庄野潤三の世界

庄野潤三が伊東静雄から学んだ文学的アドバイスを「前途」に探す

庄野潤三が伊東静雄から学んだ文学的アドバイスを「前途」に探す

庄野潤三の「前途」は、小説家を目指す文学青年の物語だが、主人公「漆山正三」の師は、詩人の「伊東静雄」であった。

福岡の学生である漆山は、大阪へ帰省した折にしか、伊東と会うことはなかったが、学生時代の数少ない面談の中ででも、伊東から大きな文学的アドバイスを得ている。

伊東による助言は、文学者としての漆山の将来に大きな影響を与えたのではないだろうか。

今回は、「前途」の中に登場する伊東静雄の、文学的アドバイスを拾っておきたい。

和文脈の中心となるものは、先ず源氏物語、伊勢物語、枕草子、徒然草、倭漢朗詠集の五つ、日本の美感はこれに尽されている。

先生はこう云った。和文脈の中心となるものは、先ず源氏物語、伊勢物語、枕草子、徒然草、倭漢朗詠集の五つ、日本の美感はこれに尽されている。このうち源氏物語が大本であるが、全部読むのは面倒ゆえ、好きなところを引っぱり出して読めばいい。特に大切なのは枕草子と徒然草で、これは是非とも読む必要がある。

自分が書きたいと思うことがあると、昔の人はそれをどう書いてあるか、すぐに見てみる。こうなると、文学の本道に入って来たと云ってよい。これが文学に史感—歴史のみかたの史観ではなくて、歴史の感覚と書く史感ですが—の生れる道なり。史感のない文学は駄目。

枕草子は、その書きぶりが賢そうで嫌いだったけれども、書いてあることは非常に大切。日本の美感の源泉で、これを知っているといないとでは大へんな違いとなる。新村出の「橿」のように美感の変遷の考証をやったらどうですか。琴なら琴について、何々にはどう書いてある、何々にはどうという風に詳しく並べて、その間に自分の随感を入れる。そんなのをやったらどうですか。とにかく、あなたはずっと文学を続けて行きなさいと云われる。(「第四章 桃の花」)

文学の道を志す青年に与える助言は、具体的で実用的だ。

日本語で小説を書く以上、「史感」をしっかりととらえなければいけないというのが、伊東静雄の教えだった。

「たとえば菊のことを思えば、すぐ菊のところを枕草子でも徒然草でもいい。引っぱり出して読んでみる。通読しなくてよいから、気の向いた時、すぐ出して、そこだけ読む」「こんな本を(伊東先生はそのあたりに積んであった本の中から受験生用の薄い「奥の細道」を取り上げ)注釈書のようなものでも、小さいのでも、何でもいいから見つけ次第、買ってきておく。そして、どんどん読み散らす。知っていればいるだけ得という風な態度で読めばいいのです」と、実際に史感を身に着ける上でのテクニックも忘れない。

この三月四日の長い日記は、そのほとんどが伊東先生の助言で綴られていて、本書の中でも重要な場面となっている。

あなたはおっとりした小説を書いたらいいな。

僕が落合直文の歌を読んで、好きですと云うと、先生はいきなり、「あなたはおっとりした小説を書いたらいいな。小説に身を入れて。いまは小説の表面をまさぐっているでしょう。なにか独自の題材をみつけて書いたらいいでしょうね。いま、いくつですか」「二十三です」「そしたら、あと三十まで七年。七年あればいいな。これからいろいろ深刻な経験にも会われて。三十ごろに第一創作集を出せますよ。出したらお父さんが喜ばれるだろうなあ」(「第四章 桃の花」)

四月十一日の日記から。

「あなたはおっとりした小説を書いたらいいな」「三十ごろに第一創作集を出せますよ」という詩人の言葉は、漆山青年を将来を予言しているようにも聞こえる。

時代精神というものを身をもって表現してゆくのが詩人で、そういう詩人でなければ意味がない

「しかし、これから文学をやって行くの、大へんだなあ。実際、大へんだよなあ。そう思わないですか」「いや、先生にこの間、志摩からの帰りの参宮電車の中で時代精神というものを身をもって表現してゆくのが詩人で、そういう詩人でなければ意味がないという話を聞いた時はがっかりして、僕にはちっともそんなところはありませんから、あああ、文学が駄目だったら、何をこれから先、楽しみにして生きて行こうと思いました」(「第四章 桃の花」)

同じく、四月十一日。

「時代精神がちっともない」漆山青年が、文学を志すことが、果たして可能なのか。

それは「時代精神」という言葉の解釈とも、大きく関わってくるのかもしれない。

鄙びていて、そして艶で、花でいえばあなたは桃の花が好きじゃありませんか?

そのうち、突然、こう云われた。あなたがこの前、八十八夜の歌が好きだと云われた時に、初めてこれまで気附かなかったあなたの文学の本質がはっきり分った。鄙びていて、そして艶で、花でいえばあなたは桃の花が好きじゃありませんか?「ええ、好きです。それから芙蓉の花が好きです」「ああ、芙蓉」と云って、先生は頷かれた。「コスモスも」「そんな風な味は、誰がもっているかしら? 八十八夜のうたの世界は。みんな西洋風の文学だもの。佐藤春夫にしても西洋風だから。誰にあるだろう。艶な味の、そして凄愴味のない文学といったら」そう云って先生はちょっと考えていたが、「しかし、それを現すきっかけがない。見本がないから難しい」「ええ、僕の好きな世界ははっきり分っているんですけど、どういう風にそれを書いていいのか、見当がつかないのです」(「第八章 明るい月」)

八月十五日の日記から。

「鄙びていて、そして艶で、花でいえばあなたは桃の花が好きじゃありませんか?」の言葉は、師の伊東が、漆山の文学的な本質を見抜いた瞬間だったのかもしれない。

「鄙びている」とは「田舎めいている」という意味で、垢抜けていない、洗練されていないということを、否定的にではなく、肯定的にとらえた言葉だ。

漆山青年の文学の本質を「桃の花」で表現した伊東先生の感覚は、さすがに詩人だと思わせられる。

そして、桃の花とかコスモスとかいった花に象徴される漆山の文学は、「あなたはおっとりした小説を書いたらいいな」という、伊東先生の言葉ともつながってくる。

「見本がないから難しい」という感想は、漆山がこれから自ら切り開いていかなければならない、新しい文学の道を暗示しているのだろうか。

手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴って行くものなのですね

一緒に歩いて、四丁目の喫茶店でコーヒーを飲む。小高が海軍予備学生を受ける許可をお父さんのところで得た帰り、夜行列車で赤ん坊を抱いた若い女の人に会った話を僕がすると、先生は、「小説というのは、いまの話のようなものですね。空想の所産でもなく、また理念をあらわしたものでもなく、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴って行くものなのですね」と云われた。(「第八章 明るい月」)

八月十八日。

「小説というのは、いまの話のようなものですね。空想の所産でもなく、また理念をあらわしたものでもなく、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴って行くものなのですね」という伊東先生の言葉は、やがて出現するだろう漆山青年の文学の世界を、これまで以上に明確に暗示しているように思える。

むしろ、この言葉は、漆山青年の文学観そのものと言っていい。

空想の所産を書くのでもなく、理念をあらわすのでもない。

ただ、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴って行く。

「前途」には登場しないけれど、やがて、漆山青年は、そんな小説を書いてゆくことになるのだろう。

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。