庄野潤三の世界

庄野潤三「愛撫・静物」なぜ夫は妻の過去を執拗に問い質すのか

庄野潤三「愛撫・静物」あらすじと感想と考察

庄野潤三さん初期の名作「愛撫・静物」を読みました。

ガチガチの純文学の匂いが素敵な短編集です。

書名:愛撫・静物
著者:庄野潤三
発行:2007/7/10
出版社:講談社文芸文庫

作品紹介

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「愛撫・静物」は、講談社文芸文庫オリジナル編集による、庄野潤三さんの短編集です。

サブタイトルに「庄野潤三初期作品集」とあるとおり、庄野さんの初期の作品が収録されています。

収録作品と初出/初刊
愛撫(新文学)昭和24年/恋文(文芸)昭和28年/噴水(近代文学)昭和29年~※以上3作『愛撫』所収(昭和28年/新潮社)///十月の葉(文学雑誌)昭和24年/臙脂(文学界)昭和29年~※以上2作『プールサイド小景』所収(昭和30年/みすず書房)///机(群像)昭和31年~※以上1作『バングローバーの旅』所収(昭和32年/現代文芸社)///静物(群像)昭和35年~※以上1作『静物』所収(昭和35年/講談社)

あらすじ

「愛撫・静物」は、庄野潤三さんの短編集です。

妻の小さな過去の秘密を執拗に問い質す夫と、夫の影の如き存在になってしまった自分を心許なく思う妻。結婚3年目の若い夫婦の心理の翳りを瑞々しく鮮烈に描いた「愛撫」。幼い子供達との牧歌的な生活のディテールを繊細な手付きで切り取りつつ、人生の光陰を一幅の絵に定着させた「静物」。実質的な文壇へのデビュー作「愛撫」から、出世作「静物」まで、庄野文学の静かなる成熟の道程を明かす秀作7篇。(カバー文)

なれそめ

庄野潤三さんの全作品読破に向けて、少し進んでいる今日この頃ですが、考えてみると、僕が読んでいる作品は、庄野さんの後期の作品が中心で、せいぜい代表作「夕べの雲」が一番古いもので、いわゆる初期の作品は全然読んでいません。

噂によると、庄野さんの場合、初期と後期とではかなりスタイルが変化しているようなので、後期の作品から入門した者が、果たして初期の作品を理解できるのだろうか?という不安はありましたが、いつかは通らなければいけない道であることは確か。

晩年の作品群ばかりを続けて読んで、いずれ飽きてしまわないとも限らないので、ここいらで、庄野さんが「第三の新人」と呼ばれていた頃の作品を読んでみようと思いました。

こういうとき、講談社文芸文庫は本当に便利ですね。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

おい、ひろこ、お前Tさんに抱かれたことがあるだろ?

おい、ひろこ、お前Tさんに抱かれたことがあるだろ?)あたしは、はっと驚いた。日記を見られたなとその時、あたしは感じた。(庄野潤三「愛撫」昭和24年)

「愛撫」は昭和24年に「新文学」に掲載されました。

庄野さんにとって「実質的な文壇へのデビュー作」と言われている作品です。

高橋英夫さんの解説によると「『愛撫』は発表当時から評判がよく、庄野潤三が有力な新人作家として認められてゆくきっかけをなした」「その意味では幸せな作品であり、最初の小説集のタイトルともなってよく読まれてきた」そうです。

解説者いわく「熱い人間、簡単にはあきらめない執拗な人間を、複雑な筋の組み立ての中で粘りづよく表現した力作」

妻の性経験を執拗に掘り下げようとする夫の執着心が、この作品の大きなテーマになっています。

仕事に失敗して、まるで元気を失った夫が、妻の不倫を疑ったときに「まるで別人のように生き生きして」、妻を質問攻めにするというストーリーは、愛情と疑心暗鬼で表裏一体となっている微妙な夫婦生活を感じさせます。

夫が元気を失くしたときに、その原因が仕事と知らない妻が「好きな人が出来たのかもしれなかった。もしそうだったら、(しっかりしなさい)と激励して上げたい気持であった」と綴る場面は、ちょっと太宰治の作品を思い出させます(方向性は全然違いますが)。

戦後間もない時代の純文学の匂いがぷんぷんとしていて、これは大好きな作品になりました。

その雲霧は二人が結婚してから三年目から四年目へかけてひろがっていた

私は現在自分が立っているところから逆の方向に歩き出してみて、自分が結婚した頃へ辿り着こうとして何時の間にか雲霧の中に行方を見失う思いがした。(略)その雲霧は二人が結婚してから三年目から四年目へかけてひろがっていた。この時期に私は恋をした。相手は同じ勤め先にいた年下の少女であった。(庄野潤三「噴水」昭和29年)

「噴水」は、昭和29年に「近代文学」に収録された作品です。

結婚3年目で、別の女性に心を奪われる夫に絶望して自殺未遂をする妻。

一方で、空襲で発狂した妻を、夫が甲斐甲斐しく世話をしていると近所で評判の夫婦が登場し、二つの夫婦関係が対比する形で、物語は進行していきます。

夫の恋が破れて夫婦関係は元に戻りますが、妻の心に残った傷跡は妻の夢の中へと現れ、「私は殆ど自分がこの地上のどこかでマリ子という女を愛して、誠実な妻を欺き、この父が大好きな長女をも欺いて恬として恥じなかった事実が存在したかの如き錯覚」に陥りかけます。

微妙なバランスの上で生きて行く夫婦の姿が描かれている作品です。

この時、不意に女のすすり泣く声が聞こえた

この時、不意に女のすすり泣く声が聞こえた。起き上ってもう一度聞こうとすると、その声は止んだ。妙だなと思って、しばらくそのままでいると、さっきと同じ泣き声が聞えた。(庄野潤三「静物」昭和34年)

「静物」は18篇の短い物語で構成された中編小説で、庄野潤三さんらしい、いわゆる「家族小説」のスタイルの作品です。

昭和24年の「愛撫」に比べると、作品としてかなり洗練されていて、整っているという印象を受けます(整っていることが良いかどうかは別として)。

父と母、長女、長男、次男という5人家族のささやかな日常生活の断片をスケッチしたような作品で、ひとつひとつのエピソードに直接的な関連性はありません。

解説の高橋英夫さんによると「『静物』は夫婦と三人の子供から成る一家の、取りたてて変わったこともない日常生活を、スケッチふうの連続体として表現している」と紹介しています。

それは「『静物』というタイトルの絵画展に行った感じ」であって、「一つ一つが比較的短い章を無造作に並べたよう」にも思えますが、「この無造作はただの無造作ではなさそうだ」と、高橋さんは指摘しています。

そして、過去の作品群に見られた「熱すぎるほど熱い人間的関心、複雑に絡まりあった対人関係への情熱的な眼差し、心理や想像の領域の膨満といった特徴がかげを潜めている」ところに注目します。

夫婦二人だけのものだった物語が、五人家族で構成されることによって、オーバースペックな表現を必要としなくなったということなのかもしれない、と僕は思いました。

読書感想こらむ

庄野さんの初期作品群はおもしろい、というのが最初の感想です。

近代の純文学作品に親しんできた自分にとっては、むしろ、昭和20年代の作品にこそ、文学としての庄野作品を楽しむことができるような気がします。

とりわけ、戦後間もない時代に書かれた「愛撫」や「噴水」といった作品に、僕は大きな興味を覚えました。

そして、一人の作家の初期と晩年で、こんなにもスタイルが変わるということに対する驚き。

庄野潤三さんの作品を読むのが、ますます楽しみになりました。

まとめ

「愛撫・静物」は、庄野潤三さんの初期作品集です。

戦後間もない昭和20年代の作品が中心。

晩年とは違うスタイルの庄野文学をお楽しみください。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪生まれ。

教員、会社員を経て、小説家に転身。

1955年(昭和30年)、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。