庄野潤三『野鴨』の<七>から<九>まで。
連載で言えば、第三回目にあたる(おそらく)。
ひとつひとつの章が、心に落ち着きを与えてくれる、そんな物語だ。
ネス湖の怪物のことなら、この一家はみんな深い関心を持っている。
『野鴨』の第七章は、テレビで観た外国映画の話。
父親の井村と次男の良二が、あれは、どんな映画だったのかと、二人で振り返っている。
おもしろそうな映画なのだが、残念ながらタイトルは登場していない。
昭和47年の1月に放送されたイギリス映画というだけでは、なかなか調べるのが難しいかもしれない。
良二と映画の舞台について話をしながら、井村はスコットランドのネス湖を思い浮かべている。
そういいながら、彼はネス湖にいる怪物を思い浮べた。ネス湖の怪物のことなら、この一家はみんな深い関心を持っている。ついでにいうと、怖いものみたさという気持はあるにはあるが、手荒な真似をして正体を突きとめようとするのには反対であった。「せっかくいるのに。そうっとしておいたらいいのに」(庄野潤三「野鴨<七>」)
続いて<八>は、庭の野鳥の話から始まる。
それから、良二が発見したという焼き豆腐の作り方の話になってから、再び、庭の野鳥の話へと戻る。
ここで井村は、学校にいる時分に、英語の本の中で出会った文章の、始まりのところを思い出す。
それは、昔、ロンドンの街を、夜明けとともに現れる少年の煙突掃除人の話で、少年たちが張りあげる声は、雀のように可愛らしかったといわれる(ここが野鳥とリンクしている)。
もしあなたが朝の早い散歩で、こんな時に子供の煙突掃除人が羨ましそうにサループの湯気を覗き込んでいるのを見かけたら、是非、ひと鉢、御馳走してやって下さい。安いものですから。(庄野潤三「野鴨<八>」)
これは、言うまでもなく、庄野さんが敬愛するチャールズ・ラムの『エリア随筆』に収録されている「煙突掃除人」のエピソードである。
『エリア随筆』のたくさんあるエピソードの中で、庄野さんは、この「煙突掃除人」の話がお気に入りだったのだろう。
押売りでもなく、浮浪者でもない風態の男が立っていた。「金、下さい」といった。
『野鴨』の<九>は、黍坂に住んでいる和子が、遊びに来たときの話である。
母と和子とでスカートのお直しの話をした後で、今度は、和子の隣の奥さん(コーキちゃんのお母さん)の話になる。
鹿児島出身の奥さんが、東京風のお雑煮を食べたとき、あまり美味しくなかったらしい。
この奥さんは、六月に二番目の子どもが生まれる予定で、悪阻がひどいという。
コーキちゃんを外へ遊びに出さなくなってしまったので、コーキちゃんのストレスも溜まっているという話になった。
ここで、井村は、和子が小学生四年生のときに書いた「ボールけり」という作文を紹介する。
家の中で、親子でボール蹴りをして遊んでいるうちに、襖を破ってしまったという話である。
和子の作文に出て来る家族は、家の中でまりの蹴り合いなんかしているが、収入は全く少なかった。一度、玄関の呼鈴が鳴って、井村が出てみると、押売りでもなく、浮浪者でもない風態の男が立っていた。「金、下さい」といった。(庄野潤三「野鴨<九>」)
ちょうどその頃、井村は剃刀負けがなかなか治らなくて、髭を伸ばしたきりにしているときだった。
髭面の井村が、ゆっくりと手を振って、「金、ないの」というと、男はおとなしく出て行った。
この話は家族の中でも話題となって、顔の前でゆっくりと手を振って、静かな声で「金、ないの」と真面目に言う真似が、家族内で流行したという。
ここでも、隣の奥さんの話が、自然な形で井村一家の昔話へと繋がっている。
50歳を迎えた庄野さんが、何らかの節目ということを意識しながら、この『野鴨』という作品を綴っていることが感じられる。
ただし、それが鼻に付かない程度に、さりげない形で。
書名:野鴨
著者:庄野潤三
発行:1973/1/16
出版社:講談社