週末、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を久しぶりに読んでいる。
最近は、日本の(純文学の)短篇小説ばかり読んでいたので、反動がやってきたのだろう。
もう何度読んだか分からない「長いお別れ」なのに、相変わらず、この小説は僕を楽しませてくれる。
「長いお別れ」は、チャンドラーの<フィリップ・マーロウ・シリーズ>の作品の中で、最もボリュームのある長編小説である。
せっかくなので、何度かに分けてレビューしておきたい。
チャンドラーが「長いお別れ」を発表したのは、1955年のことである。
以来、この小説は、レイモンド・チャンドラーの代表的傑作と呼ばれるようになった。
すべてのチャンドラー作品において、最も完璧で、最も素晴らしく、最も人気のある作品である。
「アルコールは恋愛のようなもんだね」と彼はいった。
この長篇小説は全部で53の章から構成されているが、物語の序幕とも言えるのが、1から5までの章である。
物語の語り手である<私>、つまり私立探偵のフィリップ・マーロウは、ある夜、<ダンサーズ>という店の駐車場で、泥酔していた見ず知らずの男(テリー・レノックス)を助ける。
テリーはおそろしく酔っていたが、実に「礼儀正しい酔っぱらい」だった。
次にテリーと会ったとき、彼はやはり泥酔していた。
警察官に保護されようとしているところを、マーロウは救い出し、二人は友だちになる。
仕事を見つけるために、ラス・ヴェガスへ向かったテリーは、やがて、大金持ちとなって、マーロウの前に姿を現した。
富豪の前妻シルヴィア・レノックスと再婚して、テリーの生活はまともなものになったように見えた。
二人は<ヴィクター>のバーの隅に座って、一緒にギムレットを飲むようになる。
「アルコールは恋愛のようなもんだね」と彼はいった。「最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ」(レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」)
しかし、マーロウがテリーの弱点を指摘したときから、彼は姿を見せなくなってしまった。
次にテリーが姿を現したのは午前五時で、彼の手には拳銃が握られていた。
「チュアナまで車でつれてってくれ」と、テリーは言った。
マーロウは、テリーが何らかの事件に巻き込まれていることを感じながら、彼をチュアナの空港まで自動車で送る。
それが、テリーに会った最後だった。
わかってるよ。ぼくは弱い人間だ。度胸もなく、野心もない。
「長いお別れ」の序幕は、マーロウがテリー・レノックスと出会って、友だちとなり、やがて別れるまでの経過を描いた物語である。
特別の事件は起こらないし、他に重要な登場人物はない。
もしもあるとしたら、それはテリーと別れ、やがて再婚することになる彼の妻<シルヴィア・レノックス>くらいのものだろう。
だが、その彼女にしても、ほんのスパイス程度の登場でしかなくて、「長いお別れ」の序盤は、マーロウとテリーの友情を描くことに、ほとんどが費やされている。
テリーと出会い、二人で酒を飲み、そしてテリーと別れたとき、本当の<物語>は始まる。
二人の出会いと別れは、物語の舞台を整えるだけの序幕に過ぎないはずなのだが、この長い小説の中で、僕は、この冒頭部分がいちばん好きだ。
なにしろ、マーロウとテリーとの交流は、この序盤でしか描かれていない。
そもそも、テリー・レノックスが実際に登場するのは、まさしく、この序盤だけなのだ。
「わかってるよ。ぼくは弱い人間だ。度胸もなく、野心もない。真鍮の腕輪を捜しあてて、金じゃなかったことに驚くような人間だ。ぼくのような人間は一生のあいだに一度、すばらしい機会に恵まれる。一生に一度は空中ぶらんこですばらしいスイングをやって見せる。それから後は舗道から下水に落ちないようにして一生をすごすんだ」(レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」)
二人の孤独な男性が友情を育んでいく場面に、僕は憧れてしまう。
二人の厚い友情が、この後の物語を、切なくもドラマチックなものへと展開させていくのだ。
書名:長いお別れ
著者:レイモンド・チャンドラー
訳者:清水俊二
発行:1976/4/30
出版者:ハヤカワ文庫