庄野潤三の世界

庄野潤三「シェリー酒と楓の葉」庄野夫妻とガンビアで生きる人々との心の交流

庄野潤三「シェリー酒と楓の葉」あらすじと感想と考察

庄野潤三さんの「シェリー酒と楓の葉」を読みました。

名著「ガンビア滞在記」に続く「ガンビアもの」の長編小説です。

書名:シェリー酒と楓の葉
著者:庄野潤三
発行:1978/11/15
出版社:文藝春秋

作品紹介

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「シェリー酒と楓の葉」は、庄野潤三さんの長編小説です。

庄野さんの「あとがき」には、「『シェリー酒と楓の葉』は、初めて北米大陸の冬を迎えようとしていた当時を振り返りながら、昔のノートを辿ってみたものである。『ガンビア滞在記』(昭和34年・中央公論社)に次いでこれが二冊目の本となる。昭和521月から537月まで「文学界」に10回にわたって掲載された」と記されています。

名著「ガンビア滞在記」から20年。オハイオの小さなカレッジの周辺、季節とおりなす人物の群像。静かに流れゆく時間のたしかな感触。明澄な素描画を思わせる、独自の文学世界。(帯文)

あらすじ

庄野さんは「あとがき」の中で、「昭和32年の秋から翌年の夏まで私は妻とともにオハイオ州ガンビアで過ごした」「田舎の出来るだけ小さな町へ行って暮したいというのがロックフェラー財団から一年間の米国滞在の機会を与えられた私の希望であった」「カレッジが提供してくれた「白塗りバラック」の戸口の右手に、窓に向って古い質素な書き物机が置いてあった」「私は毎朝、この机の前に坐って詳しい日記をつけることにした」と綴っています。

「シェリー酒と楓の葉」は、当時の日記ノートをもとに、ガンビアでの生活を詳しく回想した滞在記です。

ガンビア滞在時の記録については、既に「ガンビア滞在記」が刊行されており、物語の元になった日記は同じものなので、「シェリー酒と楓の葉」には「ガンビア滞在記」で既に紹介されているエピソードがたくさん登場します。

強いて言えば、「ガンビア滞在記」は、ガンビアの動物やスポーツなど、自然や文化、習俗を幅広く俯瞰的にとらえようとしているのに対して、「シェリー酒と楓の葉」では、近隣の人々との交流に焦点を絞って描かれているということができるでしょう。

【目次】シェリー酒と楓の葉/フィンランド土産/林の中/ヨークシャーの茶碗/窓の燈/移転計画/船長の椅子/廃屋/東部への旅/除夜///あとがき

なれそめ

「ガンビア滞在記」をとても面白く読み終えた僕は、庄野さんのアメリカ留学時代の体験記をもっと読みたいと思うようになりました。

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そして、庄野さんが「ガンビアもの」とも言えるガンビア滞在時の回想記を、他にも出版していることを知りました。

「シェリー酒と楓の葉」は、単行本としては「ガンビア滞在記」に続く、ガンビアものの長編作品です。

「ガンビア滞在記」の焼き直しかと思いましたが、ガンビアで暮らしていた頃の人間関係が、「ガンビア滞在記」よりもずっと丁寧に詳しく描かれています。

そのため、「ガンビア滞在記」が留学時代の一年間を描いているのに対して、「シェリー酒と楓の葉」では、ガンビア転入から年末までの限られた期間が舞台となっています。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

日本の文学は劇的なものを表現するよりは静かで微妙なものを捉える方が巧みである

サトクリッフさんから、いま聞いたのでは、短編ではすべて劇的な事件を扱わず、出来事の無い話を書いているが、それは日本の作家の全体の特徴かという質問があった。私は、どちらかといえば日本の文学は劇的なものを表現するよりは静かで微妙なものを捉える方が巧みであると思うと答えた。(「船長の椅子」)

オールドリッチ家の夕食に集まった人々から、何か日本の文学について話をしてほしいと言われた庄野さんは、森鴎外「山椒大夫」「扣鈕」「百物語」、佐藤春夫「西班牙犬の家」「田園の憂鬱」「自然の童話」「享楽論」を紹介します。

これを聞いたケニオン・カレッジの英文学の主任教授であるサントクリッフさんは、日本の短編小説が「劇的な事件を扱わずに、出来事の無い話を書いている」ということに、違和感を感じたようです。

もっとも、出席者の中の誰か(名前の知らないファカルティ)が、「自分はいまの話を聞いて、ジュール・ルナアルを思い出した。似ているところがある」と言ったので、庄野さんは「ルナアルは日本で好まれている、自分も愛読している」と答えます。

「劇的な事件を扱わずに、出来事の無い話を書いている」という指摘は、庄野文学の本質に繋がる指摘でもあるので、なかなかおもしろい議論だっただろうなと思いました。

こちらにいる間に、自作の小説を翻訳してみたらどうかと勧めてくれる

こちらにいる間に、自作の小説を翻訳してみたらどうかと勧めてくれる。トランクの中に一冊だけ「ザボンの花」を入れて来た。それは去年の夏に小さな出版社から出たもので、石神井公園の麦畑のほとりの家での、春から夏までの日常生活を素材とした作品である。(「東部への旅」)

夕食に招いた夜、オールドリッチさんは、庄野さんに対して「こちらにいる間に、自作の小説を翻訳してみたらどうか」と勧めてくれます。

庄野さんは一冊だけ持参していた「ザボンの花」を見せて、「簡単に章を追ってどういう内容の小説か話すと、是非英訳するように」と言います。

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庄野さんの作品では、必要以上に感情を細かく解説する表現が少ないので、単純な言葉の積み重ねの中から登場人物の気持ちを理解することが求められます。

「ザボンの花」の英訳が完成したかどうか、その後の展開には触れられていないので、結末をうかがい知ることはできませんが、庄野さんの作品を多くのアメリカ人に知ってもらいたいというオールドリッチさんの好意に、庄野さんが感動しただろうことは間違いありません。

やがてみんな暖炉の前に集まり、クリスマスの聖歌を皮切りに自分の国の歌を披露することになった

はじめのうちはめいめい勝手にグラスを持って菓子をつまみながら雑談していたが、やがてみんな暖炉の前に集まり、クリスマスの聖歌を皮切りに自分の国の歌を披露することになった。妻は稗つき節、私は「証城寺の狸ばやし」をうたった。キニーはいい声でアメリカの古い歌をうたい、ディンショウは「メリー・ウィドゥ」をうたった。ガブリエラは歌の代りにピアノを弾き、コンツ夫妻は歌を口吟みながらハンガリアのダンスを踊った。(「廃屋」)

「シェリー酒と楓の葉」では、アメリカの小さな田舎町で、庄野夫妻がどのように地元の人たちと交流していくのかという様子が丁寧に描かれています。

それにしても、クリスマスの季節、庄野夫妻は既に、地元の人々の中にすっかりと溶け込んでいたようですね。

遠い異国の見知らぬ田舎町での暮らしが、大変でないはずはありませんが、庄野さんは地元の人々との楽しい交流について、とても細部に至るまで丁寧に物語の中で再現しようとしています。

これはクリスマスのパーティに限った話ではなくて、実に日常生活の日々の中で、庄野夫妻はガンビアで暮らす人々と、心の交流を深めていったのです。

読書感想こらむ

先に「ガンビア滞在記」を読んでいたので、庄野さんのガンビアにおける生活の基礎的な知識は、既に頭の中に入っていました。

「シェリー酒と楓の葉」では、「ガンビア滞在記」における人々との交流の部分を、さらに詳しく補完していくように綴られていきます。

「前にも言ったかもしれないけれど」とか「そういえば言い忘れていたけれど」なんていう具合に、どこまでも果てしない思い出話が繋がっていくみたいに。

「ガンビア滞在記」に若干説明的な要素が多く含まれていたとしたら、「シェリー酒と楓の葉」は随分と洗練された形で再構築された回想記だと思います。

この物語が10月21日に始まって12月31日に終わることを考えると、その内容の濃密な様子が理解できるはずです。

なにしろ、庄野夫妻は翌年の夏の終わりまで、ガンビアに滞在していたのですから。

まとめ

「シェリー酒と楓の葉」は、庄野潤三さんの長編小説。

名著「ガンビア滞在記」に続くガンビア滞在時の回想記。

庄野夫妻と地元の人々との心の交流を自然体で描く。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪府生まれ。

1954年(昭和29年)芥川賞受賞後、1955年(昭和32年)にアメリカへ留学。

「シェリー酒と楓の葉」刊行時は57歳でした。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。