庄野潤三の世界

庄野潤三「おもちゃ屋」幸せに裏打ちされた不安

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庄野潤三の「おもちゃ屋」は、昭和48年1月号から12月号まで「文藝」に連載された連作短編小説集である。

本書のテーマについて、著者(庄野潤三)は「あとがき」の中で、「主題は「危険」である。それも、ささやかな日々の営みの中にあって、危険であるが故に常に活気とおかしみ、慰みをもたらしてくれるような危険がいい」と綴っている。

物語の登場人物は、主人公の「井村」を中心とする5人家族だ。

結婚して二児の母親となっている「和子」、大学生の「良二」と高校生の「明夫」、そして「井村」の妻といった、「井村」の家族がもたらしてくれる報告が、彼の目線によって物語化されている。

著者は「主題は「危険」である」と言った。

「良二」の同級生が山登りの途中に沢へ滑り落ちてしまう話、「燃料屋の末の子」が仕事中に誤ってプロパン・ガスのボンベを足の上へ落として怪我をした話、「大家の大沢さん」の庭で放し飼いにされている鶏に足を突かれた話、野良猫にごみ袋を破られてしまう話、「隣に越してきた大工の奥さん」の家の玄関に蛇が出た話、台所の引き出しの中の昆布を鼠に齧られた話など、確かにどの物語にも日常生活の中の「危険」が登場している。

ただし、それらの「危険」は、決して人生にとって致命傷になるような重大な危険ではない。

身の回りにいつでも潜んでいて、後で思い出して笑い話にしてしまえるような、ささやかな「危険」だ。

そんな「危険」を描いた物語は、一見当り前で平凡に思える人生も、実は決して平坦なものではないということを教えてくれる。

後で思い出したときに笑い話になるような「危険」は、人生にちょっとした「苦味」を振りまいてくれる、薫り高いスパイスなのかもしれない。

浮き彫りにされる幸福感

はじめに見つけた車の横に、テレビの子供番組に出る人物が飛んでいる絵を正面にかいた、少し大きい、白塗りの車があった。車体の上に赤い燈がついているので、手に取って、外にいる女の人に見えるようにして、「これ、救急車ですか」と聞くと、「違います。パト・カーです」といった。(「おもちゃ屋」)

表題作の「おもちゃ屋」は、「井村の妻」が救急車のおもちゃを買うためにおもちゃ屋へ出かけるが、女性店員の不愛想な対応に不愉快な思いをする、という物語である。

一般社会で暮らしている以上、どこかの店で不愉快な思いをするというのは、なかなか避けることのできない「危険」であって、商売っ気の乏しい、不愛想な対応をする店員に耐えながら、孫のために必要なおもちゃを、最後には買って帰るという「井村の妻」の行動に共感する読者は多いかもしれない。

この物語の救いは、「井村の妻」には「孫のために」という温かい気持ちがあるという部分である。

幸せな家庭を持つ幸福感が、不愛想な女性店員を引き立て役として浮き彫りにされているのだ。

幸せに支えられた不愉快な体験だから、後になって笑い話にすることができるのである。

恐怖とユーモアが引き立て合う

セールスマンは、横の砂場でよその子が置き去りにして行ったダンプ・カーのおもちゃをもせて遊んでいるコーキちゃんと正夫を見て、「お金がないんじゃあ、仕様がないね」というと、本もパンフレットも鞄に仕舞い込み、石段をおりて行った。(「おんどり」)

大家の庭で放し飼いにされている鶏に襲われた「和子」が、石段の上に避難していると、後からやって来た幼児用の本を売るセールスマンも、「和子」と同じように石段の上まで避難してくる。

互いに慰めあった後で、セールスマンは子ども用の本のパンフレットを取り出して説明を始めるが、「和子」に「お金がないんです」と言われると「お金がないんじゃあ、仕様がないね」と言って帰っていく。

鶏に襲われた恐怖の後に、のんびりとした会話のやり取りがあって、思わず「くすっ」と笑ってしまう。

庄野文学が愛した人生のユーモアが、こんなところに出てくる。

大切なことは、セールスマンの間の抜けた台詞と鶏の恐怖とが、互いに引き立てあっているということだろう。

日常の幸せは小さなものだから、それだけを書いたのでは思うように伝わらない。

光を浮き立たせるために影に注目する。

人生を楽しむコツが、案外そんなところにあるのではないだろうか。

書名:おもちゃ屋
著者:庄野潤三
発行:1974/3/30
出版社:河出書房新社

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。