庄野潤三の世界

庄野潤三『つむぎ唄』日常生活のふとした瞬間に胸を打つ場面がある

庄野潤三『つむぎ唄』あらすじと感想と考察

庄野さんは夏が大好きな作家だったから、家族で海へ遊びに出かける場面というのが、作品の中にもしばしば登場している。

印象的なのは『つむぎ唄』(1963、講談社)に出てくる海水浴の話だろう。

「つむぎ唄」は、1962年(昭和37年)から1963年(昭和38年)にかけて「芸術生活」に連載された長編小説。連載開始時、庄野さんは41歳。次男の和也は小学一年生だった。

『つむぎ唄』は、三人の中年男性の家庭生活をスケッチ的に描いた作品だが、登場人物のうちの一人の「秋吉」が、家族を連れて海水浴へ行くエピソードがある。

物語の冒頭、「まあ、うちの社の連中でも、おれたちの年輩の者は大抵、お腹が出て来ている。まだ四十になるかならないかという頃から、お腹を気にしている。おれなんか、こうして去年の海水パンツがちゃんと入る」と自慢する秋吉に、「お父さん、あなたは引きしまってるのじゃなくて、痩せてるんですよ。男の人は、お腹が出て来るのを心配するくらいでなくては駄目なのよ。それが貫禄ですわ」と、妻がやっつける場面がある。

この「痩せている」男性は、きっと庄野さん自身の姿ではないだろう。

阪田寛夫『庄野潤三ノート』によると、『つむぎ唄』に出てくる「秋吉」のビジュアルは、作家で友人の吉岡達夫をモデルにしたものらしい。

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講談社
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昔のあの賑やかだった家は、どこへ行ってしまったのか

秋吉一家が、この海辺の宿へ遊びに来るのは、これでもう四回目のことである。

いちばん最初に秋吉が細君と子供を連れてここへ来たのは、六年前の夏であるが、その年の村の様子と今年の村の様子に少しも変りがない。同じところに同じ八百屋があり、同じ道ばたに漁師の網が乾してある。同じ井戸の横でお婆さんが洗濯をしているし、同じ家の卓袱台で裸の親父が立て膝をして夕飯を食べているという具合だ。何でも変って行くように見える世の中で、六年前とそっくり同じであるように見えるこの海べの村の眺めは、秋吉には珍重すべきものに思えるのである。(庄野潤三「つむぎ唄」)

「何でも変って行くように見える世の中で、六年前とそっくり同じであるように見えるこの海べの村の眺めは、秋吉には珍重すべきものに思えるのである」は、もちろん、作者である庄野さん自身の言葉だろう。

この作品が、高度経済成長のまっただ中の時代に書かれたことを思えば、「六年前とそっくり同じであるように見えるこの海べの村の眺め」に心を奪われている秋吉の感動は、決して不思議なものではない。

子供たちと細君が水をかけあっている横で、秋吉は砂浜に腰を下ろしながら、少年の頃の家庭を思い出す。

汽車に乗ってここへ来る途中には、海へ近づいて行くあのときめきがもう一度蘇って来るように思える瞬間があった。(略)このときめきは、小学生の頃の夏休みにいつも待ちうけていてくれたあの喜びのかすかな名残であろうか。それとも、昔をなつかしく思う心が空に捉えた幻のようなものであろうか。父も母もとうに死んでしまって、もうこの世の中にはいない。昔のあの賑やかだった家は、どこへ行ってしまったのか。(庄野潤三「つむぎ唄」)

海へ近づいていくときめきが、少年の日の夏休みの思い出となり、少年の日のときめきが、賑やかだった家族の思い出へと繋がっていく。

早くに父と母を失くしたアラフォー男性の感傷は、妻や子どもたちと浜辺で騒いでいる、ふとした瞬間に、浮き上がってくるということだろうか。

どうしておれはこういう情景に惹かれるのだろう

この物語には、もうひとつ名場面がある。

浜辺では漁師が船を出してきて、泳ぎ場の底に沈んでいる大きな石を拾い上げては、沖へと捨てる作業を繰り返していた。

泳ぎにやって来る夏の客のために、海岸をきれいにしているのだ。

二回目に石を積んで重くなった舟が、五、六人の漁師を載せて出て行った。やがて舟の上から石を手早く次々と海へ落し込む姿が遠くに見えたが、水の音は聞えなかった。「何だろう」一人だけそちらを見ている秋吉は、自分に問いかけた。「どうしておれはこういう情景に惹かれるのだろう。何がおれをこんな風に立ち止って見させるのだろう」(庄野潤三「つむぎ唄」)

「どうしておれはこういう情景に惹かれるのだろう。何がおれをこんな風に立ち止って見させるのだろう」という問いかけの答えは出てこない。

秋吉は、細君と子どもたちが叫んでいる海へと泳ぎ始めてしまうからだ。

それは、労働者に対する畏敬の念であったかもしれないし、少年の日を思い起こさせる何かだったかもしれない。

あるいは、もしかすると、秋吉自身にも(庄野さん自身にも)、その答えは分かっていなかったのではないか。

日常生活のふとした瞬間に、どうしてか胸を打つ場面がある。

庄野さんは、そうした瞬間を、ただひたすらに描き続けていただけなのかもしれない。

書名:つむぎ唄
著者:庄野潤三
発行:1963/7/20
出版社:講談社

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。