児童文学の世界

フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」僕と彼女は時の流れを超えてつながっていた

フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」あらすじと感想と考察
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フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」読了。

その夏休み、主人公のトムは、はしかにかかった弟ピーターから隔離されて、母の妹の家で過ごすことになった。

キットスン夫妻の住宅は、かつて大きな一軒の邸宅だったものを、今はいくつかに区切ってアパートとしているものの2階にあり、アパート1階のホールには古くて大きな時計が置かれていた。

子どものいないおじさん夫婦の家で、トムは退屈で苦痛な夏休みを送らなければならない。

ところが、ある真夜中、ホールの大時計が「13」の時を打った時に事件が起こった。

あるはずのない「真夜中の13時」の理由を探ろうとホールへ降りたトムは、アパートの裏口から出たところに広がる美しい庭園を発見する。

庭園で孤独な少女ハティと仲良くなったトムは、二人きりでいろいろな遊びをした。

不思議なことに、トムの姿を見ることができるのは、ごくわずかな一部の人だけで、ハティにとってトムは、まるで「見えない友だち」のような存在になっていた。

さらに不思議なことは、庭園での時間の流れが、現実のものとは思えないことだった。

トムは毎晩のように真夜中の裏口から庭園へと出かけていたが、庭園でどれだけたくさんの時間を過ごしたとしても、アパートのホールに戻った時の時刻は、トムが出かけた時の時刻とほとんど変わらなかった。

一方で、現実の世界でトムが一晩過ごす間に、庭園の世界ではとても長い年月が経っているらしく、出会ったときにはトムと同じ年頃の少女だったハティは、いつの間にか大人の女性へと成長していく。

このファンタジー小説のおもしろいところは、トムが単なる「タイム・スリップ」を経験しているということではなくて、古いアパートの大時計を中心に繋がれた人と人との絆が、やがて訪れる現代で再び結びつくという展開にあるのではないだろうか。

主人公のトムは、自分の不思議な体験を合理的に説明しようと試みるが、「時の流れを抜け出す」という自分の体験から得られた結論は、人は別々の時間の流れを持っていて、誰かの時の流れの中へ入っていくことができる、ということだった。

トムの不思議な体験を知らないキットスン夫妻に、トムの言葉を理解することはできなかったが、トムは自分の不思議な体験を自分なりの説明で乗り越えようとしていく。

トムの経験した不思議な時間の謎は、物語のラストシーンで明らかにされているが、孤独な人間同士が心の中でつながってゆくことの温かさに、読者は納得することだろう。

私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ

著者(フィリパ・ピアス)は、本作品「トムは真夜中の庭で」によって、1958年(昭和33年)のカーネギー賞を受賞している。

1920年(大正9年)にケムブリッジ州のグレート・シェルフォドという田舎町で生まれたピアスは、幼き日の記憶を、本作品の主要な舞台となる「庭園」の中で再現したと、自ら「あとがき」の中で述べている。

トムが時の流れを超えて迷い込んだ庭園は、著者のピアスが少女時代を過ごした庭園でもあったわけだ。

ピアスが、この小説の中で書こうとしたことは、時の流れが人間に与える変化のことだったかもしれない。

すべての子どもが大人になってしまうのと同じように、すべての大人にも子どもの時代があった。

そして、時の流れがどんなに人間を変えようとも、心の中には子ども時代の自分が生き続けているはずである。

ピアス自身の言葉が、そのことをしっかりと物語っている。

「おばあさんは、じぶんの中に子どもをもっていた。私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ」という、彼女自身の言葉が。

書名:トムは真夜中の庭で
著者:フィリパ・ピアス
訳者:高杉一郎
発行:1975/11/26
出版社:岩波少年文庫

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。