庄野潤三の世界

庄野潤三「インド綿の服」長女の手紙から広がる家族小説でほっと一息

庄野潤三さんの連作短編集「インド綿」の服を読みました。

家族の手紙を題材として使った、珍しい家族小説です。

書名:インド綿の服
著者:庄野潤三
発行:2002/4/10
出版社:講談社文芸文庫

作品紹介

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「インド綿の服」は、庄野潤三さんの短編小説集です。

南足柄市で暮らす長女からの手紙を題材にした連作短編6篇が収録されていて、初出は次のとおり。

インド綿の服(群像)1981/10
大きな古時計(文藝)1983/1
楽しき農婦(群像)1984/1
雪の中のゆりね(群像)1984/11
誕生日の祝い(群像)1985/11(原題「誕生祝い」)
足柄山の春(群像)1987/10

初出の雑誌掲載時期を見ると分かるとおり、1981年から1987年までの7年間で、ほぼ1年に1篇のペースで発表されています。

1986年に雑誌発表がなかったのは、脳内出血で入院後、回復に努めていたためだと思われます(この辺りの経緯は、1987年発表の「足柄山の春」でも触れられています)。

単行本は、1988年に講談社から刊行されています。

「足柄山からこんにちは」――自然に囲まれて暮らす一家の様子を、長女はユーモアあふれる楽しい手紙で知らせてくれる。 山の豊かな四季。そこで営まれる若さと活力に満ちた生活。その便りは“私たち”に大きな喜びを与えてくれる。 表題作をはじめ「楽しき農婦」「足柄山の春」など、家族の愛の交流を描く足柄山シリーズ6篇。(背表紙の紹介文)

あらすじ

「インド綿の服」の特徴は、足柄山に住む長女から届いた実際の手紙を題材として、自分と家族の日常生活を描いていることでしょう。

この『インド綿の服』初版の「あとがき」に私は次のように書いている。

「足柄山からこんにちは」で始まる長女の手紙を受け取る。妻が朗読する。聞いている私は楽しむ。あるいは驚く。心配させるようなことは書いてなくて、笑うか呆れるかという方が多いのだが、この手紙から受けるよろこびを必要な注釈を加えながらなるべくそのまま読者に伝えたいというのが、「インド綿の服」に始まる足柄山シリーズ六篇のテーマといっていいだろうか。(筆者から読者へ「『インド綿の服』のこと」)

庄野さんの「あとがき」にあるとおり、この小説は、長女から受け取った手紙を、庄野さんが解説する形で構成されています。

手紙の内容は、もちろん特別なことではなくて、足柄山で暮らす長女一家の日常生活に関する報告ばかり。

「インド綿の服」が『群像』に載ったのが昭和56年10月で、「足柄山の春」が62年10月だから、まる6年たった。長女一家が南足柄市へ越して行ったのは「インド綿の服」の出る前の年の春であるから、長女一家からいえば、雑木林のなかの家で新しい環境に馴染みながら過した最初の七年間の生活が物語の背景となっている。はじめは夫婦と三人の子供で出発したものが、途中から子供4人となった。(筆者から読者へ「『インド綿の服』のこと」)

普通の暮らしの中にある小さなドラマの積み重ね。

庄野文学最大のテーマが、「インド綿の服」では長女の手紙を中心に展開していきます。

なれそめ

今さらという感じがありますが、今年の夏から、庄野潤三さんの全著作読破に挑戦中です。

本来であれば、発表順に読んでいく方が良いのかもしれませんが、なにしろ庄野さんの著作は入手困難なものが多いので、入手順に手当たり次第に読んでいます。

僕にとって庄野さんは「未知の作家」であり「初めての作家」でもあるので、研究者のように系統立てて読むよりも、とにかく読みまくることの方が、今は大切なような気もしています。

「インド綿の服」は、いきつけの古本屋で発見しました(950円でした)。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

お約束のインド綿の服を作りました

やっと時間が出来て、お約束のインド綿の服を作りました。来年用になってしまいましたが、ご免なさい。来年の夏、すぐに着てください。(「インド綿の服」)

表題作「インド綿の服」は、長女からの手紙の中に登場します。

庄野さんの解説によると、これは「八月半ば過ぎの妻の誕生日までに仕上げるつもりでいた夏のふだん着を送る小包に添えられていた手紙」で、足柄山に家を新築したおかげで避暑気分の来客が7組もあったために遅れてしまったという説明の後に、「洋裁どころでなかったのも無理はない」とのコメントが付されています。

本書の構成は、長女からの手紙、庄野さんの解説とコメント、またまた長女からの手紙と庄野さんの解説という形が最後まで続きますが、「暑中お祝い申し上げます」「ニワトリはこの頃、ソトトリと呼びたいほど、遠くまで遊びに行ってしまいます」のように、長女夏子さんの個性的な文章も、本書の大きな魅力となっています。

初めて知ったラム姉弟の生涯に感動しています

毎晩ラムを読んでいます。ストランドの宿でお父さんのくしゃみが止まらなくなったり、お母さんが毎日、エムバンクメントの屋台のおじいさんの店へ果物を買いに行ったり(勇気ある行動、すごい!)身近な日常の話が出て来て、とても楽しいです。そして、初めて知ったラム姉弟の生涯に感動しています。(「雪の中のゆりね」)

「「ラムを読んでいます」とあるのは、この年の二月上旬に出た父親の本のこと」だと、庄野さんは解説をしています。

1984年(昭和59年)に文芸春秋から刊行された「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」のことで、庄野さんによると「妻と二人ではじめてロンドンを訪問した折の十日間の日記と、テムズに面した法学院テムプルで生まれ育ったチャールズ・ラムと姉メアリイの生涯を重ね合わせるかたちで書いた、紀行とも評伝ともつかないもの」だそうです。

「細々としたことが出て来るから、読むのも楽ではなかった筈だ。申し訳ない気がする」と、長女をねぎらっています。

なにもかも良い事ばかり一篇にやって来たようですね

お父さんの快気祝いも各地に届いて、「サヴォイ・オペラ」と、病後の第一作の随筆「童心」の載った新潮五月号が出て、宝塚花組公演の観劇は今や秒読み開始で、なにもかも良い事ばかり一篇にやって来たようですね。(「足柄山の春」)

この「足柄山の春」は、「私はその前の年の十一月十三日に脳内出血を起して川崎市溝の口の病院へ担ぎ込まれた」という庄野さんが、病気から回復した後に書かれたものです。

特に冒頭の部分では「リハビリテーションの訓練を受けるために川崎市梶ケ谷の虎の門病院分院へ十二月二日に転入院し、経過は順調で、暮の二十七日に退院、一ヵ月半ぶりに生田の自宅に帰って来た」「頭の右側の出血で左半身が麻痺したが」「退院してからは日課のようにして、冬のきびしい寒さのなかで家の近くを毎朝、歩いている」と、自分の近況について紹介しています。

滅多に事件の起きない庄野さんの家族小説において、作者である庄野さんの入院は、非常に大きなドラマだったことでしょう。

「サヴォイ・オペラ」は、昭和61年3月に河出書房新社から刊行された庄野さんの作品。

「『サヴォイ・オペラ』は、私が文芸雑誌に連載していたもので、イギリス十九世紀ヴィクトリア朝に人気のあった、作詞・台本がギルバート、作曲がアーサー・サリヴァンによるのでギルバート・サリヴァン・オペラともいわれる一連の喜歌劇がいったいどんなふうにしてロンドンで始まったかという物語である」「連載が終って、切抜原稿に加筆訂正をしたり、単行本で新しく加える図版の劇場やサヴォイ・オペラの舞台で活躍した女優の写真を選んで、説明を附ける仕事をしていたのが、発病する年の夏の暑い盛りであった」「机のまわりに英語の本を積み上げて、辞書を引いたり演劇辞典を調べたりしながらの、馴れない仕事を一年以上続けて来た疲れが、そこへ来て出た」「それが私の発病入院と関係が無かったとはいえないかもしれない」と、庄野さんは綴っています。

また、「新潮五月号の随筆『童心』は、本当なら新年号に出る筈のものであった」「ところが、新年号は、文学界の短編と新潮の随筆二十枚とが重なって苦しくなった」「文学界の小説は何とか書き上げたが、読み直して手を入れないと渡せない」「新潮の方が詰まって来て、あと五、六枚書かないとまとまりがつかないというところで身体の具合が突然悪くなった」と、当時の様子を詳細に解説しています。

作品が発表されるまでの過程さえも、こうして小説の一部になってしまう、それが「庄野文学」ということなんでしょうね。

読書感想こらむ

「インド綿の服」は、庄野文学に共通する「家族」をテーマにした小説です。

もう少し正確に言うと、「小説」とも「日記」とも「随筆」とも区別することが難しい作品で、実際の暮らしを、そのまま作品の中へ持ち込む庄野さんのスタイルは、もはやジャンル分けすることが不可能なのかもしれません。

単なる日記と異なるのは、庄野さんは長女から届いた手紙を精緻に分析して、その中の本当に重要な部分を抜き出しながら、読者の共感を得ることができる解説を附け加えているということでしょう。

足柄山で暮らす長女一家の生活は、後の「クウネル」や「天然生活」などのライフスタイル雑誌に通じるようなスローライフで、こうした「丁寧な暮らし」ぶりもまた、庄野作品との相性が良いという要因のひとつになっているようです。

そして、相変わらず「楽しいことだけ」を見つめ続けた庄野さんの目は、生きることの素晴らしさをしっかりと伝えてくれています。

まとめ

足柄山で暮らす長女の夏子さんから届く手紙を解説した、ほのぼの家族小説。

普通の生活の中にも、意外とドラマはあるんだっていうことを教えてくれます。

著者紹介

庄野潤三(小説家)

1921年(大正10年)、大阪生まれ。

1955年(昭和30年)、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。

「インド綿の服」刊行時は67歳だった。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。