庄野潤三『ピアノの音』は、「群像」1996年1月号から1997年1月号(1996年10月号を除く)に連載された。
ちょうど1年間の連載だが、物語の中の時間は、連載時期と必ずしも一致しない。
『ピアノの音』は、1995年の8月半ば過ぎの妻の誕生日の3日あとに到着したフーちゃんの手紙から始まり、1996年の4月の下旬に書かれた長女の手紙を紹介するところで終わる。
夏の終りから翌年の春までの日常生活を素材とした物語ということになるから、連載の最終回では、半年以上のタイムラグが生じていたものらしい。
8か月の物語を12回に分けて書いているので、内容はかなり濃密なものになる。
というよりも、むしろ、このくらいのペースでなければ、日常を作品化するなんていうことは難しいのかもしれない。
ちなみに、『貝がらと海の音』は、1994年9月の始まりから、翌1995年の6月までの10か月間、『鉛筆印のトレーナー』は、1991年3月の始まりから年末までの10か月間、『さくらんぼジャム』は、1992年7月の始まりから、翌1993年6月までのほぼ1年間だったから、シリーズを重ねるにつれて、エピソードを精選して、丁寧に書くようになったということが言えそうだ。
夫婦の晩年シリーズとしては『貝がらと海の音』が最初だが、作家の日常生活を素材にした作品としては、フーちゃんシリーズの『鉛筆印のトレーナー』が最初だった。なお、フーちゃんシリーズには、先に『エイヴォン記』があるが、このときはまだ、作家の日常を主なテーマとするには至っていない。
なお、次回作の『せきれい』では、1996年8月の終わりから、翌1997年の4月の終わりまでの8か月が描かれているから、前作から若干の空白が生じている(1996年5月から8月まで)。
逆にいうと、連載時に、どの季節を抜き出して書くかということが、作品に大きな影響を与える可能性があるということだ。
偶然かもしれないが、夫婦の晩年シリーズの『貝がらと海の音』『ピアノの音』『せきれい』の3作品は、いずれも8月~9月にかけての季節に、物語が始まっている。
作中の「妻」の誕生日が8月半ば過ぎだということと、もしかすると関連性があるのかもしれないが、夏の終わりから始まるということに、庄野さんは何らかの意味を持たせたかったのかもしれない。
書名:ピアノの音
著者:庄野潤三
発行:1997/4/18
出版社:講談社