庄野潤三「精進祭前夜」読了。
本作「精進祭前夜」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第七回目の作品であり、「群像」1989年(平成元年)2月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
南足柄から末の子を連れて長女が来た前の日が、長女の誕生日であった。
今回、庄野さんが紹介する文学作品は、チェーホフの「精進祭前夜」である。
前回の「少年たち」もチェーホフだったから、二号連続でチェーホフの短篇小説の話となった。
昭和22年の夏に、庄野さんが「チェーホフ読書日記」を作ったときに読んだ短篇小説の中でいちばん気に入ったのが、この「精進祭前夜」だったということである。
ところで、今回の「精進祭前夜」では、前回の「少年たち」に引き続き、清水さんの薔薇の話から始まっている。
秋咲きの初めてのエイヴォンをもらって、庄野さんは喜んでいる。
続いて、南足柄から長女が末の男の子の正雄を連れてきた話が紹介されている。
南足柄から末の子を連れて長女が来た前の日が、長女の誕生日であった。そこで妻は、昼御飯にお赤飯と松茸の土瓶むし、はまちの切身のつけ焼きなどを出して祝ってやった。それから日比谷で買ったブラウスと、自分の持っていたスカートと、本屋で買って来た文庫本の「レ・ミゼラブル」を、誕生日の贈り物にした。「レ・ミゼラブル」は全部で五冊ある。(庄野潤三「精進祭前夜」)
フーちゃん一人だった登場人物に、長女(41歳)や正雄(3歳)などが加わって、『エイヴォン記』の連載は、庄野家の家族日誌という体裁が非常に強くなっている。
さらに、庄野さんは、長女から届いたお礼の手紙を紹介する。
前年に刊行された『インド綿の服』(1988)で中心的な素材となっていた長女の手紙が、『エイヴォン記』のこの回で復活したのだ。
『エイヴォン記』以降に続く庄野さんの作品のフレームが、これでほとんど出揃ったことになる。
シンプルだった連載第一回の「ブッチの子守唄」に比べると、実に立体的な構成で、随筆でありながら物語性にも富んでいる。
こんな話をもっと読みたい、という気持ちにさせてくれる。
間もなく、庄野さんは、そんな読者のニーズに真正面から応えてくれることになるのだが。
フーちゃんは、お父さんのニューヨーク土産の縫いぐるみの犬を背中に括りつけてもらっている。
フーちゃんについての報告も、長女の話とは別にある。
或る日。昼間の散歩の帰り、浄水場の金網沿いの歩道を、赤いリュックを背負ったミサヲちゃんと、その横を小さいフーちゃんが歩いて来るのが見えた。フーちゃんは、お父さんのニューヨーク土産の縫いぐるみの犬を背中に括りつけてもらっている。手を上げる。ミサヲちゃんがおじぎをする。近づいたとき、ミサヲちゃんはフーちゃんに、「こんにちは、するのよ」といったが、フーちゃんはしない。(庄野潤三「精進祭前夜」)
さらに、この後で、次男がフーちゃんを連れて遊びに来た日のことも書いてある。
長男の嫁のあつ子ちゃんが来て、ミサヲちゃんと一緒に、妻からずいきの料理を教わった日のこともある。
ほとんど、庄野一族オールスターの登場だ。
チェーホフの「精進祭前夜」の紹介以上に、庄野家の家族日誌という色合いが濃い。
ここで、ひとつ思いつくことがある。
チェーホフの「精進祭前夜」は、長い精進祭に入る前夜の、賑やかな家族の情景をスケッチした作品である。
「精進祭前夜」を紹介するにあたり、庄野さんはチェーホフ作品との親和性を意識して、庄野家の賑やかな家族を登場させたのではないだろうか。
ロシアの賑やかな家族と、生田の山の賑やかな家族。
こんな対比が、この作品にふくらみを持たせている、ひとつの要因となっている。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS