庄野潤三の世界

庄野潤三「旅人の喜び」一線を越えそうで越えられない人妻の焦り

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庄野潤三「旅人の喜び」読了。

帯には「女性の真の幸福とは何か?」「『静物』の著者が全女性におくる傑作長編」と書かれている。

裏表紙にも、小説の内容が紹介されていた。

「旅人の喜び」は昭和31年5月から翌年2月まで雑誌「知性」に連載された。29年「プールサイド小景」で芥川賞を受賞後、全力を傾けて取り組んだ長編小説であり、日常生活の完璧な小説化という庄野文学の神髄を発揮して、「静物」(新潮文学賞)への起点となった記念碑的な名作である。戦争中に青春をすごした女性が、平凡な結婚生活を送りながら、心の奥に何を秘め、何を求めて生きてゆくのか。それは波瀾であろうか、平安であろうか。女の真の幸福な結婚生活のあり方を追求した庄野文学の結晶である。(背表紙の紹介文)

主人公の矢追貞子には、5歳になる長女のユキ子がいる。

夫は平凡な会社員で、彼女の生活は、贅沢とまでは言えないにしても、日々平穏に過ぎていく、順調な毎日だった。

平穏な暮らしの中で貞子は、女性の生き方ということについて考えている。

初期の庄野文学の重要なテーマであった、夫婦生活の微妙なバランスを、妻の視点から描いた物語である。

あとがきで庄野さんは、「前の年(30年)に日本経済新聞に書いた『ザボンの花』が私のそれまでに書いた唯一の長篇小説で、雑誌の連載はこれが初めての仕事であった」「この仕事を続けていた間のことを思い出すと、毎月毎月、同じように難渋した記憶しかなくて、『旅人の喜び』という題をつけたことが皮肉に思われるほどだった」と述懐している。

家族の暮らしが、ほぼ自然の様子でスケッチされていた『ザボンの花』に比べて、『旅人の喜び』は、主婦が自分の暮らし(つまり生き方)ということに疑問を持ち、自分の本当の幸せはどこにあるのかということを探求していく物語である。

それは、日常のスケッチを通して主題を提示する文学とは異なって、主人公の貞子が、繰り返し繰り返し自問する哲学的な主題によって成立している文学である。

アメリカ人の美容師を好きになってみたり、娘の通うヴァイオリン教室の男性講師と夫とを比較してみたり、夢の中で自分の後をつけて来た謎の男性にわざと隙を与えてみせたり、貞子の潜在意識は、どこかで平穏な生活を否定しがちだ。

しかし、現在の平穏な生活が、平凡な家庭生活の上に成立していることも、貞子はちゃんと理解していた。

現状維持と現実逃避との境界線で、貞子の気持ちはいつでも揺れ続けていたのだ。

一線を越えそうで越えられない人妻の焦り。

庄野さんは、そこに平穏な家庭生活の脆さを見つけ出していたのかもしれない。

戦時中であったけれども、わたし達は愉快に毎日を送っていた。もう一度あの頃のように生きてみたい。

もしも、彼女が結婚してから幾度も経験したように、「女学校の頃はよかった。戦時中であったけれども、わたし達は愉快に毎日を送っていた。もう一度あの頃のように生きてみたい」という感情に捉われるなら、それは我とわが手で大切な今の(そしてそれが唯一の)彼女の生活を根底から崩すことにしかならなかった。(庄野潤三「旅人の喜び」)

貞子は現状の暮らしに対する不満を、はっきりと認識していた。

そして、その不満を解消すれば、現在の平和な暮らしを失ってしまうということも、また理解していた。

生きたいように楽しく生きるということは、平穏に暮らすということとは、同時には成立しないだろう。

この小説を読んで、昭和44年に中川五郎が発表した『主婦のブルース』というフォークソングを思い出した。

中年女性が平凡な自身の生き方を振り返り、「本当にこれでよかったのか、本当に私は生きたのかしら」と自問する、当時流の社会的フォークソングだったが、これは、昭和31年に「自分の生き方は本当にこれで正しいのか」と自問していた貞子の、15年後の姿だと考えることができる。

戦時下の不自由な暮らしから解放された日本の主婦は、「家庭」というまったく新たな、そして相変わらず不自由な暮らしの中に縛り付けられた。

戦争からの解放が、日本の女性にもたらしたものは何だったのか。

やがて時代は変わり、女性の社会進出が進んだけれど、「夫婦生活」という不自由な暮らしは、意外と変わっていないのかもしれない。

書名:旅人の喜び
著者:庄野潤三
発行:1964/2/25
出版社:河出書房新社(河出ペーパーバックス)

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。