庄野潤三の世界

庄野潤三「静かな町」ミシシッピー州ナチェッツで出会った人々の思い出

庄野潤三「静かな町」あらすじと感想と考察
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庄野潤三「静かな町」読了。

本作品は、1959年10月「別冊小説新潮」に発表された短篇小説である。

作品集では『道』(1962年、新潮社)に収録された。

「静かな町」は、アメリカ留学時代にミシシッピー州を旅行した際の記録のひとつで、前回取り上げた「南部の旅」の続篇と言える作品である。

「南部の町」では、オハイオ州ガンビアから遠距離バスに乗って、ミシシッピー州ナチェッツに到着するまでの様子が描かれているが、本作「静かな町」では、ナチェッツの町に宿泊した際の体験が綴られている。

だから、作品名の「静かな町」というのは、ミシシッピー州ナチェッツのことを示している。

六日間の旅行の中で、庄野夫妻がホテルに泊まったのは三晩のみであり、その中で、最もおもしろい経験をしたナチェッツの町が、ひとつの作品として採りあげられたものらしい。

ナチェッツの町で夫妻は、この町で一番大きく、そしてたった一つのホテルであるイオナ・ホテルに宿泊するが、案内された二階の部屋は、しっくりと古風に落ち着きがあって、庄野さんたちの気に入るようなホテルだった。

ニコディム夫人が貸してくれた旅行案内によると、ナチェッツへ来た旅行者のほとんどは、この町の富豪の邸宅の一つであったスタントン・ホールの庭にある「オールド・キャリッジ・ハウス」(古い馬車小屋という意味)という店で、焼いたハムや南部風フライド・チキンのどちらかを食べているものと思われる。

二人は、イオナ・ホテルの筋向いにバアが二軒あるのを見ておいてから、「オールド・キャリッジ・ハウス」で夕食を取ることに決めた。

二軒あるうち、庄野さんが選んだバアは「フォルスタッフ」というビールの看板を出している店だった(このとき、庄野さんは、一昼夜半のバス旅行で咽喉が乾いていたため、「何はさておいてもビールを飲みたかった」と綴っている)。

バアには客が二人と主人がいて、客のうちの一人はこの町のシェリフ(保安官)だった。

このシェリフは非常に親しみのある友好的な人で、二人にビールを御馳走してくれたり、町の紹介をしてくれたりする。

バーヒン氏という、このシェリフとの出会いが、ナチェッツの町を短篇小説として書かせることになる大きな要素であったことは間違いないだろう。

彼はまたアメリカの海兵隊で沖縄へ行ったことを話した。それから少し声を低くして、「我々海兵隊は、よく戦った日本の海軍を尊敬していた」と私に云った。静かに、丁寧に云った。「私はナチェッツで生れた。私の祖先はフランスから来た。バーヒンという名前は珍しい名前で、自分はまだ一度もこの名前の人を見たことがない」(庄野潤三「静かな町」)

バーヒン氏に、もう一軒あるバアに連れて行かれた後で、夫妻はようやく「オールド・キャリッジ・ハウス」で夕食を食べることができる。

バアで男たちが飲んでいる間、庄野夫人は何度も「スタントン・ホールが閉まってしまうと困る」と、庄野さんを促していたのだ。

たった一泊しただけのアメリカ南部の「静かな町」

夕食後にバーヒン氏と約束していた庄野さんは、再びバアへと戻り、バーヒン氏と挨拶を交わす。

庄野さんと別れるとき、バーヒン氏は「何でも自分に出来ることがあったら云って下さい。グッドナイト」と言って握手をした。

バアを出た二人は、映画館で映画を観てからホテルへ帰る(そう言えば、どこか旅行をするとき、庄野夫妻は実によく映画館へ入っているような気がする)。

翌朝、庄野さんは、夫人と一緒にナチェッツの町を歩いた。

学校があった。黒人も少し歩いていた。どこかの大きな邸の中から、働いている黒人の召使が二、三人で大きな声で歌をうたっているのが聞えて来た。どなっているような歌い方であった。(庄野潤三「静かな町」)

シェリフのバーヒン氏をはじめ、この町で出会った人々の親しみやすさこそ、庄野さんがナチェッツの町を好きになった大きな理由だろう。

この小説を読んだ人は、いつか自分もミシシッピー州ナチェッツへ行ってみたいと思うはずだ。

書名:道
著者:庄野潤三
発行:1962/7/15
出版社:新潮社

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。