いろいろの世界

市橋織江/赤澤かおり「パパイヤと海の夏」 透明に近いブルーな写真

鎌倉の海の家で過ごした、忘れられない夏の日々。

夏は、いつも真剣だ。

怒ったり、泣いたり、笑ったり。でも一番、笑ってることが多い。

それも大きな口をあけて、なんてことはないことに、思い切り大声で笑う。

(以上、本の帯より)

書名:パパイヤと海の夏
著者:市橋織江(写真)、赤澤かおり(文章)
発行:2009/9/30
出版社:ビー・エヌ・エヌ新社

作品紹介

「パパイヤ」は鎌倉由比ヶ浜の海岸にあった「海の家」の名前です。

2005年のひと夏、「パパイヤ」を海岸に建て始める6月から解体される9月までの様子を、写真家の市橋織江が写真として記録し、それを1冊にまとめた写真集になっています。

また、巻末部分には、本書の著者であり、「パパイヤ」のアルバイト店員である赤澤かおりさんが綴った2005年夏の日記が収録されています。

海の家「パパイヤ」は店主の逝去に伴い、2006年夏の営業を最後に店の歴史を閉じました。

これは、日本の高度経済成長以降の夏を支え続けてきた「海の家」の物語です。

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なれそめ

女性写真家の中で誰が好きかと言われたら、「市橋織江さん」と答える。

いや、女性に限らず、多くの写真家の中でも、市橋織江さんの作品が好きだと言える。

だから、市橋織江さんの作品集は、当時から出版される都度に購入していました。

ついでに言うと、僕は季節の中では「夏」がいちばん好きで、日本の海の中では「鎌倉」の海が好きです。

そんな自分だから、「夏の鎌倉」をテーマにした市橋織江さんの写真集は、他の作品集よりもずっと愛着があるし、ずっとドキドキさせてくれる写真集なのです。

毎年5月の終わり頃になると「パパイヤと海の夏」を取り出しては、今年の夏はどうやって過ごそうかな~なんて妄想するのが恒例。

その後、市橋さんのいろいろな写真集を買ったけれど、未だにこの「パパイヤと海の夏」が一番好きです。

写真家とテーマのマッチングが素晴らしすぎたから。

本の壺

「パパイヤと海の夏」は写真集のようでもあり、日記のようでもある、なんとも不思議な本です。

淡い記憶みたいに透明感のある写真集

「パパイヤと海の夏」は、鎌倉由比ヶ浜海にある「海の家」を主人公にした写真集です。

夏の写真というと、バッキバキのカラー写真というイメージがありますが、市橋さんの写真は淡い色彩のものがほとんど。

カラー写真であってカラー写真ではないような、まるでプリントされてから長い時間を経てしまったかのような、ぼんやりと懐かしい写真が、市橋さんの写真の特徴です。

淡い写真はどこか青みがかっていて、いずれすべてが消えてしまいそうなくらいに透明感があります。

そして、真夏の喧騒にカメラを向けているはずなのに、市橋さんの写真はとてもサイレンス。

写真家が風景の中に溶け込んでしまって、風景そのものが写真を撮っているのではないかと思えるくらいに、音がありません。

市橋さんの写真を好きだと感じている人たちは、みんなこのサイレント・ブルー」に魅了されてしまうのかもしれませんね。

夏だけが特別に切り取られていた日々

写真集だから写真がメインではありますが、実は、本書の本当の著者は、巻末に掲載された日記を綴っているライターの赤澤かおりさんです。

どうして、赤澤さんが本書の企画を思いついたのか、それは日記を読むことで理解できます。

赤澤さんは、海の家「パパイヤ」で過ごした時間を、「人生のなかで、夏だけが特別に切り取られていたような、鮮明で濃い時間」と表現しています。

夏が近付くにつれて胸のワクワクする気持ちを抑えられなくなり、「パパイヤ」で働く日々はあっという間に過ぎ去り、仲間たちと楽しく過ぎた夏はあっという間に過ぎ去ってしまいます。

鎌倉由比ヶ浜の海と、海の家「パパイヤ」と、そしてそこで出会ったたくさんの仲間たち。

赤澤さんの日記は、そんな特別な彼女だけの夏に向けて綴られています。

それは決して克明な記録でもなく、文学的に着飾った文章でもありません。

彼女の中の気持ちの高ぶりや微妙な心の変化を、そこら辺にある紙の切れ端にそのまんまメモしただけのような、まるで記憶の断片みたいな日記。

そんな彼女の文章を読んでから写真を観ていくと、また違った夏が見えてくるかもしれませんね。

夏がもっと長かったらいいのに。それか、一年中ずっと夏だったらいいのに。でもきっとそれじゃあ、この季節を待ちわびることも、恋焦がれることもなくなってしまうんだろうなあ。きっと永遠の片思いが実っちゃったときみたいに。(赤澤かおり「パパイヤと海の夏」)

日本の夏には「海の家」があった

本書は鎌倉由比ヶ浜にあった海の家「パパイヤ」を主人公としたひと夏の写真集です。

でも、考えてみると「海の家」というのは、なかなか特別な存在ですよね。

夏が来る前に建て始めて、夏の間中ずっと営業し続けていて、夏が終わったら解体されて、砂浜はまたただの砂浜に戻ってしまう。

まるでひと夏の夢みたいに淡くてはかない存在。

だけど、次の夏にはまた必ず現れて、僕たちの夏を支えてくれる、頼もしい正義の味方みたいな存在でもありました。

一般庶民が夏の海水浴を楽しむようになって、こうした「海の家」は日本全国で定着していったみたいで、「レジャーブーム」が全国を席巻した高度経済成長期には、まさに日本の夏を象徴する存在となりました。

本書は極めて個人的な夏の思い出の写真集ではあるけれど、日本の夏を知っているすべての人々の記憶の中に埋もれているだろう、共通の夏の思い出でもあります。

「夏のレジャー」と言えば海水浴だった、あの頃を思い出しながら、「夏ってやっぱりいいなあ」などと感じてしまうのです。

読書感想コラム

「市橋織江みたいな写真を撮りたい」と、多くのカメラ女子がつぶやいていた時代(それは、そもそも「カメラ女子」なんていう言葉が定着したのと、ほぼ同じ時代だった)。

彼女のカメラは国産「マミヤ」の中盤カメラらしいよと、誰かが教えてくれた。

どんなにデジタルカメラが優秀になっても、フィルムカメラでなければ表現できない世界が必ずある。

とってもサイレントな彼女の写真は、実に雄弁にそんなことを物語っているかのようだ。

フィルムカメラの時代には、デジタルカメラ時代の到来を待ち望んでいたくせに、本当にデジタルカメラの時代がやってきてしまうと「フィルムカメラの方が良かったのに」なんて言い始めている。

人はとっても身勝手で、そして、本当に大切なものだけはやっぱり失いたくないと本能で感じている。

人間なんてそれでいいのだ。

結局、デジタルカメラの時代になったっていうのに、一部の人たちは、今も相変わらずフィルムカメラを手放せないでいる。

市橋織江が登場した頃からだっただろうか、「透明感のある写真」が流行り始めたのは。

ハイキーで淡い色彩で、多くの場合は正方形の真四角写真。

そして、みんな必ず「市橋織江みたいな写真を撮りたい」とつぶやいていたものだ。

まとめ

2005年夏、鎌倉由比ヶ浜にあった「海の家」の記録。

毎年同じような夏なのに、二度と同じ夏はやってこない。

必ず終わりがやってくることが分かっているのに、それも僕たちは夏の海が好きだったんだ。

著者紹介

市橋織江(写真家)

1978年(昭和53年)7月7日、東京生まれ。

代表作に「Gift」「PARIS」など。

本書収録の写真撮影時に27歳の誕生日を迎えた。

赤澤かおり(編集者)

出版社勤務を経てフリー編集者として独立。

「Aloha Book」など、ハワイに関する著作あり。

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じゅん
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庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。