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庄野潤三「貝がらと海の音」老夫婦を囲む優しい家族小説に癒される

庄野潤三「貝がらと海の音」老夫婦を囲む優しい家族小説に癒される

庄野潤三さんの「貝がらと海の音」を読みました。

夫婦の晩年を描いた長いシリーズの第一作を、ついに読むことができました。

書名:貝がらと海の音
著者:庄野潤三
発行:2001/7/1
出版社:新潮文庫

作品紹介

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「貝がらと海の音」は、庄野潤三さんの長編小説です。

「小説」といっても、私小説のような日記のような随筆のような、ジャンルのはっきりしない物語ですが、作者の庄野さんは、あとがきの中で「この小説は1995年1月から12月まで『新潮45』に連載した」と書いているので、作者の意図としては「小説」だったと考えて良いようです。

郊外に居を構え、孫の成長を喜び、子供達一家と共に四季折々の暦を楽しむ。友人の娘が出演する芝居に出かけ、買い物帰りの隣人に声をかける―。家族がはらむ脆さ、危うさを見据えることから文学の世界に入った著者は、一家の暖かな日々の移りゆく情景を描くことを生涯の仕事と思い定め、金婚式を迎える夫婦の暮らしを日録風に、平易に綴っていく。しみじみとした共感を呼ぶ長編。(背表紙の紹介文)

あとがきの中で、庄野さんは「子供が大きくなり、結婚して、家に夫婦が二人きり残されて年月がたつ。孫の数もふえて来た。もうすぐ結婚五十年の年を迎えようとしている夫婦がどんな日常生活を送っているかを書いてみたいという気持ちが私にあり、それが『新潮45』の亀井龍夫さんに分って、『貝がらと海の音』を書くことになった」と、経緯を記しています。

各回のタイトルはなく、「一」から「十二」までの通し番号で示されています。

ちなみに、「もうすぐ結婚五十年の年を迎えようとしている夫婦がどんな日常生活を送っているかを書いてみたい」という庄野さんの構想はシリーズ化されて、晩年の庄野文学にとってひとつの大きな柱となりました。

庄野潤三「夫婦の晩年シリーズ」一覧
①貝がらと海の音(1995)/②ピアノの音(1996)/③せきれい(1997)/④庭のつるばら(1998)/⑤鳥の水浴び(1999)/⑥山田さんの鈴虫(2000)/⑦うさぎのミミリー(2001)/⑧庭の小さなバラ(2002)/⑨メジロの来る庭(2003)/⑩けい子ちゃんのゆかた(2004)/⑪星に願いを(2005)

なれそめ

僕が庄野潤三さんの「晩年の夫婦シリーズ」の作品を読んだのは、シリーズ3作目の「せきれい」が初めてでした。

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最初はその作品がシリーズものであるということも全然知らなくて、「あとがき」を読んだときに初めてシリーズのことを知りました。

今回は、古本屋で偶然に見つけて280円で買ってきた新潮文庫版(定価590円の半額だった)を、シリーズ最初の作品だと意識しながら読むことができました。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

貝がらを耳に当てると、海の音が聞えるの

フーちゃんが貝がらを大事そうに持って台所へ来た。お茶の用意をしている妻にフーちゃんが、「貝がらを耳に当てると、海の音が聞えるの」といった。(庄野潤三「貝がらと海の音」)

庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」の作品タイトルは、連載第1回目の中に出てくるエピソードの中から拾われてくるようです。

なにしろ、実際にあった事柄を綴っていくから、全体を通したタイトルを付けることは難しいということだと思います。

「貝がらと海の音」も、第一話で孫娘のフーちゃんが言った「貝がらを耳に当てると、海の音が聞えるの」という言葉からタイトルとして採用されていました。

フーちゃんの、この台詞がなかったら、この小説のタイトルもまた違うものになっていたんでしょうね。

「エイヴォン記」で「満二歳になる孫娘」として登場していた「フーちゃん」は、このとき小学2年生でした。

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なお、「エイヴォン記」に関するエピソードは、本作の第十一話でも登場しています。

間違っても自分の本が「売れに売れて嬉しい悲鳴が上る」ようなことになりっこないことは承知している

「きっと売れに売れて嬉しい悲鳴が上る予感がします。箪笥の上の大雄山最乗寺のお守りに向って日の出に向って、どうぞいっぱい売れますようにとお願いしています」(略)いい手紙をくれた。ただ、当方は間違っても自分の本が「売れに売れて嬉しい悲鳴が上る」ようなことになりっこないことは承知している。(庄野潤三「貝がらと海の音」)

庄野さんの著作「文学交友録」の書名本を送ってもらった長女の夏子さんは、「どうぞいっぱい売れますようにとお願いしています」という内容のお礼の手紙を庄野さんに渡しますが、庄野さんは「当方は間違っても自分の本が『売れに売れて嬉しい悲鳴が上る』ようなことになりっこないことは承知している」と、いたってしたたか。

この冷静さが、シリーズを長く続かせた大きな要因になっているような気がします。

かつて「インド綿の服」で重要なモチーフとなっていた、足柄山で暮らす長女「夏子さん」からの手紙は、本作でも度々登場して、物語を盛り上げてくれています。

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庄野さんの一連の作品の中において、長女の夏子さんが果たす役割は、非常に大きいということを、本作「貝がらと海の音」を読んで改めて感じました。

夏子さん手作りのアップルパイ、本作でももちろん登場していますよ。

妻に「ハーモニカ、ありがとう」という

朝、枕もとに何か置いてある。細長い箱。書斎へ持って行って、包みを開けると、ハーモニカが出て来た。妻に「ハーモニカ、ありがとう」という。(庄野潤三「貝がらと海の音」)

シリーズの中で、頻繁に登場することになるハーモニカは、奥様からのクリスマス・プレゼントでした。

親戚とか近所の人とか、非常にたくさんの人物が登場する庄野さんの小説ですが、根底にあるのは「夫婦ふたりの暮らし」なので、最も重要な役割はパートナーである奥様が担っています

クリスマスにハーモニカを贈られた庄野さんは、その後、毎晩のように奥様と二人で演奏会を開催することになるのですが、老後の夫婦が、こんなにも楽しそうな生活を過ごしているということに、すごい衝撃を受けました。

「老いることは全然怖いことではない」という庄野さんのメッセージが、作品のあちこちから、ムンムンと溢れ出ているのです。

創刊当時の「クウネル」で、庄野さんの作品が「若い女性に人気」と紹介されているのも、分かるような気がしました。

理想的な「老い」が、庄野さんの作品にはあるということなのでしょうね。

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読書感想こらむ

最初に読んだ第三作目の「せきれい」と比べると、本作「貝がらと海の音」はずっと小説らしい文章をしていると思いました。

「せきれい」では、まるで備忘録のように簡潔なフレーズが並んでいましたが、「貝がらと海の音」では、文学的な表現がところどころで顔を覗かせています。

次男一家が七五三のお祝いに、写真館で記念写真を撮影しているとき、フーちゃんの姿を見た庄野さんが「待合室の椅子に腰かけているフーちゃんを見たとたん、泪が出そうになった。何の泪なのだろう?」と自分に問いかけるあたりは、本作の中でも異質に光っている部分だと感じました。

もっとも、全体的には淡々とした文章で、まるで観察者のような視点で、自分の日常生活を記録しているのが、本シリーズの特徴だと言えるでしょう。

とにかく登場人物が多い上に、それぞれの人物のキャラクターがはっきりしているので、同じような日常の繰り返しといっても、全然飽きることがありません。

アニメで言えば「サザエさん」一家のように、平和な家庭に起こる普通の出来事を小説という枠の中で表現しているということだと思います。

特段の誇張も脚色も必要ない、普通の日常生活を描いた作品には、もはや永遠の普遍性さえ感じてしまいました。

まとめ

庄野潤三さんの「貝がらと海の音」は、夫婦の晩年を描いたシリーズの最初の作品です。

家族や近所の人たちなど、たくさんの登場人物に囲まれて、老夫婦は今日も楽しい晩年を過ごしています。

癒されたいと考えている人にお勧めですよ。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪生まれ。

1966年、現在の庄野作品の原点となった「夕べの雲」は読売文学賞受賞作品。

「貝がらと海の音」刊行時は74歳だった。

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じゅん
じゅん
札幌在住の文化系社会人。文学散歩とカフェ読書を楽しんでいます。札幌中央図書館の2階辺りに棲息中。