庄野潤三の世界

庄野潤三「ガンビアの春」旅行と回想に、大学と市民の評伝が積み重なる

庄野潤三「ガンビアの春」旅行と回想に、大学と市民の評伝が積み重なる
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庄野潤三『ガンビアの春』読了。

庄野夫妻が、ロックフェラー財団の給付奨学生(研究員)としてケニオン・カレッジで学ぶために渡米し、オハイオ州の小さな町・ガンビアで暮らしたのは、1957年(昭和32年)の夏の終りから1958年(昭和33年)の夏にかけての1年間のことだ。

帰国後、庄野さんは、1年間の留学生活を『ガンビア滞在記』(中央公論社、1959年)としてまとめている。

ガンビアでの生活は、いくつもの短編小説として綴られたほか、さらに『シェリー酒と楓の葉』という長編小説として、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)にかけて『文学界』に連載されることになるが、この『シェリー酒と楓の葉』連載中の1978年(昭和53年)の秋に、庄野夫妻は20年ぶりにガンビアの地を訪れた。

ケニオン・カレッジのオナーズ・デーに名誉学位を授与されることになったからだ。

庄野夫妻は、こうして20年ぶりのガンビア滞在を実現し、新旧様々な友人たちとの交流を楽しんだ。

『ガンビアの春』は、この2度目のガンビア滞在をまとめた長編小説で、1978年(昭和53年)11月号から1980年(昭和55年)1月号まで、13回に渡って『文藝』誌上に発表され、1980年(昭和55年)4月に河出書房新社より刊行された。

二十年間会いたいと思っていた。それが本当になった。

マッキーさんは、二十年前、コロンバスの空港であなた方と別れる時、いつのことかは分らない、またあなた方がオハイオへ来るか、それともこちらが日本へ行くか、そのどちらになるかも分らないが、もう一度われわれが会う日は来るという気がした、それが本当になったといった。(「八」)

『ガンビア滞在記』の読者にとって、『ガンビアの春』の楽しみは、かつて20年前に庄野夫妻と交流のあった人々は、どうなっただろうかということに尽きる。

『ガンビア滞在記』や『シェリー酒と楓の葉』で、庄野家の隣人として頻繁に登場したミノーとジューンのエディノワラ夫妻は、ウイスコンシン州アップルトンで暮らしているが、親切なヘイウッドさんがわざわざ電話をかけてくれたので、庄野夫妻はジューンと話をすることができた(ミノーはロレンス・カレッジで授業中だった)。

高齢で既に他界している人たちや、ガンビアを離れてしまった人たちも少なくないが、当時の庄野夫妻を記憶している人たちとの再会は、この物語の大きな醍醐味のひとつだろう(旧作を読んでいない人には意味が分からないかもしれないが)。

マッキー農園のマッキーさんは、「『二十年間会いたいと思っていた。それが本当になった』とマッキーさんが思わず胸から溢れ出たというふうにゆっくりと話した」と記されているように、庄野さんとの再会を喜んだ現地住民の一人だ。

ガンビアでの暮らしに関する庄野さんの作品を丹念に読んできた読者は、マッキーさんの、この感動にきっと共感できるに違いない。

「漕げ漕げボート」を三回うたった

そのあと「アニー・ローリー」「ロンドン・デリー」「荒城の月」(これは妻がひとりで)「懐かしのケンタッキーのわが家」「金髪のジェニー」など次々と合唱した。輪唱もする。ターナーさんとマッコーラさんが第一組、ウエバー夫妻と私の妻が第二組、私とシャープさんが第三組というふうに分けて「漕げ漕げボート」を三回うたった。(「十三」)

「ミスター庄野がガンビアにいた当時のファカルティを全部招いてパーティーを開きたい」と申し入れてきたのは、ヘイウッドさんだった。

ヘイウッド夫妻は、20年前、一年生の寮の一つであるノートン・ホールに入っていた。

ハーヴィー夫妻やワーナー夫妻、ベイリーさんなどが集まって始まったパーティーは、今回の庄野夫妻のガンビア訪問のホスト役であるウエバー夫妻(夫人は日本人の邦子さん)を加えて、大いに盛り上がる。

ワーナー夫人は、かつて新年になった瞬間に隣にいた女性で、「そばにいる女性にキスをする習慣だ」と言われながらも、庄野さんはキスすることを躊躇した、そんな昔話が出た。

最初に歌を歌ったのは庄野さんで、「クレメンタインをうたいます。先ずアメリカの歌から」と言ってから、庄野さんは、昔、アメリカ人の先生から教わった歌を歌う。

庄野さんに「クレメンタイン」を教えたのは、大阪外語大学時代のグレン・ショウ先生で、このエピソードは『文学交友録』(新潮社、1995年)に詳しく書かれている。

それにしても、庄野さんが参加するパーティーは、陽気であって健全だ。

日本でもアメリカでも、いつでも「漕げ漕げボート」を輪唱している。

旅行記の中に大学や個人の評伝が複雑に錯綜しながら、物語は進んでいく

暫くほかのことを話していたが、ふと思い出したように、われわれが別れてから何年になるだろうといった。二十年というと、キニーは驚いた声を出した。とても信じられないという表情をしてみせる。二十年ぶりに会ったキニーは、いくらか太ったようだ。髪も白いものが混っている。しかし、話し方は昔とちっとも変らない。(「六」)

『ガンビアの春』は20年ぶりのガンビア訪問を綴った旅行記だが、現在のガンビア旅行を覆い尽くすように20年前の思い出話が盛んに登場する。

話が現代と過去を行ったり来たりするので、今読んでいるエピソードが現在のものか20年前のものか、混乱することがしばしばあった。

さらに、『ガンビアの春』では、ガンビアの人々やケニオン・カレッジに関する理解を深めるため、多くの引用が登場する。

それは、ケニオン・カレッジの歴史に関するものであったり、ガンビアで暮らす一市民の生涯に関するものであったりで、旅行記の中に大学や個人の評伝が複雑に積み重なりながら、この物語は進んでいくので、慣れるまでに時間がかかった。

読み終った今、『ガンビアの春』は、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(文藝春秋、1984年)と同じような構成だということに気付いた。

『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』は、庄野夫妻のロンドン訪問の旅行記に、チャールズ・ラムの評伝を加えたもので、ラムのほか、福原麟太郎さんの著作などから、多くの引用が組み込まれている。

旅行記に評伝を加える手法を、庄野さんは、この『ガンビアの春』から用いたのかもしれないが、ケニオン・カレッジに直接的な関係を持たない市民の歴史も同時に語られるので、物語としては複雑なものになってしまった(詳細にノートを取りながら読み進めないと、理解が難しいと思われる)。

間違いないことは、庄野さんのガンビアに対する愛情の強さというものである。

ガンビアやマウント・バーノンで生きる人々、ケニオン・カレッジとそこで働く人々に対する深い愛情がなくては、このような作品を書くことは到底難しいだろうと思う。

やがて、庄野さんは、『シェリー酒と楓の葉』の続編とも言うべき作品『懐しきオハイホ』を書くことになる(文藝春秋、1991年)。

書いても書いても書ききれないものが、1年間の留学生活の中にあったということなのだろう。

書名:ガンビアの春
著者:庄野潤三
発行:1980/4/30
出版社:河出書房新社

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。