庄野潤三「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」読了。
本作「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第四回目の作品であり、「群像」1988年(昭和63年)11月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
おれの名前はカシヤンで 鑿というのがそのあだ名
庄野さんの好きな文学作品を紹介する『エイヴォン記』、連載四回目のテーマはツルゲーネフの『猟人日記』(岩波文庫、佐々木彰訳)から「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」である。
ツルゲーネフの『猟人日記』からは、連載二回目で「ベージンの野」が紹介されている。
同文庫から作品が二つも選ばれているということは、庄野さんは『猟人日記』がよほどお気に入りだったらしい。
実は、この他にも「鴨撃ちに行った先の、葦の茂っている池で、乗っている小舟に水が入って沈む話の<リゴフ>にも心を惹かれる(略)これも何だかのんびりしていて、面白い」とある。
庄野文学のルーツを考える上で、『猟人日記』はひとつの大きなヒントになるのかもしれない。
「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」は、鴨撃ちへ向かう馬車が故障してしまったので、途中の小さな村で援助を求める話である。
そのとき、対応してくれた百姓の名前が「カシヤン」で、「クラシーヴァヤ・メーチ」は、カシヤンが現在の小さな村へ移るまで住んでいた村の名前だった。
カシヤンはツルゲーネフの鴨撃ちを非難しながら、猟に同行する。
猟の帰り道でカシヤンが歌った「おれの名前はカシヤンで 鑿というのがそのあだ名」という歌が楽しい。
これが本当に「夏の最後の薔薇」だろう
さて、本作では「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」とは関係のないエピソードが二つ含まれている。
ひとつは、清水さんからエイヴォン(薔薇の名前)をもらった話。
翌朝、仕事机の上の花生けに、頂いた中でいちばんいいかたちをしたエイヴォンが活けてあった。もうエイヴォンは見られないかと思っていたので、有難い。妻の話では、「差上げるような薔薇じゃないですけど、エイヴォンが咲きましたので」といって、下さったそうだ。イギリスに「夏の最後の薔薇」という歌があるけれども(この曲が日本に入って「庭の千草」になる)、これが本当に「夏の最後の薔薇」だろう。(庄野潤三「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」)
そして、もうひとつのエピソードが「孫娘の文子が私の家へ現れたときのこと」だ。
雨つづきのあとの気持ちよく晴れた日だった。
ずっと雨降りで、フーちゃんは外へ出かけられなかった。
隣のあつ子ちゃん(長男の嫁)の話では「フーちゃん、毎日、外へ出られなくて、険しい顔をしていました」ということである。
私の家では、フーちゃんは走りまわる。ときどき跳び上る。片時もじっとしていなくて、家の中を走りまわった。何日も外へ出られなくて溜っていたストレスは完全に無くなったと思えるくらい駆けまわった。妻の話では、図書室の籐の「お馬」を自分で担いで書斎まで持って来たという。(庄野潤三「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」)
散々走りまわったあと、みんなで桃を食べた。
フーちゃんが左手でフォークを持ったとき、母のミサヲちゃんが「そっちのお手々よ」といって、右手に持ち代えさせた。
自分の桃を食べてしまったフーちゃんは、妻とミサヲちゃんから一切れずつもらって、それも食べてしまった。
この後、話は「クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン」へ戻るのだが、最後にツルゲーネフは森の中で、カシヤンの身内と思われる美しい少女(アンヌシカ)と出会う。
美少女アンヌシカ登場の前に、暴れん坊のフーちゃんのエピソードが挿まれているところがよかった。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS