庄野潤三の世界

庄野潤三「山の上に憩いあり」河上徹太郎・福原麟太郎との交遊録

庄野潤三「山の上に憩いあり」あらすじと感想と考察

庄野潤三さんの「山の上に憩いあり」を読みました。

河上徹太郎さんと福原麟太郎さんへの愛に満ちた随想集です。

書名:山の上に憩いあり
著者:庄野潤三
発行:1984/11/1
出版社:新潮社

作品紹介

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「山の上に憩いあり」は、庄野潤三さんの随想集です。

「あとがき」には、「今度、こうして御縁のあった年長のお二人との交遊の思い出だけで一冊の本を編むめぐり合せになったのは大きな喜びである」と綴られています。

本書の第一部は同じ丘の住人である河上徹太郎氏夫妻と作者一家との心あたたまる交遊録である。美味しいものを食べ、山歩きをし、炉辺で団欒のときを過し、主客上機嫌に酔う。河上氏の天真爛漫な言動、滋味ある片言隻句を通して、敬愛の情が語られる。第二部は福原麟太郎氏との交友の記述と、豊饒な学識と卓抜なユーモアをたのしみつつすすめられる対談<瑣末事の文学>を収録する。

あらすじ

「山の上に憩いあり」は、大きく二部構成になっています。

第一部は、河上徹太郎さんについての随想で、家族ぐるみの交友を振り返った「山の上に憩いあり—都築ヶ岡年中行事」が大部分を占め、その付録のように「河上さんの心境—『厳島閑談』を読む」が収録されています。

第二部は、福原麟太郎さんについての随想で、短い随想6篇と、庄野さんと福原さんとの対談が収録されています。

お二人との交遊の始まりについて、庄野さんは「あとがき」の中で「私が福原さんに滞米一年の生活の報告である『ガンビア滞在記』をお送りして、お手紙を頂いたのは昭和三十四年の春で、実際にお目にかかって言葉を交したのはその二年後になるが、ほぼ同じ時期に河上さんにはじめてお会いした。多摩丘陵のひとつの丘に移り住むようになった最初の年である」と振り返っています。

(目次)【第一部】山の上に憩いあり—都築ヶ岡年中行事/河上さんの心境—『厳島閑談』を読む///【第二部】治水/セルデン『卓上談』/福原さんを偲ぶ/福原さんの思い出/野方からの小包/「随想全集」のあとに/嗅ぎ煙草とコーヒー/対談 瑣末事の文学///あとがき

なれそめ

2020年になって、僕は庄野潤三さんの作品を読むようになり、庄野さんの作品の影響によって、福原麟太郎さんと河上徹太郎さんの作品をも読むようになりました。

「山の上に憩いあり」は、河上さんや福原さんとのお付き合いを振り返った交遊録です。

単行本の帯を見たときに「都築ヶ岡年中行事」とあって、この本のテーマが今ひとつ理解できなかったのですが、「都築ヶ岡」は河上さんが暮らす丘のことで、河上夫妻と庄野一家とは、正月とクリスマスの年に2回、互いの家を訪問する習わしが長く続いていており、これを両家の「年中行事」として、その歴史を振り返るというのが、この「都築ヶ岡年中行事」という言葉の意味だということが、本書を読み終えた後で分かりました。

ちなみに、本書はいくつかの随想によって構成されていますが、「都築ヶ岡年中行事」は中でも最もボリュームの多い作品であることから、本書のタイトルともなったようです。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

酔ったてっちゃんが、お父さんに「おい! 庄野」と怒鳴って、握手してから急に真面目な声になって、「お互いにいいものを書きましょう」とおっしゃった

相当酔ったてっちゃんが、お父さんに「おい! 庄野」と怒鳴って、握手してから急に真面目な声になって、「お互いにいいものを書きましょう」とおっしゃったことがあります。お父さんがそれに対して、本当に是非お互いに元気でいい仕事を残したいという意味のことをいっていると、今度は私たちの方を向いて、「何かもしょもしょいってるよ」といわれて、おかしかったです。(「山の上に憩いあり」)

表題作の「山の上に憩いあり」は、河上徹太郎さんとの家族ぐるみの付き合いを振り返る随筆ですが、庄野さんの子どもたちによる回想を交えることで、奥行きの深い作品となっています。

引用は、庄野さんの長女による回想部分ですが、河上さんを「てっちゃん」の愛称で呼んだ子どもたちが、河上さんと庄野さんという二人の偉大な文学者のすぐ近くで、二人の温かい交遊を感じていた様子が伝わってきます。

庄野一家は、正月に河上家を訪ね、クリスマスに河上夫妻を招くという「年中行事」を長く続けますが、それぞれの年の詳細な記録(訪問した時刻や退散した時刻、料理のメニュー、印象的な発言)が、庄野さんの日記によって余すところなく再現されています。

河上さんの密葬前日の朝、次男が「昨夜はひと晩中、てっちゃんの夢をみていた」と呟く場面は、河上さんが、いかに庄野一家から愛されていたかということを思わせてくれて、非常に切なくなりました。

福原さんは、僕はまだあなたと一緒の写真を一枚も持っていない、ここで撮って貰いましょうといわれた

上野の西洋美術館は何の展覧会であったか思い出せない。招待日で、入口の近くで開場を待っていたら、雑誌のカメラマンに附き添われた福原さんが来た。グラビアの写真を撮るためだと分ったが、福原さんは、僕はまだあなたと一緒の写真を一枚も持っていない、ここで撮って貰いましょうといわれた。私のアルバムに福原さんと二人、笑いながら話をしている写真が残っているのは、そのよき日の記念である。(「福原さんを偲ぶ」)

庄野さんは、福原さんの随筆に関する多くの文章を残しています。

イギリス文學、殊にチャールズ・ラムのエッセイを愛した仲間として、庄野さんは心から福原さんの随筆を敬愛していたのでしょう、

身辺の何でもないようなことを捉えて、これを芸術的な纏りのある一篇の随筆に仕上げる。いいかえれば、個人の日記の中にしか書きとめる値打のないように見える事柄を、人間、人生に通じる深い広がりを持つものにする。英国十九世紀初頭の文学者で名作『エリア随筆』の著者、チャールズ・ラムをお手本にしていた福原さんは、日本の風土の中でラムも及ばない、すぐれた、味わい深い作品を沢山残された。(「『随想全集』のあとに」)

僕は庄野さんの作品を通して福原さんの作品を知りましたが、今では「福原麟太郎随想全集」を愛読するまでになっています。

福原さんの随筆に関する庄野さんの感動を綴った文章に比べて、福原さんとの直接的な交流に関する随想は、それほど多くはないようです。

上野美術館の前で、二人で写真を撮った日のことは、よほど良い思い出となっていたのではないでしょうか。

あなたみたいに同じような書き方をした小説を、無数に書く人っていうのはいないですね

(庄野)枚数は短くても、ほんとうに短編小説をひとつ書くのと変りがないエネルギーを要すると思うんです、そういう随筆は。(福原)いま、車の中で鈴木さんに話したんだけれども、あなたみたいに同じような書き方をした小説を、無数に書く人っていうのはいないですね。(「対談 瑣末事の文学」)

「俳句」昭和50年2月号掲載。

庄野さんと福原さんの貴重な対談は、俳句雑誌の主催で企画されたものですが、二人の話は俳句よりも随筆に向かうことの方が多かったようです。

「たかが三枚でも、軽いっていうわけにはいかない(福原)」「短ければ短いほど、それだけ努力をして、集中して書かなきゃできない(庄野)」と、二人は短いエッセイに対する姿勢を鮮明にして意気投合します。

エッセイストとして歴史に残るチャールズ・ラムを敬愛する二人の対談だけに、エッセイについての議論は尽きないものがあったことでしょう。

対談のまとめとして、福原さんは「そういう瑣末事の文学が、われわれ人間としては重大事なんですよね」と述べていますが、「瑣末事の文学」は、庄野さんの小説にも福原さんの随筆にも共通するテーマです。

戦争や事件、偉人など社会的・歴史的に重要なものや人を書くのではなく、「人間生活のなんでもないことの中に深い意味を見出す(庄野)」ことこそ文学者の仕事であるという信念は、二人の作家の人生を貫いたものであったようです。

それにしても、「あなたみたいに同じような書き方をした小説を、無数に書く人っていうのはいないですね(福原)」という指摘は絶妙で、「馬鹿じゃないかと思っている人も一方にはいるわけで…(庄野)」という受けで、思わず笑ってしまいました。

読書感想こらむ

本書の表題作は、庄野一家と河上夫妻との交遊年代記とも言うべき「山の上に憩いあり」で、家族ぐるみの付き合いを長年続けた河上さんに対する庄野さんの愛情溢れる随想ですが、庄野文学を理解する上で、本当に必要なのは、第二部に収録された福原麟太郎さんに関する随筆群でしょう。

多くの英米文学作品に触れてきた福原さんならではの鋭い指摘が、庄野文学の魅力の理由を読み解く鍵を与えてくれるからです。

いわゆる随筆集と異なって、敬愛する2人の先輩作家だけを取り上げた随想集であるだけに、文学的な色彩が非常に強いものになったのかもしれません。

とは言いながら、表題作の「山の上に憩いあり」は、文学よりも家族間の交流に重点を置いた回顧録となっているので、全体としてバランスが取れた1冊になっているのだと思います。

単純化してしまうと、河上徹太郎さんとは家族間の交流を、福原麟太郎さんとは文学的な交流を描いたものが、この「山の上に憩いあり」という随想集の特徴と言えるかもしれませんね。

まとめ

「山の上に憩いあり」は、庄野潤三さんの随想集。

河上徹太郎さん、福原麟太郎さんとのお付き合いを回想した交遊録。

敬愛する先輩作家との交友を通して、庄野文学の魅力が姿を見せている。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪府生まれ。

1955年(昭和30年)、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。

「山の上に憩いあり」刊行時(1984年)は63歳だった。

河上徹太郎(文芸評論家)

1902年(明治35年)、長崎市生まれ。

1954年(昭和29年)、「私の詩と真実」で読売文学賞受賞。

1980年(昭和55年)、78歳で没した。

福原麟太郎(英文学者)

1894年(明治27年)、広島県生まれ。

1961年(昭和35年)、「トマス・グレイ研究抄」で読売文学賞受賞。

1981年(昭和56年)、86歳で没した。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。