児童文学の世界

井伏鱒二訳「ドリトル先生物語」を庄野潤三「ピアノの音」で読む

庄野潤三「ピアノの音」あらすじと感想と考察
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庄野潤三『ピアノの音』では、妻が読む「ドリトル先生」シリーズが、物語を彩るひとつの素材となっている。

何日か前、妻はいま『ドリトル先生アフリカ行き』を読み返しているという。

ドリトル先生。何日か前、妻はいま『ドリトル先生アフリカ行き』を読み返しているという。はじめは人間のお医者で、それも腕のいいお医者さんであったが、動物の好きなドリトル先生のところにいろんな動物がみてもらいに集まって来る。(「八」)

こうして始まったドリトル先生物語のエピソードは、いつの間にやら『ピアノの音』を構成する大切な要素のひとつに収まってしまった。

「こんな楽しい本を読めるようになったのは、井伏さんと石井桃子さんのおかげですね」と妻はいう。「その通りだ」という。のちに児童文学者になる石井桃子さんが最初にロフティングのドリトル先生物語を読んで、これを井伏(鱒二)さんに訳してもらって本にしようと考えた。それがおしまいに『ドリトル先生物語全集』(岩波書店)となって、日本中の子供に親しまれるようになった。石井桃子さんのお手柄であった。(「八」)

ドリトル先生物語の最初のお話である『ドリトル先生アフリカゆき』が刊行されたのは、第一世界大戦終了後の1920年(大正9年)。

日本では、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)に、石井桃子の勧めによって井伏鱒二が翻訳に取り組み、「ドリトル先生「アフリカ行き」」を刊行している。

私の子供も井伏さん訳のドリトル先生物語を読んで大きくなった。

私の子供も井伏さん訳のドリトル先生物語を読んで大きくなった。全巻揃った『ドリトル先生物語全集』は、小学生のころこの本を夢中になって読んだ次男が結婚して、私たちの家から坂道を下りて行った先の大家さんの二間の借家で世帯を持ったとき、次男に進呈した。その後、電車で一駅先の読売ランド前の坂道の上の家に移ったが、『ドリトル先生物語全集』は、その家の本棚に収まっているらしい。妻は、本屋でいまは岩波少年文庫に入っているドリトル先生を買って来ては読んでいるらしい。(「八」)

『アフリカ行き』に続いて、妻は『ドリトル先生航海記』を読み始める。

井伏さんの訳によるドリトル先生シリーズ全12巻は、岩波書店から『ドリトル先生物語全集』として、1961年(昭和35年)から1962年(昭和36年)にかけて刊行された。

次男の家にあるドリトル先生物語のエピソードは、フーちゃんシリーズの『さくらんぼジャム』(1994年、文藝春秋)にも登場していて、「昔家にあった岩波の『ドリトル先生物語』の本を全部次男に上げてしまったのが、今ごろになって惜しくなって来た」と、妻が言う場面がある。

その後、この老夫婦は、「こども世界名作童話」シリーズの『ドリトル先生物語』を買って来て、かわいい孫娘のフーちゃんの誕生日にプレゼントすることになる。

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ドリトル先生。妻は『航海記』を読み終った。

ドリトル先生。妻は『航海記』を読み終った。「面白くて二日で読んだ」という。『アフリカ行き』と『航海記』の二つを読んだ。その二つがドリトル先生物語のなかでもいちばん面白かったという印象が私にはある。最初に読んだドリトル先生の本であったからかも知れない。(「八」)

『さくらんぼジャム』には、「最初に絵本の『ドリトル先生航海記』というのを子供に買ってやって、それを子供も大人も一緒に読んだのではなかったか。家族みんながほぼ同じ時期にドリトル先生のファンになったような気がする」とあるから、庄野さんも、子どもたちと一緒に、井伏さんの訳した「ドリトル先生物語」をきっと読んでいるのだろう。

「ドリトル先生」に対する庄野夫妻の思い入れは、そんな家族共通の思い出があるからかもしれない。

妻は、『航海記』のあと、『ドリトル先生のサーカス』を読み始める。

『ドリトル先生のサーカス』。妻は、『航海記』のあと、『ドリトル先生のサーカス』を読み始める。ドリトル先生が傭われたサーカスのオットセイのソフィーは、ベーリング海峡にいる夫のことが心配でならない。様子を見に行きたいという。で、ドリトル先生がソフィーをサーカスからこっそり連れ出して、どんなに苦労して海の見えるところまで運んだかという話を妻が聞かせる。(「八」)

本作『ピアノの音』の「第八章」では、ドリトル先生シリーズを読み進めている妻の話が、幾度となく登場する。

妻とドリトル先生の話だけを取り上げて書けば、一篇の随筆が仕上がるところだが、エピソードを断続的に、庭にやって来るメジロや四十雀、庭で芽を出しつつある「英二伯父ちゃんの薔薇」や、妻が練習しているピアノ曲、ブルグミュラーの「せきれい」や、ハーモニカで演奏する「久しき昔(ロング・ロング・アゴー)」や、オハイオ州ガンビアから来日した邦子ウエバーさんと、ヒルトンの「武蔵野」で昼食を食べたことなど、様々な日常の暮らしの断片の中に織り込んでしまうことで、ドリトル先生物語の話も、物語を構成する大切な素材のひとつとなる。

夫婦の晩年シリーズの、これは大きな特徴のひとつだろう。

庭の草花や野鳥、妻のピアノ練習、作家のハーモニカ演奏。

繰り返される毎日の中に織り込まれる子供たちの家族や近所の人々との交流、素敵な読書体験。

そういう人生を彩る様々な素材が混然一体となることで、ひとつの大きな物語を構成しているのだから、夫婦の晩年シリーズが重厚でないはずはない。

最後に、作家が自らの読書感想を綴っているのではなく、妻から聞いた話を、そのまま物語として用いているところに、「聞き書き小説」を得意とする庄野さんの高い技術力が示されていることにも注目しておこう。

庄野さんは、実に他者の話を聞くことが上手な作家であった。

語りすぎない作家の力を、庄野さんは自分の作品の中で見せつけていたのだ。

書名:ピアノの音
著者:庄野潤三
発行:1997/4/18
出版社:講談社

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。