庄野潤三の世界

庄野潤三「リッチソン夫妻」楽しかったガンビア時代の思い出を綴る

庄野潤三「リッチソン夫妻」読了。

「リッチソン夫妻」は、庄野さんがケニオン大学へ留学していたときの思い出を綴った短篇小説で、いわゆる「ガンビアシリーズ」に属するものだ。

文芸誌「群像」(1961年10月号)に掲載されたが、これまで作品集への収録はない。

内容としては、ケニオン大学で出会ったたくさんの教授群像を紹介しながら、特にリッチソン夫妻に焦点を当てて作品化したものである。

一読して驚いたのは、現在からちょうど60年前に書かれた作品であるにもかかわらず、古臭さというものが、まったく感じられないこと。

これは、庄野さんが季節感を大切にして作品を書きながらも、時代背景については、あえて無色透明のままで描いたためだと思われる。

庄野潤三「リッチソン夫妻」が掲載された「群像」(1961年10月号)庄野潤三「リッチソン夫妻」が掲載された「群像」(1961年10月号)

ガンビアシリーズを読んでも、夫婦の晩年シリーズを読んでも、庄野さんの作品には庄野さんの作品だけが持つ時間が流れている。

タイムレスという言葉が、これほど似合う小説家も珍しいのではないだろうか。

相変わらず、物語として特別なストーリーは存在しなくて、あんなことがあった、こんなことがあったという小さなエピソードの積み重ねが作品を構成している。

自分の評価や感想を綴るのではなく、小さな事実を積み重ねることによって、庄野さんは小説の中に何かを残そうとしていた。

「徒然草」を愛した庄野さんらしい手法だと思う。

抽出されたひとつひとつのエピソードにも、庄野さんらしさが現れている。

大抵の場合、作品で採用されているエピソードは、くすりと笑いたくなるようなユーモアのあるエピソードで、夫婦でダンスを踊っているときに互いのおでこをぶつけたとか、激しく踊りすぎてブレスレットの真珠がバラバラになったとか、ビリヤードに詳しくない人のアドバイスを聞いて失敗したとか、他愛のない話が多い。

ゴシップ記事を好む人たちが喜びそうな話、例えば、何々教授と誰々教授の奥さんはデキているとか、何々夫人は結婚前に相当な遊び人だったらしいとか、誰々教授の元カノがガンビアまで押しかけてきて大騒動になったとか、そのようなエピソードは一切登場しない。

そこが、庄野さんの小説の良いところであり、一部の人にとっては、つまらないところでもある。

庄野潤三「リッチソン夫妻」庄野潤三「リッチソン夫妻」

この一年間、庄野さんの作品をたくさん読んで感じたことは、人生の真実なんていうものは、意外とそんな小さなエピソードの中にこそあるのかもしれない、ということである。

大事件を経験しなければ悟ることができないほど、人生なんて複雑なものではないし、日々の出来事の中に喜怒哀楽を求めていく生き方こそが、本当に豊かな人生だという気がする。

久しぶりにガンビアシリーズの作品を読んで楽しい気持ちになることができた。

僕は本当にガンビアシリーズの作品が好きなんだなと思った。

ガンビアの現在を伝える短篇小説「リッチソン夫妻」

「リッチソン夫妻」最大のポイントは、小説の最後の場面で、リッチソン夫人が交通事故に遭って大怪我をしたという知らせが届く場面である。

夫人重症のニュースは、ガンビア時代の親友ミノーのクリスマス・カードによって伝えられるが、その後に届いたリッチソン氏からのクリスマス・カードによって、夫人は一命を取り留めたことが伝えられる。

庄野さんがアメリカから帰国したのは1958年で、リッチソン夫人が事故に遭うのは、その翌年の1959年。

この小説は1961年に書かれているから、小説の中に登場する人々は、まだ実在している人たちばかりであって、しかも、ガンビアにいる彼らと庄野さんとは、遠く離れていながらも、まだつながっている状態だった。

つまり、後の時代に書かれた『シェリー酒と楓の葉』や『懐しきオハイオ』とは違って、「リッチソン夫妻」はガンビアの現在を伝える作品だったと言える。

思い出の中に生々しさが感じられるのは、それは遠い過去の話ではない、つい最近の出来事を綴ったものだったからである。

そういう意味で、この「リッチソン夫妻」は、庄野さんの夫婦の晩年シリーズに似ているのかもしれない。

物語の舞台がアメリカのオハイオ州だったというだけのことで。

作品:リッチソン夫妻
著者:庄野順三
発行:1961/10
出版社:講談社「群像」(1961年10月号)

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。