庄野潤三の世界

庄野潤三「この夏のこと」あけびの木と瓶ラムネが母の誕生日プレゼントだった

庄野潤三「この夏のこと」あけびの木と瓶ラムネが母の誕生日プレゼントだった

庄野潤三「この夏のこと」読了。

「この夏のこと」は、昭和46年11月10日付け「東京新聞」に掲載された、短い随筆である。

随筆集としては『庭の山の木』(1973)に収録されている。

それは、ちょうど二か月前のことになるが、上の子どもが自転車を玄関から出して、どこかへ出かけて行った。

夏休みもほとんど休みなしにサッカーの練習で学校へ行っていたのに、その日は、午前中だけ家にいたらしい。

やがて戻ってきた上の子どもは、家の中へ入らずに庭へ回っているので見に行くと、葉のいっぱいついた、大きなつるを肩からかつぐようにして、硝子戸の外に立ち止まっている。

「どうしたんだ」と声をかけると、「あけびのつる、取って来たんだけど」と言う。

「今日、お母さんの誕生日だから」

なるほど、そう言えば、あけびのまるい実が、あちこちに付いている。

どこから取ってきたのか尋ねると、ゴルフ場の方へ上っていく道の横に生えていたという。

さすがの庄野さんも、自分の子どもが、母親の誕生日の贈り物に、まさかあけびを掘りに行っているとは思わなかった。

スコップはなかったが、ナイフを持っていってつるを切り、根は手で掘ったらしい。

以前、下の子どもが、小学校の先生から言われてあけびを取ってきたときに、ナイフを持っていなかったため、つるを一本一本歯で食いちぎったという話をしたことがある。

それにしても、これだけ長い根を、手でそっくり掘るのは容易ではなかっただろう。

従前、庄野さんの妻は、家にあけびがあるといい、あけびの垣根はいいものだから、というようなことを言っていた。

しかし、庭は十年も経つうちに植木溜めのようになって、何を植えようにも空いた場所が見つからないようになってしまった。

だから、子どもが取ってきたあけびも、これはつるだから、何とか万障繰り合わせて、父と子の二人で力を合わせて植えた。

昭和46年の母の誕生日の贈り物である。

その日は、高校一年の下の子どもが、サッカーの練習で学校へ行っていて、その帰りに店屋でラムネを六本買ってきた。

ラムネの壜は、中身の分量から考えると、容れ物そのものが重いということに、庄野家の人々は今さらのように気が付いたという。

それでも、あけびの木とラムネの取り合わせは、みんなの気に入る誕生日のプレゼントとなった。

庄野潤三、50歳の夏のできごとの小さな物語

冒頭「ちょうど二月前になるが」とあるが、庄野さんの奥さんである千壽子夫人の誕生日は、8月19日である。

「上の子ども」とあるのは、長男「龍也」のことで、当時の作品中では「明夫」として登場することが多かった。

この随筆が新聞で発表されたときは、20歳になったばかりで、この年の4月に、一浪の末、成城大学へ進学している。

「高校一年の下の子ども」は「和也」で、作品中では「良二」として知られている。

昭和46年当時といえば、庄野さんの家族小説の中心的な存在だった<明夫と良二>シリーズが、ピークだった時期と言える。

昭和45年5月、長女の「夏子」が結婚をして家を出ていく前後の話は『絵合せ』や『明夫と良二』といった話で描かれている。

長女の結婚は、五人家族の庄野家にとって、やはり大きな出来事だったに違いない。

この年、昭和46年に、庄野さんが新たに発表した<家族の物語>は、「カーソルと獅子座の流星群」(『絵合せ』所収)と「組立式の柱時計」(『休みのあくる日』所収)がある。

単行本『絵合せ』の刊行は、この年(昭和46年)の5月で、翌年(昭和47年)4月に『明夫と良二』が、岩波少年少女の本として書き下ろしで刊行されている。

充実の作品群が、次々とまとめられつつある、そんな時代だったのだ。

そんな、庄野潤三50歳の夏のできごとの小さな物語である。

作品名:この夏のこと
書名:庭の山の木
著者:庄野潤三
発行:1973/5/31
出版社:冬樹社

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。