庄野潤三の世界

庄野潤三「ガンビア滞在記」その日から庄野夫妻は小さな町の住民になりきった

庄野潤三「ガンビア滞在記」あらすじと感想と考察

庄野潤三さんの「ガンビア滞在記」を読みました。

アメリカの小さな街へ行ってみたくなりますよ、きっと。

書名:ガンビア滞在記
著者:庄野潤三
発行:2005/9/27
出版社:みすず書房「大人の本棚」

作品紹介

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「ガンビア滞在記」は、庄野潤三さんの長編小説です。

庄野さんの「あとがき」には、「私は昭和32年の秋から翌年の夏まで米国オハイオ州ガンビアに滞在した」「田舎のできるだけ小さな町に行って、その町の住民の一員のようにしてて暮すことが出来たらというのが、ロックフェラー財団によって一年間の米国留学の機会を与えられた際の私の希望であった」「『ガンビア滞在記』はこれらの隣人の話を中心に、9月に始まって6月に終るカレッジの一年と町の様子を書いたものである」とあります。

解説の坂西志保さんは、「(ロックフェラー財団から)敗戦国の日本で創作活動に従事している人たちを一年の予定で海外に派遣することにしたいといわれた」「その第一回に福田恆存さんと大岡昇平さんが選ばれた」「(その後)夫妻で一年留学ということになると、新しい経験を分け合い、終生いろいろ効果があがると私は判断してファーズ博士に懇願した「ロ財団も私の主張を認め、最初に選ばれたのが庄野氏夫妻であった」「これは昭和32年のことで、アメリカの小さな町で住民の一員のように暮らしたいという庄野さんの希望が叶えられ、その記録が『ガンビア滞在記』なのである」「私は”記録”といったが、これは小説である。だが記録が小説にならないということはない」と綴っています。

単行本は、1959年(昭和34年)に中央公論社から刊行されています。

また、1975年(昭和50年)には中公文庫版も刊行されています。

米国オハイオ州ガンビアは人口600人の小さな町。「中部平原が終ってまさに東部アパラチア高地に移ろうとする」あたりに位置する。昭和32年秋から一年間、留学のためこの町で暮らした庄野夫妻の滞在記。よき隣人でもある大学の友人たち、町の商店の人々、気儘に走りまわる栗鼠や、ときに出没するラックーン(あらいぐま)——。広大な自然を背景に、この静かな町の、静かな歓びに満ちた春夏秋冬の暮らしを描いた名作。「庄野夫妻はガンビアについたその日から小さな町の住民になりきったのである」(坂西志保「解説」)

あらすじ

「ガンビア滞在記」は、アメリカオハイオ州ガンビアのケニオン・カレッジに留学した庄野夫妻の滞在記録を小説にしたものです。

特別のストーリーがあるというよりも、ガンビアの街で暮らす人々を、庄野さんの視点でとらえた日記的なスケッチ文学です。

各章が独立していますが、少しずつ登場人物が増えていくので、最初から順番に読み進めた方が良いようです。

【目次】一 オハイオ州ガンビア/二 郵便物/三 ミノーとジューン/四 ガンビアの動物/五 「村の宿屋」とドロシイズ・ランチ/六 結婚式の写真/七 ガンビアのスポーツ(一)/八 ブラウン氏の銀行/九 ディンショウ来る/十 ホームカミング・フットボール/十一 ヘイズ食料品店とウィルソン食料品店/十二 万聖節前夜/十三 嵐/十四 ジューンとディンショウ/十五 ミノーとベンジャミンの一週間/十六 ガンビアの周囲/十七 感謝祭/十八 雪の日/十九 せり売り/二十 クリスマス ディンショウ帰る/二十一 引越し/二十二 ガンビアのスポーツ(二)/二十三 肥沃なるガンビア/二十四 ココーシングの氷/二十五 ジャーマン・ミーズル/二十六 春の気配/二十七 戸外生活/二十八 拾う神/二十九 ガンビアのスポーツ(三)/三十 ベビイ・シッター/三十一 半旗/三十二 心覚え—卒業式まで/三十三 散髪屋ジム/三十四 エディノワラ家の出発/三十五 小鳥の巣///あとがき/解説(坂西志保)

なれそめ

アメリカオハイオ州にあるガンビアという町のことも、ケニオン・カレッジという大学のことも、僕は何も知りません。

ただ、庄野さんに「ガンビア滞在記」という作品があること、「ガンビア滞在記」が、特にアメリカ文学者を中心に高い評価を得ていることなどは、これまでに読んできた庄野さんや福原麟太郎さんの随筆から、既に知識としてはありました。

旅行記よりも、もう少し長い滞在の記録である「滞在記」は、文学のひとつのジャンルとして、非常に面白いものだと感じています。

そして、「私は滞在記という名前をつけたが、考えてみると私たちはみなこの世の中に滞在しているわけである。自分の書くものも願わくばいつも滞在記のようなものでありたい」という、庄野さんのあとがきは、まさに庄野文学の本質だと思いました。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

メモリイはいいものだ。年を取ると殊にそうだ。

「わしは記憶がいい。一度会ったら二度目にはその人間の名前を云える。メモリイ(記憶)はいい。ラテン語の諺にあるが、『記憶することは知ることにまさる』。その通りだ。メモリイはいいものだ。年を取ると殊にそうだ」そんなことをラットレイ老人は元気そうに話した。( 「『村の宿屋』とドロシイズ・ランチ」)

「ガンビアには食堂が二軒ある。『村の宿屋』と『ドロシイズ・ランチ』である」という書き出しで、この章は始まります。

大通りにある「村の宿屋」は立派なレストランで、「ドロシイズ・ランチ」は大通りから外れたところにある、一見すると普通の住宅のような食堂。

庄野さんは「ドロシイズ・ランチ」の老主人であるジェイムズ・ラットレイと懇意になり、二人はいろいろな話をするようになります。

劇的なドラマはないけれど、食堂の老人が語る言葉を通して、彼が生きて来た人生をいうものが、透かし絵のように浮かんでくるようです。

私はこんなところで汽車を見て、汽笛の音を聞かされると、「ガンビアにはこの間来たばかりだ。日本へ帰るのはまだまだずっと先のことだ」と思わずには居られなかった。

最初に先頭の貨車がわれわれの視界の中に現れてから、やがて最後の貨車が見えなくなってしまうまでにはかなりの暇がかかる。私はその練習の方は見ないで、貨物列車を眺めていた。カーブの地点なので必ず汽笛を鳴らした。私はこんなところで汽車を見て、汽笛の音を聞かされると、「ガンビアにはこの間来たばかりだ。日本へ帰るのはまだまだずっと先のことだ」と思わずには居られなかった。(「ガンビアのスポーツ(一)」)

庄野夫妻がガンビアで暮らし始めた頃、カレッジの新学年はまだ始まっていなくて、構内はひっそりとしています。

静かなカレッジで、フットボールのチームだけが練習をしていました。

庄野さんはフットボール・チームの練習をたびたび見学に出かけますが、グラウンドの向こう側を貨物列車がゆっくりと通りすぎるとき、チームの練習から目を離して、貨物列車が汽笛を鳴らしながら過ぎ去る様子を、じっと見送っていました。

それは、庄野夫妻のアメリカでの暮らしが、ようやく始まろうとしているときのことでした。

私はそれを見た時、一年前に亡くなった自分の母がやはりそれと同じような時にそっくり同じ笑い方をしたことを思い出した。

それを見たとたんにディンショウの顔が和らいで笑った。息子に腹を立てていても、結婚披露宴の時の家族写真を見ると、その折の賑かで、めでたい気分を思い出して、ひとりでに顔が笑ってしまったのである。私はそれを見た時、一年前に亡くなった自分の母がやはりそれと同じような時にそっくり同じ笑い方をしたことを思い出した。(「感謝祭」)

庄野夫妻がガンビアで最も懇意にしていたのは、道路を隔てて向かい側に住んでいるエディノワラ夫妻(ミノーとジューン)で、庄野さんが渡米して間もなく、ミノーの母親ディンショウが故郷のインドから遊びにやってきます。

ディンショウを含めたエディノワラ家は、庄野夫妻と日常的に深い人間関係を築き上げていくことになるので、「ガンビア滞在記」においても、3人の名前が頻繁に登場します。

庄野さんは、エディノワラ家の何気ない家族の会話の中に、在りし日の母親の姿を思い浮べていますが、日常風景をスケッチ風に描きながら、人生の多重構造を感じさせる場面が、庄野文学の特徴かもしれないと思いました。

シンプルなのに深い味わいがある。

庄野さんの小説は、そんな料理みたいなものなのかもしれませんね。

読書感想こらむ

日米の文化や風習を比較するのでもなく、アメリカの人々を分析して評価するのでもない。

誰が、いつ、どこで、何をしたのか、そういう小さな事実を丁寧に積み上げることで、庄野さんは、奥深い人生とか味わい深い人間というものを描こうとしているのかもしれない。

「ガンビア滞在記」においては、その舞台がアメリカオハイオ州のガンビアであり、ケニオン・カレッジであったというだけで、海外留学したからといって、何か特別のことをするわけでもないところに、庄野文学のブレない姿勢が表れているように思います。

ひとつひとつの細かいパーツは、実はジグゾーパズルのピースのようなものであって、何かがひとつでも欠けると作品として物足りないものになってしまう。

読み込めば読み込むほどに味わいの出てくる名作だと思いました。

まとめ

「ガンビア滞在記」は、庄野潤三さんの一年間のアメリカ留学の体験を綴った長編小説。

日常風景を丁寧にスケッチする庄野文学の舞台がアメリカになったら?

たくさんの人たちとの交流を通して、味わい深い人生を描き出す。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪府生まれ。

1954年(昭和29年)芥川賞受賞後、1955年(昭和32年)にアメリカへ留学。

「ガンビア滞在記」刊行時は38歳でした。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。