エドウィン・ミュアの「スコットランド紀行」を読みました。
GO TO トラベルは停止になったけれど、本の世界で旅行を楽しみましょう。
書名:スコットランド紀行
著者:エドウィン・ミュア
訳者:橋本槇矩
発行:2007/07/18
出版社:岩波文庫
作品紹介
「スコットランド紀行」は、エドウィン・ミュアの旅行記です。
原題は「SCOTTISH JOURNEY」で、本国のイギリスでは、1935年(昭和10年)に出版されました。
橋本槇矩さんの「訳者あとがき」では、「1930年代の経済恐慌時代の社会相をレポートするためにハイネマンとゴランツ社は共同計画を立てました。その結果生まれたのが、進歩的ジャーナリストで作家のフィリップ・ギブズの『ヨーロッパ紀行』(1934年)、イングランドの国民的劇作家・小説家J・B・プリストリーの『イングランド紀行』(1934年)、スコットランドの詩人・批評家エドウィン・ミュアの『スコットランド紀行』(1935年)でした」と、紹介されています。
スコットランドの北の沖に浮かぶオークニー諸島で生まれた詩人ミュアは、一九三四年、おんぼろ自動車に乗ってエディンバラからスコットランドを周遊する旅に出た。当時のスコットランド各地の印象を伝える貴重な旅の記録。本邦初訳。 (カバー文)
あらすじ
1934年(昭和9年)、スコットランドのオークニー諸島出身の詩人ミュアは、スコットランドの南の街エディンバラから北のオークニーで向かって、友達に借りたオンボロ自動車で旅行をしました。
この「スコットランド紀行」は、その際にミュアが観たこと感じたことを一冊の旅行記としてまとめたものです。
「訳者あとがき」の中で橋本さんは、「この紀行はエディンバラの景観、歴史、生活風景、その他の記述から始まります。次にセルカータ、モントローズ、キリミュアなどを経て、スコットの小説やケイルヤード派の筆頭であるジェイムズ・バリーの『スラムズの窓』(1889年)などに言及しつつ、スコットランドと過去と現在の比較や、イングランドとスコットランドの田舎町の相違などを論じています」と、この旅行記の特徴について説明しています。
また、著者のミュアも本書の中で「この本は旅の記録である。最初の意図は現在のスコットランドから受ける印象を書き留めることであった。ロマンチックな過去のスコットランドではなく、旅行者のスコットランドでもなく、特に何も求めず、自分の目と耳が語ることだけを頼りにしている者に見えるスコットランドの姿を書き記すことである」と綴っています。
(目次)///第一章 エディンバラ/第二章 南部/第三章 グラスゴーへ/第四章 グラスゴー/第五章 ハイランド/第六章 むすび///訳者あとがき
なれそめ
コロナ禍で旅行そのものが難しくなる中、最近は旅行記を読みたいと思う気持ちが強くなりました。
原題の旅エッセイみたいな本は、これまでもたびたび読んではいるのですが、本格的な紀行というのは、きちんと手を出したことがないように思います。
最初に選んだ本が、本書「スコットランド紀行」です。
スコットランドについては、基本的な知識さえ何もないのですが、冬の洋服を買う時には、スコットランド製のウールやツイードの製品を選んで買うことがあります。
ニットウェアやツイード生地の中には、スコットランドの伝統的な文化の香りが色濃く残っていると考えていたのかもしれません。
本書が出版されたのは、現在から100年近くも昔の1935年(昭和10年)のこと。
昭和初期のスコットランドの文化の匂いを少しだけ知りたい。
そんな軽い気持ちで、僕はこの「スコットランド紀行」を読み始めたのです。
本の壺
心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。
旅行者が最も頻繁に訪れるエディンバラの歴史的街区は実際はスラムである
旅行者の目は特別のメカニズムをもっていて、不可解なことを実行している。たとえば昔の記念物や建物を、実際は汚く不衛生であることに気づかず見ているのだ。しかし旅行者が最も頻繁に訪れるエディンバラの歴史的街区は実際はスラムであり、ところどころで家屋が囲われて博物館や専門学校に変身しているにすぎない。(「第1章 エディンバラ」)
スコットランドのロマンチックな歴史を文化を期待して読み始めたものの、その期待は本書の冒頭部分で早速粉々に砕け散ることになります。
ミュアは「ロマンチックな過去のスコットランドではなく、旅行者のスコットランドでもなく、特に何も求めず、自分の目と耳が語ることだけを頼りにしている者に見えるスコットランドの姿を書き記す」と述べているとおり、一切の先入観に惑わされることなく、実際のスコットランドを忠実に観察し、記録しようとしています。
その結果として現れるのは、産業革命によって破壊された美しい景観であり、貧富の差の拡大によって登場した多くのスラム街でした。
考えてみると、昭和初期の頃というのは、日本でも社会福祉が未発達で、東京の中にいくつもの貧民窟と呼ばれるスラム街が現存していた時代です。
第一次世界大戦のバブルで沸いた好景気が、1929年(昭和4年)の世界恐慌でどん底まで突き落とされると、街には失業者が溢れ、多くの貧民街が誕生しました(当時は細民街とも言った)。
ミュアの「スコットランド紀行」は、そんな時代のスコットランドを記録したものであり、観光旅行記というよりは、社会科学的な視点から民衆をとらえて、国家の在り方というものを探ろうとしています。
古き良きイングランドは消滅しつつある。しかしイングランドそのものがなくなることはない。だがスコットランドでは生活様式そのものが全財産なのである。それを失えばすべてを失うことになる。あとは地図の上の地名として残るのみだ。(「第1章 エディンバラ」)
クリータウンは雑然とした薄汚い町だった
クリータウンは雑然とした薄汚い町だった。ツゥイード川地方を除いて、スコットランドのほとんどの古い町はそんなものである。譬えて言えば暖炉の片隅でむっつりと煙草をふかしている皺くちゃの老婆という感じである。(「第3章 グラスゴーへ」)
ミュアの視線は、美しいものよりは美しくないものへ、繁栄するものよりは貧しいものへと注がれる傾向にあるようです。
期待されたツイード地方に関する描写はほとんどなくて、むしろ産業革命と大恐慌の犠牲者とも言うべきスラム街に生きる庶民へと、強い関心が寄せられています。
間違いというわけではないにしても、書名と内容とがあまり一致しているように感じられません。
「スコットランド紀行」などというロマンチックなものではなく、「最暗黒のスコットランド」的なタイトルの方が、内容とはマッチするのではないでしょうか。
著者のミュアは詩人なので、多くの文章が詩的装飾に溢れていることも、本書の特徴だと思います。
女たちは第一子を出産すると若さと美しさを失う
厳しい生活の中では、男たちのほうが女たちよりはましである。なぜなら男たちは一日じゅう野外の仕事をしていて、貧困を目の当たりにせずに済む。子供たちの多くは飢えかかっている。女たちは第一子を出産すると若さと美しさを失う。(「第5章 ハイランド」)
都会のグラスゴーを離れて北へ向かうと、静かな農村地帯へ入りますが、そこで働く農場従事者たちの暮らしは貧しく、多くの農場従事者は、貧困の生活から脱け出すことができません。
この辺りまで読んでくると、本書は既に旅行記ではなく、社会科学の視点から論ぜられた資本主義への批判書であるということが理解できます。
ミュアは、スコットランドの格差社会を改革するためには社会主義が必要だと考えているのです。
旅の最後の晩、ホテルの小さな部屋で、できるだけ公平無私にスコットランドのことを考えて、私は二つのことを成し遂げる時が来たと思った。一つは国家をつくること。もうひとつは社会主義社会をつくること。(「第5章 ハイランド」)
つまり、それが1930年代のスコットランドだったということなんでしょうね。
読書感想こらむ
事前のイメージと違うということは、最初の数ページを読んだだけで分かりました。
それでも、僕が本書を完読することができたのは、本書の内容が実に興味深いものだったからということに他なりません。
実は、日本国内の貧困地域を描いたルポタージュには、これまでにもいくつか触れてきているので、そういう意味で大きな違和感を感じるということはありませんでした。
美味しいものを食べたり、観光スポットを巡ったり、こっちが勝手に描いていた旅行記とは、内容が異なっていたというわけで(あまりに大きな隔たりではありますが)。
ただ、ちょっとした勘違いで、読書の幅が広がったことについてはうれしく思います。
この手の本を、もっと読んでみたくなりました。
まとめ
ミュアの「スコットランド紀行」は、観光旅行記ではない。
産業革命と世界恐慌で砕け散ったスコットランドの伝統と誇り。
格差社会に関心のある方にもお勧め。
著者紹介
エドウィン・ミュア(詩人)
1887年(明治20年)、スコットランド生まれ。
1919年、ロンドンへ移住、「ニュー・エイジ」の編集助手となる。
「スコットランド紀行」刊行時は48歳だった。
橋本槇矩(英文学者)
1945年(昭和20年)、中国生まれ。
ウエルズの「透明人間」や「タイム・マシン」など、海外SF小説の翻訳多数あり。
本書刊行時は62歳だった。