いろいろの世界

つげ義春「新版貧困旅行記」乞食に憧れた現実世界からの逃避

つげ義春「新版貧困旅行記」乞食に憧れた現実世界からの逃避
created by Rinker
新潮社
¥737
(2024/04/19 10:31:10時点 Amazon調べ-詳細)

「旅は日常から少しだけ遊離している処に良さがある」と、著者(つげ義春)は言う。

「非日常というと大袈裟だが、生活から離れた気分になれるのが楽しくもある」ということが、つまりは旅の目的であり、そんな著者流の旅の記録を集めたのが、本書「貧困旅行記」である。

「貧困旅行記」というのは、「貧乏な旅と、旅の内容と自分の内容の貧困に拠る」と著者は説明しているが、実際に本書を読んだとき、その旅は決して貧しいものではないことが分かる。

経済的な部分では、確かに高級ホテルを泊まり歩くような豪遊ではないけれど、それは旅の好みの問題であって、ヒッチハイクと野宿を重ねるバックパッカーのような旅ではない。

内容に関しては、むしろ文学的教養の豊かな紀行文であって、著者は相当に近現代の紀行が好きだったらしい。

田山花袋や井伏鱒二や深沢七郎の旅行記を引き合いに出してみたり、川崎長太郎や葛西善三の小説に思いを馳せてみたり、小島烏水、小暮理太郎、田部重治、河田楨、大島亮吉、中村清太郎、辻まことなどといった登山家の紀行文に触れてみたり。

戦前に発行された「山村巡礼」という紀行本に紹介されている「山梨県一の貧乏村」を訪ねるなど、著者の旅は名所・旧跡を巡る旅ではなかった。

宮本常一の「日本の宿」を引用して、「落し宿」という泥棒を泊めるための宿に関心を示してみせたり、四国遍路にあった「カッタイ道」という裏道には、ライ病遍路専用の宿泊小屋があったことを思い出してみたり、著者の旅には「社会からこぼれてしまった者たち」への思いが常に寄り添っている。

現実からの逃避を旅に置き換えたりしているから、突然思いついて「蒸発旅行」に出たりしていたのだろう(そして、蒸発の旅は長くは続かなかった)。

「現在は妻も子もあり日々平穏なのだが、私は何処かからやって来て、今も蒸発を続行しているのかもしれない」と綴る著者にとって、旅は常に現実世界からの蒸発であり、人生そのものが蒸発とも呼べる旅のようなものだった。

なお、本書に多数収録されている写真は、昭和40年代の日本各地に残されていた伝統的な宿を記録したものであり、民俗学的にも非常に価値の高いものである。

旅は彼自身からの脱出である

秋田県五能線の八森近くの海辺に沿う崖道を線路づたいに歩いて行くと、線路下の草むらの中に炭焼小屋と見まごう掘立小屋のような宿屋があった。近くに人家はなく、宿屋の周囲は草ぼうぼうで、およそ宿屋をするにはふさわしくない寂しい所で、人に尋ねて教えられた宿屋だったが、看板もなく怪しく眺めた。片方だけに傾斜したトタン屋根のスソは、土盛りした線路の土手にかぶさり、土手を屋根の支えにしている見すぼらしさで、これが宿屋かと呆然とした。(「ボロ宿考」)

つげ義春の旅は、宿を中心として構成されている。

「どこへ行くか」ということ以上に、「どこに泊まるか」ということが重要で、好みの宿がないような場所には行かない。

宿が地域のひとつの象徴だとすると、好みの宿もないような場所には、見るべきものもないと判断されるのだろう。

著者にはどこか「世棄て人」への共感みたいなものがあったようで、何にも縛られずに生きていく乞食に対して信仰に近い畏敬を感じていたらしい。

想像を絶するような粗末な宿を見つけて、「よくよく貧しい者か、放浪者、不治の病いを負った者とか、私のような神経弱者とか犯罪者のような、社会からこぼれてしまった者たち」に思いを馳せ、「そういう貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる」「侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎを覚える」などと考えたりしている。

彼の旅は、彼を取り巻くしがらみからの脱出であり、彼自身からの脱出であった。

自分が存在しない架空の現実への憧れ

私が好んで旅をしてきたのは、村里や街道や宿場、鄙びた漁村や温泉場などで、そこには人の営みや温もりの感じられる所ばかりだった。付近の景色にしても、生活やら何かしら感情を思わせるものがあった。(「日原小記」)

世を捨て、しがらみから脱することを憧れていながら、著者の旅は決して人間世界から離れたりしない。

例えば無人島で暮らしてみようと思わないのは、根本的に彼が「人間を愛している」ということであって、あるいは、人間を好きすぎるあまり、周囲に関心を持ちすぎて、心が疲弊したということも考えられる。

彼が望んでいたのは、「人間がいない世界」ではなく、「誰も自分を知らない世界」であり、「自分が存在しない架空の現実」とも呼ぶべき場所であった。

もしかすると彼は、「貧しい宿」に宿泊することによって自己否定を図りながら、新しい自分を創造しようと考えていたのだろうか。

書名:新版貧困旅行記
著者:つげ義春
発行:1995/4/1
出版社:新潮文庫

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。