうのね、不思議なことに。

でも、一度手に入れちゃうと空しいんですよ。手に入れたものをわざと無茶苦茶にこわしてみたり、そんな時期もあったな。そしてある時、もうこういう生き方は止めようと思ったんですよ。もう何も欲しがるまいってね。

「そしてある時、もうこういう生き方は止めようと思ったんですよ。もう何も欲しがるまいってね」というのは、まるで、村上春樹の小説に出てくる男の子みたい。

僕の場合、たしかに生な部分での共感を拒絶するという傾向があると思うんです。そんなの、いらないよ、と思う。

だから個人的にはよく冷たい人だと言われるし、たしかにそうなんだ。書く時も人を失望させるために書いてんじゃないかとふと思う時がある。きっと誰もこんなもの求めてないんだろうなってさ。

冷たい男だと思う。そのぶんを、例えばメタファーにぶちこむ。そのメタファーについて何かを感じてもらえばありがたいと思う。

でも、書いてて楽しかったけどね、ものすごく。(『風の歌を聴け』も『1973年のピンボール』も)うん、楽しかったです、書いてて。あ、ここでさし絵入れちゃおう、なんて思ったりしてね(笑)

村上春樹の小説に登場する主人公は、多くの場合、クールだ。

必要以上に感情を露にすることはないし、恋人が去っていこうとする瞬間にも、彼女を引き止めたりはしない。

好きなようにしろよ。

どこかに突き放したような冷たさがある(自分にも他人にも)。

そして、そんな生き方が「カッコいい生き方」として受け入れられたのが、1980年代という時代だった。

冷酷と傲慢

僕の場合は何かを破壊したいという気持はあまりないんですよ。どちらかといえば、何もかも放っておいて自然に崩れていくんだって気持の方が強い。社会も価値基準も、何もかもさ。

書くときはね、これを読んでくれるであろう読者を一人、頭の中に設定します。非常に平凡な人をね。ぜんぜんぼくも会ったことないし、会ってもうまく話せないだろうという感じの人、共通する話題もたいしてないしさ。けっこう気むずかしかったり、かと思うと意外と涙もろかったり、で、何かパッとしない仕事しててというふうに。わりとそういう人のために書いているという気があるのね。

執筆する段階で、読む側のことを考えながら書いているか。

村上春樹は、「何かパッとしない仕事をしている人」を頭の中に設定すると言っているが、こういう妄想は村上春樹の得意とするところ。

「午後の最後の芝生」でも、女の子の部屋に残された衣服から、会ったこともない女の子について述べていくという場面があった。

ぼくもね、まわりの人が、それ読んで感想をいろいろいってくれるわけ。でもやっぱり少しずつそれぞれにずれてるわけね。で、あまり聞きたくないというと傲慢だけど、聞いてもしかたないという気がするのね。つらいな、悪いな、書くの嫌だな、って思っちゃうよ。

でも、きっと、僕と同じように感じてくれる人がどこかに一人くらいはいるにちがいないと思ってやっぱり書くのね。

村上春樹のような作家でさえ、共感を求めているのかと思うと、ちょっと不思議な感じがする。

そのくらい、村上春樹の小説は、読者を突き放したところから物語を見せられているような気がした。

僕、店やってるでしょう、そうするとね、十人来ても、店を気に入ってくれる人は一人か二人だものね。あとはたいして気に入らないわけ。

十人に一人、また来ようかなと思った人がまた来てくれれば、店というのは、商売がじゅうぶん成り立っていくわけです。店を始めてね、いちばんに感激したのはそれですよね。十人に一人でいいじゃないかってさ。これは感動ですよ。小説もそれと同じなんじゃないかなと思う。

書けば書くほどさ、悪意を持つ層が拡がっていくわけじゃない。だから文章を書くってことはある意味では、むなしいし、辛いですよね。通りのまん中でズボンを脱ぐような感じがするね。

村上春樹は独自の作風で人気作家となったから、いわゆる「アンチ」も多かった。

ある種の新興宗教のような匂いを持っていたと思う。

もっとも、多くのアンチは、村上春樹の作品というよりも、村上春樹に洗脳された<ハルキスト>の人々のことを苦々しく思っていたのではないだろうか。

1980年代、村上春樹の小説を読むことは、もはや、ファッションでさえあった。

『風の歌』と『ピンボール』の世界

初めね、『風の歌を聴け』っていうのはね、もろリアリズムで書いたわけ。でも、リアリズムで書くとちっともおもしろくないのね。それでもう開き直ってああいうふうに書いたんですよ。でも、絶対うけないだろうと思った。ばかにされるだろうと思ったよね。まあ実際されてるけど。

僕の本の活字の組み方って風通しいいものね。

リアリズムで書かれた「風の歌を聴け」というのも読んでみたかった。

僕の小説はね、アメリカの影響を受けすぎてたたかれるわけですよね。でも僕はね、そうは思わないわけ。

そこにたとえばアメリカの小説の方法論ってのが入り込んできても、それは自然のことだと思うんですよね。それを拒否する方がおかしいと思う。だから、アメリカの小説の影響受けてるというけど、なんでそれがいけないのかという気がするんですね。

村上春樹が新鮮だったのは、アメリカ文学の入れ物を借りてきて、そこに日本語の小説をポンと放り込んでしまったから。

だから、何も知らない人が読むと、まるでアメリカ文学の翻訳小説のようになる。

1960年代、大瀧詠一と内田裕也が、ロックを日本語で歌うのはありかなしかという論争を繰り広げたけれど、村上春樹の小説は、アメリカのロックを日本語で歌うようなものだった。

まだ誰もそれをやっていない時代に。

小説は、コミュニケーションについての方法論なわけ。そういうアメリカの若い作家がいま試してる方法論を読んで、なんで僕が影響受けちゃいけないのかという気がするわけですよねえ。

僕は新人賞の時に丸谷さんが言われたように、僕の書いてるものは日本的だと思いますけど、ただ方法論的には非常に外国の小説の影響を受けています。

『風の歌を聴け』が群像新人賞を受賞したとき、選考委員の丸谷才一は「日本的抒情によつて塗られたアメリカふうの小説といふ性格は、やがてはこの作家の独創といふことになるかもしれません」と、この小説を高く評価した。

小説のブラックホール

小説書いてるとね、自分が思ったり言葉に出したり考えている以上のことが出てきちゃうのね、あれが小説だなと思う。

だれかにセリフでしゃべらせるでしょう。自分が書いたのにさ、自分が書いた以上のセリフになっているのね。

ぼくの小説は、始め最後ってないんですよね。最初から始まって、あっちいったりこっちいったり、前後逆になったりしながら行くわけだけど、どんな結末になるのか自分でもわからないわけ。

村上春樹の小説は、主人公の会話に妙味があって、それが人気の秘密でもあった。

まして、一人称小説の場合、主人公の独白そのものが、小説の醍醐味にさえなってくる。

ただ作品があるだけだ

ぼくドアーズって好きなのね、ジム・モリソン。あれの出てくる話を書こうと思ってたんだけど、短いもので、『ブルー』読みかえすたらそこにいっぱい出てくるから、もうめげちゃった(笑)

ドアーズとハシシュの話書こうと思ってたの。だけど『ブルー』読んだら同じじゃないかと思って、アホらしくなってやめちゃった。

でも、ドアーズっていうのはぼくはすごく好きなのね。あれ、龍さんに似てるよね、ちょっと。

「ハシシュ」とはドラッグ(大麻)のこと。

ぼくの場合はさ、それほど龍氏みたいに売れているわけじゃないから、わりに気らくにできたのね。試行錯誤という感じで、いろいろなもの、短いの少しずつ書けたしね。

当時、村上春樹は、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』のほかに、いくつかの短篇小説を発表している。

「試行錯誤という感じ」では、伊勢丹の会員情報誌に連載されたものは、いかにも実験的で楽しい(『カンガルー日和』として書籍化されている)。

僕が新聞や雑誌ほとんど読まないのはそれもあるね。こういうのは生意気な言い方かもしれないけど、可能性としては自分の名前がいつ出てくるかわからないじゃない、もちろんそれだけじゃないけどね。すごく健康にいいもの、やっぱり。

でも、この前ね、絶対大丈夫だと思って漫画読んでたのね。そうしたらいしいひさいち氏の最近の近況にね、いしいひさいち氏は最近芦屋の山の手にマンションを買い入れた。そのマンションの形は村上春樹氏が『1973年のピンボール』で描いてたマンションにそっくりであるって書いてあった(笑)

いしいひさいちは、当時「がんばれ!!タブチくん!!」で人気のあった漫画家。

最近何かを読んでるとね、あの「僕」ってことばなかり目についちゃうのね。気にしすぎなのかもしれないけど、ことばってものすごく早いサイクルで風化されていくのね。いやになっちゃったね。

村上春樹の小説の特徴のひとつは、一人称の表現が「僕」であること。

三田誠広の芥川賞受賞作「僕って何」(1977年)も、「僕」という言葉で自分を語る大学生が主人公だった。

「僕」という言葉は、大人でも少年でもない、モラトリアムな存在を強くイメージさせた。

セックスと死

ぼくはね、たとえばだれとでも寝る女の子っているわけじゃない、そういう女の子と寝るというのはものすごく落ち着くのね。むかしからそうだったんだけど。

どっちかというとね、好きな女の子と寝るというのさ、どうも落ち着かないのね、むかしから。不思議だな。

「だれとでも寝る女の子」とセックスをする話というのは、村上春樹の小説にも登場しそうなエピソード。

昔々、誰とでも寝ちゃう女の子がいた、みたいな(笑)

意外に性的なものってないんですよね、ドロドロしたものが。やっぱり書くほうもそちらを志向しているんじゃないかなという気がするわけ。意識して書かないわけでなく、恥ずかしいから(笑)

でもさ、風潮としてさ、セックスというのはあまりにも方法論的に取り上げられすぎたんじゃないかという気はしているのね。

ぼくはどうもセックスってのはビター・スイートという感じでしか捉えられないな。

大学生の頃、国文学の教授が「村上春樹は素晴らしい、べたつかない表現でセックスを書ける」と絶賛していたことを思い出した(笑)

フロイトというのがぼくはすごく嫌いなんですけどね、精神分析というのがものすごく嫌いなの。ノックもしないで部屋に入ってきて冷蔵庫あけて帰っていくって感じがしてね。

あとね、いわゆるアンチ・モラルとしてね、セックスが強調されすぎたという気がすごくするわけ。

だからノーマン・メイラーの逆をいえば、残された領域はセックスしかないんなら、セックス書いちゃったらおしまいじゃないかという、逆説的にいえばね、感じがあるわけ。でも、そうじゃないもんね。

『国境の南、太陽の西』(1992)を読んだとき、あまりにもセックスが強調されすぎていて驚いた記憶がある。

それは、ある意味で、1980年代に書いてきた作品の反動であったかもしれない。

良くも悪くも『国境の南、太陽の西』は、1980年代の村上春樹からの脱皮を成功させた作品だった。

「切符自動販売機」型モラル

「モラル」っていうの、本当は好きじゃないんですよ。もっと別の言葉があるといいんだけどね、ども年寄臭くっていけないなと思うよ。

知性と感性

例えば僕は数字にこだわっちゃう部分があるんですよ。

時々、人と人との関係の殆どは数字で表わされるのがいちばん真実に近いんじゃないかって思うことがあるね。言葉ってのはある意味では偽善的だからさ。耐え難い時がある。

この間ね、ちょっと仕事が終わってから酒飲みに行ってたらね、隣で三人ぐらいで若いのが話しているのね。その話聞いてたら三十五回ぐらい感性って言葉が出てくるわけ、きみの感性は、ぼくの感性はといってね。ものすごいむなしいと思うんだね(笑)

当時、「感性」という言葉が流行っていたということらしい。

作品、表と裏

ぼくはいまの予定では『壁』の話を少し作り変えてね、あれにコラージュみたいな、そういうものいっぱいくっつけて、それでまとめたいなという気はあるんです。そういうのは時間かかると思うのですよ。

うちのね、また女房の話出るけどさ、『戦争』がいちばんおもしろかったっていってた。ただ、ぼくは『ブルー』の方が好きだけど。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が発表されるのは1985年のこと。

1980年代前半までという区切りをつけるなら、この作品は間違いなく、村上春樹の代表作だった。

一人と二人の日常

あのね、ぼくは一人っ子で兄弟いないんですよね。そういうのでずいぶんね、だれだっけ、一人っ子であるだけで精神異常だっていった人いたけどさ、それは何となくわかるね。「一人っ子文学」ってジャンルがあってもいいと思うくらい。

でもいまでもね、何がしあわせかっていうと、家に帰るでしょう、だれもいなくてね、電気が消えてて真暗というのがいちばん好きなのね。

一人っ子を掘り下げて書いた作品と言えば『国境の南、太陽の西』を思い出す。

(子供について)
うちもね、そろそろもうつくろうかなとは考えているんだけど、どうなるのかな。たださ、子供作るのって女房が家で待ってるよりもっとヤバいって気はするな、少し。これ以上関わりあう人間増やしたくないとも思っちゃうね。

結局、村上夫妻は子供をつくらなかった。

ぼくは朝九時半に起きるでしょう、それから仕事に行くわけですよ。昼間、ランチタイムがあるでしょう、あれものすごく忙しいんですよ。もう地獄みたいなもんですよ。

で、夜ね、やっぱり朝まで書いちゃうでしょう、そうしたらあくる日の仕事がものすごく辛いからね、セーブしちゃうんですね。だからやっぱり、ああいう文体になっちゃうんだな(笑)短いチャプターで。

対談では、ジャズ喫茶オーナー時代の村上春樹の話をたくさん聞くことができる。

それが、この対談集の魅力だと思う。

でもね、ぼくらの商売ってのは人に頭を下げる商売なんですよね。ずっと延々頭下げるわけよ。そうするとね、もうあの商売以外では頭下げたくないと思うのね、ほんとにそう(笑)

だからね、ぼく生意気だとよく思われるけど、ま、実際生意気なんだろうと思うんだけど、やっぱりね、頭下げたくないと思うのね。

「生意気」というのは、当時の村上春樹のアイコンでさえあった。

良い子になりたいとはそんなに思わない。だって世の中に良い子なんていないもの。

僕だって親切な人間になりたいと思ってさ、いろんな人に金貸したりしたよ。でも一銭だって戻ってこないんだよね。それでひと言「嫌だ」って言えるように一生けんめい自分を訓練したんですよ。だから生意気だと思われても、それはしようがないと思うのね。

誰かに何かを頼まれても、ひと言「嫌だ」と言えるのが村上春樹。

文学全集に『ピンボール』を入れたいとお願いされたときも、ひと言「嫌だ」って断っているように。

がまん、がまん、そして感動

ぼくは自分で抑えちゃうんですよ、感動みたいなの。ぼくは本当はぐしゃぐしゃに四回も五回も書き直す方なんだけど、『ピンボール』の、最後のところは一切書き直しなしで書いちゃったわけですよ。

いやなのね、すごく。一気に書いちゃうというのはすごくね、自分の中で警戒しちゃうんですよ。

(『1973年のピンボール』について)
あの、パチッと押すとワーッと全部つくでしょう。あれはね、本当にあるんですって。ああおいう感じというのはプロじゃないとわからないんだけど、あんたはやったことありますかというから、ない、ない(笑) いいかげんに書いちゃったんだけどね。

ぼくの場合がまんというのはないな。感動もたいしてないです。たとえばああいうシーン書くときにさ、恥ずかしいわけですよ。よく書くよ、いいかげんなことをと思うね。

書いてるときはね、もう、いやだなあ、こんなこと書いて、キザだなあと思ってね(笑)

いいかげんなこと書くなあと思って書いてるわけでね。やっぱりそういうのすごく警戒しちゃうのね、自分で。

ぼくは書いてる途中で悪態ばかりつくのね。ちきしょうとか、くそとかさあ。で、女房おこるわけ、聞くに堪えないってさ(笑) もう小説書くの止して平凡な夫に戻りなさいってさ。

村上春樹の小説には、意図的に嘘が書かれている場合があるので注意が必要。

日本の小説、外国の小説

ぼくの場合は、それも性格的なものがあると思いますけど、日本語の小説をあまり読んでないせいがあると思うのね。言葉が、使い方がわからないんですよ、日本の小説の言葉の使い方というのが。

全く読んでないってわけじゃないんですよ。少しは読んでる。例えば谷崎潤一郎の『細雪』、十年ばかり前に読んだんだけど、凄いなって思うわけ。でもそれで谷崎を集中的に読むかっていうと、そうじゃないんです。

でも、マルケスとかジョン・アービングだとか、オルグレンだとか、なんでもいいけど外国のピンとくる小説読むと、どんどん読み進みたいって気がするわけですよ。何故だかわからないけど、僕の心の乾いた部分に向けて押し寄せてくるものがあるんだと思う。

まあ図式にしてみれば僕という人間がいて、そのまわりを日本的な状況を否定したり、それに目をつぶったりしたいとは思わない。ただね、僕がやりたいと思うのは僕なりに世界、あるいは外国と言ってもいいんだけど、と交信し、そこから日本的な状況に向けてフィードバックしたいっていうことなんですよ。

だからこそ外国を舞台にした小説は書きたくないし、外国にも今はそれほど行きたくないんです。

外国を舞台にした作品は、村上春樹には似合わないような気がする。

逆をいうと、それは、村上春樹の小説が日本的だからということになるのかもしれない。

ただ、そういうのって、危ない作業ではあるなって自分でも感じますよ。今、日本の小説を読むってのは、そういう意味で辛いんです。違うグラウンドにひきずり込まれそうな気がしてね。日本語の力ってのはやはりダイレクトだし。もう少し落ちつけば読むつもりです。いつかね。

ぼくの場合、日本の小説育ちじゃないから、日本語的な形容詞の使い方ってわからないわけ、比喩なんかが。アメリカ語の小説読んでいるでしょう。それを持っていこうとするんだけど、英語と日本語の文化圏、ぜんぜん違うでしょう。そぐわないわけよね。そぐわないところがね、けっこう人が新鮮だと思うのかなと思うけど。本人はべつにむりして書いているわけじゃないんだけどね、意識して。ただ、ああいうふうに出てきちゃう。

アメリカ文学の容れ物と日本語のぶつかり合いの結果で生まれたものが、村上春樹の小説だった。

うちはおやじとおふくろが国語の教師だったんで、で、おやじがね、とくにぼくが小さいころね、『枕草子』とか『平家物語』とかやらせるのね。でね、もう、やだ、やだと思ったわけ。それで外国の小説ばっかり読みはじめたんですよね。

おふくろはね、僕を生んでからは先生やっていなかったけどね。絶対に日本の小説読みたくないと思ったんですよ、小さいころ。まして日本語で小説書くなんて思いもよらなかったな。

少年期・青年期の文学体験は、作家に与える影響が大きい。

村上春樹の小説は、少年時代の家庭環境の反動から生まれたものだった。

ぼくね、あえて好きだといえば、小島信夫、庄野潤三の初めのころありますよね、あのへんはわりに好きだった。何かの事情で学生のころ読んだんですよね。『アメリカンスクール』とか『プールサイド小景』、あれはね、ぼくはすごくおもしろかった。いまでもおもしろいと思いますし、時々読みかえしたりしますよ。

好きですね、いいですよね。でも編集者の人に、あれが日本文学の本流ですかって訊くとそうでもないみたいだけど。

それから夏目漱石なんかわりに読みやすいような気がするよ。あの人は英語をやってたんでしょう。英文学。だから何となくね、眺めていると日本語的じゃないような気がするんですよね、使われている言葉は古いけど。いつかまとめて読んでみたいと思いますね。好きになれそうな気がする。

(太宰治について)
ぼくはね、高校の教科書に『走れメロス』って、あれしか読んでないのね。あとは読んでないんだなあ。

ここで、ようやく庄野潤三が登場(笑)

小島信夫『アメリカンスクール』は、『ブルータス』の特集の中でも採りあげられている。

僕にとっての名文とは

文章というのは非常に可能性があると思うんですよね。

大江さんというのはものすごくわかりにくい文章書くじゃない。大江健三郎さん。でも、あの人はね、だれにでもわかる文章を書きたいと思って書いているらしいのね。たとえば土方にでも、バアのホステスにでも、だれにでも本当にわかるやさしい文章を書きたいと思って努力してるんだって。

そりゃね、多くの人に読まれる文章というのは多かれ少なかれ名文ですよ。ただ自分にあった酒や自分にあった音楽があるように、自分にとっての名文というのはある。

僕にとっての名文というのは恥を知っている文章、志のある文章、少し自虐、自嘲気味ではあっても、心が外に向けて開かれている文章、、、というのは少し漠然としすぎているかもしれないですけれど、具体的にそれに近いものをあげていけば、スコット・フィッツジェラルド、カポーティ、上田秋成、少し質は違うけどレイモンド・チャンドラー、そんなところかな。

(ヘミングウェイについて)
どうなんでしょうね、名文なのかなあ、あれ。わかんないけども。ラジオ体操して飯食って、昼寝して酒飲んでギョーザ食って、という感じの文章だな。

村上春樹の文章ということでいうと、レイモンド・チャンドラーの影響は、非常に大きいと思う。

初めてチャンドラーを読んだとき、まんま村上春樹だと思ったくらい。

東欧文学というのは僕は非常に好きですね。粗削りでありながらおそろしくソフィスティケートされていて、土着的でありながらポップなんですよ。戦争体験を描きながらも、戦争じゃないみたいだ。

とくにポーランドとかチェコって好きですね。国民性とか民俗とか国家を描こうとすればするほど、概念的になっていくという部分がある。

日本のいまの状況でぼくがいまいちばんひっかかっているのは、パワーに対する志向なんですよ。政治的にも、文学的にもね。結局ね、状況が多様化すればするほど包括されたいって意識はあると思うわけです。それがある種の父性的なパワー志向に傾いていくようなね。

さっき言った感性志向とパワー志向は全く逆みたいに見えるけど、本当は表裏一体なんじゃなかろうか、とふと思うわけ。まんなかがさ、こうすっぽりと欠落しちゃってる。じゃあ、まんなかは何かってことになるんだけど、文学に対する「コンセンサス」、これがまんなかに来るべきものじゃないかと思う。

つまりね、純文学は中間小説をバカにして、中間小説は純文学をバカにしてる。一般的にね、そういうフシがある。でもそれぞれがさ、明確な受け皿を持ってそうやっているのかっていうと、そうでもないような気がするのね。

村上春樹以降、純文学とか中間小説の区別の意味は、あまりなくなったような気がする。

そもそも、村上春樹が純文学かどうかということさえ疑わしいから。

そんなカテゴリを無意味にさせてしまうのが、村上春樹が描く小説の世界だった。

言い方を変えると、エンターテイメントの容れ物を使って純文学を書く、という感じ。

村上春樹は、どこかから容れ物を借りてくるのが、非常に上手な作家だったということだろう。

それから高度成長があって、日本も金持になって、車やらカラー・テレビやらも持つようになった。円高で外国にも行けるようになった。でもね、こんなのってちっとも僕は嬉しくないわけです。外国にも行きたくないし、車もカラー・テレビもいらない。僕がほしいのは自分が間違ったことをやってないっていう心のはりだよね。

だから国家だとか権威だとかいったある力を持った存在に極端に反応しちゃうのかもしれない。裏切られつづけてきたからさ。文学的権威というのも嫌だね。

文壇に加わらないという姿勢も、クールな作家という村上春樹のイメージを構成していた。

島耕作風に言うと「いつまで団塊の世代を引きずっているんだ、村上」っていう感じはあるにしても。

僕が『ピンボール』のあと短いものの中でやりたいと思ったのは、僕の体の中にあるパワーを、どこかに封じこめたいということなんですよね。鉛の箱かなんかにおしこめてさ、机の上にのせて、それを眺めながら文章を書きたいと思った。

ただ、ぼくのジレンマというのは、はたしてパワーを全部切っていって小説として成立するのかというのがいまジレンマ。僕にもやっぱり、パワーはそれなりにあるわけだからね。あるやつを振っ切れないのね。

(『風』にも『ピンボール』にも汗とか血とか涙の匂いはしますよと言われて)
うん、それはあるからね。底にはあるんだね、絶対に。なきゃ書けないもの、絶対に。でも、読む人があんがいね、そう思わない。あ、またもう一つ軽いところでお願いしますとか(笑)

軽く書くのって人間ができてないと書けないんですよ。僕はまだ人間ができてないからすぐマジになっちゃうところがある。若いから仕方ないんじゃないかって思ってるけど、ひとごとみたいに。

ぼくだって村上龍氏みたいに書きたいと思うときもあるのよ、やっぱり、うん。本当に思うんですよね。あ、こういうふうに書きたいなと思うんだけど、書けないんですよ。

でも本当にね、心のうちを洗いざらいね、ぶちまけたいと思うときがあるよ、やっぱり。それがなきゃね、小説書く意味はないと思うんだね。

いろんなことやりたいと思うしさ、でのそのへんはなんか、性格的なものですね、どうしてもATSがきいちゃうのね。

村上春樹の小説にも「汗とか血とか涙の匂い」がある。

全体に渇いた文章の中に、汗や血や涙の匂いがほんのりと漂っているから、それは一層に印象深いものとなる。

What happened is all good

ぼくの場合はね、『風の歌』と「ピンボール」を書いたあと、いくつか短いものを書いた。で、振子でこっちへ戻ったわけね。で、また戻ると思うの、でも、戻っていくところは依然とは別のところでしかない。それじゃないとね、小説は書き続けられないと思うわけです。

で、来年の夏ぐらいからまたあれのシリーズの三作目、007みたいだけどさ(笑)書き始めようと思うんだけど、これはやっぱり一つ目、二つ目とは違う世界になっていると思うんですよ。そうでなきゃ意味ないし。

で『コインロッカー・ベイビーズ』の影響を受けたわけじゃないけど、ぼくも長いものを書きたいと思う。もうそれであのシリーズおしまいにするつもりです。どうもあれ書いてると愛着もあるし、抜けられなくなってくるから。

村上春樹が「羊三部作」(あるいは「鼠三部作」)の最終編を発表するのは、1982年のこと。

だからまったくぼくは、むかしのことはあまり思い出さないの。後悔というのはしたことないんですよ、不思議な性格だけど。ああすればよかったとは絶対思わない。

ぼくはさ、もっと非常に、強風が吹き荒れている感じがいま書きたいなという気がするのね。非常に冷たい風がね、霙まじりの。

ぼくはね、時代はこれからどんどん、どんどん悪くなっていくと思うのですよね、絶対よくはならないと思う。

で、どちらでもさ、崩壊というのをいちばん問題にしたいわけだけど、必ず崩壊はくると思うのね。経済的にも精神的にも。そこで小説がどう生き残っていけるかというのがやっぱり問題だと思うのですよ。

短期的に見ると、1980年代は著しい景気上昇の時代だったが、1990年代以降は、村上春樹のいう「崩壊の時代」へ突入する。

そして、村上春樹が本当の意味で活躍するのは、日本が「崩壊の時代」をさまようようになってからのことだった。

六〇年代、七〇年代に何があったのか

いまね、いちばんアメリカの小説でおもしろいのはスチーブン・キング、「シャイニング」書いた人、ね。

いわゆる「純文学」の形て語っちゃうと嘘になっちゃうっていう感じはあるよ。そういうの読むと「嘘だ嘘だ」って思う。腹が立つ。腹が立つから読まない。

ある時期まで、村上春樹とスティーブン・キングは、いろいろな場面で比較対象とされた。

いつからだっただろう、村上春樹の文学を語るときにスティーブン・キングの名前を出すことが少なくなってしまったのは。

ぼくはね、デモっていうのが嫌いだったのね。というのは、ぼくは人と手をつないだり触れ合うってすごく嫌いなの。で、デモに行けなかったんですね。それはいまでもそうだけどね。

でもぼくはね、六〇年安保というのはテレビで見たんですけどね、樺美智子さんが死ぬ前後ね。あれはものすごくショックを受けた。ぼくら中学に入ったころですね、六〇年。

でね、結局計算するとね、七〇年にはぼくは二十一になっていると。で、中心の世代なわけ、七〇年闘争のね。やっぱりそれに向かなきゃいけないと子供心に感じたわけ。やっぱりそれに向けていったんだけど、いざやってみると何もなかったのね。そういうむなしさみたいなのがすごくあるんですね。

村上春樹の魅力とは何か?

本書を読んで感じたことは、村上春樹のアグレッシブな姿勢である。

当世一流の人気作家・村上龍を相手にして、決して遠慮することがない。

龍の主張にも平然と反論を立て、「僕はね」「僕の場合は」と、ひたすらに自分をアピールしている。

村上春樹って、もっと謙虚で控えめな印象があったから、これはちょっと意外だった。

でも、その分だけ、この対談では、村上春樹の考え方を知ることができて楽しい。

対談の内容は、基本的には文学論であり、ベースにあるのは、村上龍・村上春樹という二人の作家による自己分析である。

互いに相手の作品と比較しながら、自分の作品を分析していくから、議論の軸が明確なので、作品解説としても分かりやすいものになっている。

村上春樹の場合、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』の二作しか出ていないのが残念なくらい。

こういうのを5年スパンくらいでやっていったら、きっと楽しいだろうなあ。

まとめ

『村上龍VS村上春樹 ウォーク・ドント・ラン』は、村上春樹が村上龍と比較された時代の、貴重な対談集である。

まだジャズ喫茶のオーナーをしながら小説を書いていた時代の村上春樹の、文学に対する考え方が克明に記録されている。

難しいことを抜きにして、1980年代の村上春樹を楽しみたい人にお勧め。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。庄野潤三さんの作品を中心に、読書の沼をゆるゆると楽しんでいます。