日本文学の世界

開高健「ロビンソンの末裔」北海道開拓移民が見た敗戦直後の日本とは

開高健「ロビンソンの末裔」あらすじと感想と考察

開高健の「ロビンソンの末裔」を読みました。

敗戦後の混乱の中で東京を離れ、北海道を開拓しながら生き抜いた人たちの物語です。

日本の8月に読みたい小説です。

書名:ロビンソンの末裔
著者:開高健
発行:1973/1/30
出版社:新潮文庫

作品紹介

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「ロビンソンの末裔」は、開高健が書いた小説です。

佐伯彰一の解説によると「1960年(昭和35年)、30歳の作者によって書き上げられた、二作目の長編小説」で、「太平洋戦争末期に、計画立案された、北海道開拓移民のその後の実情をじつにたっぷりと詳しく物語ってくれる」「ある意味では、よく調べたドキュメンタリー風な小説」でありながら「といって、これは実情報告のルポタージュ小説とはいえない」とも指摘されています。

単行本は、1960年(昭和35年)に中央公論社から刊行されました。

なれそめ

開高健の作品は「私の釣魚大全」に代表される幾多の釣行紀を愛読書としていましたが、純文学的な作品をきちんと読むのは「ロビンソンの末裔」が初めてです。

敗戦後の風俗を描いた文学作品を調べていく中で出会ったことがきっかけで、都市部の戦後をテーマとした作品が多い中、「ロビンソンの末裔」は北海道開拓移民を描いているという点で、非常に斬新な設定が目を引きました。

一般に北海道開拓というと、明治期の屯田兵に代表される国策的な開拓移民が有名ですが、終戦直後、罹災民や引揚者、復員兵などの受入先として、北海道開拓が(ある意味での国策として)行われていたことは、あまり知られていないような気がします(自分の勉強不足かもしれませんが)。

だから、戦後の北海道開拓移民をここまで執拗に描いた小説があったことに驚いたし、この作品が現代ではあまり注目されていないことを残念にも感じます。

あらすじ

太平洋戦争終結前後の荒廃のさ中に、好条件を並べたてられ、無責任きわまる開拓計画にのせられて生命維持のためにのみ北海道に入植した開拓移民たちの過酷な自然との苦闘―。

“食べる”という最も単純で本能的な欲求に翻弄され、集団移動する人々の驚くべきエネルギーの放出に、人間の生のたくましさと悲哀を感じとり、明澄な筆致でロビンソンの末裔たちの姿を描く力作。

(背表紙の紹介文より)

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

空気は湿ってにごり、熱くて重く、まるでおかゆのなかにつかっているようでした

ほんとにまっ暗です。おしあいへしあいしてひしめく人びとの体と体との間には洞穴ができたようです。(略)女の甲ン高い叫び声、男の罵声、子供の泣き声。みんな汗みどろになっているものですから、空気は湿ってにごり、熱くて重く、まるでおかゆのなかにつかっているようでした。(開高健「ロビンソンの末裔」)

「ロビンソンの末裔」は、終戦直前の上野駅の情景から始まります。

「私が疲れたのは、やはり、空襲のせいです。毎日、東がつぶれ、西が消えしました。街は皮膚病にかかってただれています」「八月に入ると、はげしい夏の陽がギラギラと赤い原に射し、東京のまんなかにいながら夕陽の沈んでゆくのが地平線のうえに見えます」という東京の生活に疲れた主人公の「私」は、北海道開拓のための集団移民に参加します。

この小説を大きく2部構成と考えたとき、前半は北海道移民となることの葛藤とためらい、開拓地までの長い移動、そして後半は実際の開拓地における開拓風景ということになります。

「家を建ててもらったうえに手伝えば日当が頂け、土地はあろうことか十町歩、それも一町歩は既墾地でいますぐ種がまける。おまけに荒仕事はトラクターにやってもらって、こまかい手仕事の道具はただでくれてやろうという。そのうえ豚やら羊やらまで貸してやる。そしてそれをするためにはこの空襲のドタバタさわぎのなかをわざわざ特別臨時列車で座席もたっぷりとって、ゆうゆうかんかんきんたまぶらりと送ってやろうとおっしゃるのですから」などという、あまりに都合の良すぎる政府の宣伝文句に半信半疑の「私」は、それでも東京でのやりきれない生活を続けることができず、移民専用列車に乗って北海道へ向かいます。

新天地に対する希望と期待と不安と高揚感とが、物語の前半を包みこんでいて、その後の展開を素晴らしいものへと仕立て上げています。

開拓民はシラミです。シラミは縫目につく。開拓民は川につくです。

北海道はシャツだ。そこに川が流れてるです。これが縫目です。シャツの縫目です。大きな縫目には石狩とか、天塩とかがある。(略)北海道がシャツで、川が縫目だとすると、開拓民は何だというと、これは話がきたないが、シラミです。(開高健「ロビンソンの末裔」)

開拓地に入る際、指導員の久米田は北海道地図を広げて、開拓民は大きなシャツの縫い目に巣食うシラミのようなものだと説明します。

北海道開拓が、大きな川に沿って進められてきた歴史を考えたとき、「開拓民はシラミです。シラミは縫目につく。開拓民は川につくです。川をさかのぼって土地を開いてきたのが北海道です」という説明は、非常に分かりやすい説明だと思いました。

もっとも「川のないところに開拓地はないです。縫目のないところにシラミはおらんです」と、自分たちをシラミに例えられた移民たちは、決して気持ち良いはずがありません。

上野駅で「改札口をとおるとき、駅長や、知事や、指導員などがずらりとならび、顔をまっ赤にして、ワッワッと両手をあげて万歳を叫びました」というような高揚感は消え失せて、「もともと北海道ってのはゴミ箱なんですからね。難民の捨て場所に使ってひらけてきたんですからね。骨を埋めるつもりで北海道にわたる人間なんていやしませんよ」という列車の中での自虐的な会話が、少しずつ現実味を帯び始めていました。

夜が明けると、なにもかも終っていました

夜が明けると、なにもかも終っていました。小屋は埋もれ、畑も山も川原も、すべてが雪に蔽われ、あたり一帯、ただ蒼光りのする白い輝きがあるばかりでした。(開高健「ロビンソンの末裔」)

与えられた開墾地は、まったくの熊笹ばかりの原野でした。

約束されたような家はなく、既墾地もなく、トラクターどころか手仕事の道具さえない中では、豚や羊なんて夢のまた夢で、とにかく熊笹を焼いて、家族3人が暮らすだけの拝み小屋を建てて、生きる空間を確保するだけで、北海道の冬はあっという間にやってきました。

「人影はない。獣も走らない。雪があるばかりです。雪と風があるばかりです。ここは独房です。広大無辺な、ドアも錠もない、独房です。こんななかでなにが変るのです。特攻隊が跳ねようが、東条さ腹ブトうが、天皇が腹ブツまいが、ペテンがマブかろうが、ニブかろうが。戦争が、あったって、なくたって…」

そんなふうにして「私」の冬は過ぎていきました。

読書感想こらむ

北海道開拓の物語と聞いて、真っ先に思い出すのは、有島武郎の「カインの末裔」です。

実際に札幌農学校の学生や教師として、北海道の暮らしを経験している有島武郎が描く北海道は、どこまでもリアルでヤバい雰囲気に満ち溢れています。

開高健の「ロビンソンの末裔」はタイトルからして、有島の「カインの末裔」を強く念頭に置いて描かれた作品だと思いますが、北海道開拓を十分に描ききっているとは、残念ながら感じられませんでした。

断片的な現地取材で描き切ることができるほど、北海道開拓は簡単なテーマではないのでしょう。

ただし、「ロビンソンの末裔」は北海道開拓移民の姿を借りて、日本の戦後を描くことには成功していると、僕は思いました。

故郷である東京から見捨てられ、母国である日本からも見捨てられた人々が、移民として北海道の原野へ放り込まれていく様子は、紛れもなく戦後の混乱の一端であり、戦争によって人生を破壊された人間たちの真実であると考えることができるからです。

佐伯彰一が「いかにも三十歳の青年作家にふさわしい意気ごみであり、物おじを知らない男性的な勇気であったが、率直にいいきれば(略)やや苦しげな息遣いが目立つようである」と解説しているとおり、壮大なテーマと正面から向き合うには技術的にも力不足だったのかもしれませんが、恐れを知らない青年だからこその鋭い洞察力は、やはり、この小説の魅力のひとつだと思います。

「冒頭の上野駅の集合の場面の生々しいリアリティなど瞠目すべきものがある」という指摘にも全面的に賛成で、人間と向き合う開高健の観察眼は、やはり凄まじいなあと感じました。

まとめ

開高健の「ロビンソンの末裔」は、北海道開拓移民の姿を通して、敗戦直後の日本の混乱を描いた作品です。

完成された傑作とは言えないまでも、重厚なテーマを瑞々しいタッチで軽快に描ききっており、好感の持てる作品だと感じました。

戦後史を知る上で読んでおきたい作品としてお勧めです。

著者紹介

開高健(小説家)

1930年(昭和5年)、大阪市生まれ。

1958年(昭和33年)、「裸の王様」で芥川賞受賞。

「ロビンソンの末裔」刊行時は30歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。