庄野潤三の世界

庄野潤三「星に願いを」夫婦晩年の楽しみを描くシリーズ最終章

庄野潤三「星に願いを」あらすじと感想と考察
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講談社
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庄野潤三「星に願いを」読了。

「星に願いを」は、庄野さん晩年の人気シリーズ「夫婦の晩年シリーズ」の最終作である。

あとがきに「『貝がらと海の音』(新潮社)に始まる夫婦の晩年をテーマにする小説のこれが十一作目になる」「子供が大きくなり、みな結婚して、「山の上」(と子供らは私たちののことを呼ぶ)のわが家に二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことをたのしみにして暮らしているかを描く小説である」とあるように、これは作家の晩年の日常を綴った連作シリーズだ。

本作を読んで気付くことは、小説の多くの部分を思い出を懐かしむ回想が占めているということだろう。

かつては「日記のような小説」という表現が似合うくらい、日々のあれこれが詳細に綴られていたが、最終作の「星に願いを」では「小説のような随筆」と表現したくなるほど、随筆的な作品に仕上がっている。

おそらく、庄野さんは「夫婦の晩年シリーズ」が本作で最後となることを知っていたのだろう、懐かしい人々の思い出が次から次へと登場してくる。

夜のハーモニカを始めたばかりの頃、ミサヲちゃんから「文子と春夫に一曲聞かせてやって下さい」と頼まれて「春の小川」を吹いたことや、まだ二歳のフーちゃんが「山の上」のわが家へ遊びに来ては、ぬいぐるみのクマさんとリリーちゃんを抱えて書斎で遊んでいたこと。

幼いフーチャンを思い出しながら、庄野さんは「次男一家が銀行ローンで買った読売ランド前の坂の上の二階家へ引越してからは、もうこんなふうにフーちゃんを「山の上」のわが家に迎えるたのしみがなくなり、滅多に顔を見られなくなって、さびしい」とつぶやいている。

ちなみに「星に願いを」という書名は、高校で吹奏楽部に入ったフーちゃんの演奏会で、ディズニー映画「ピノキオ」の主題曲「星に願いを」を聴いたことから名付けられた。

大阪へ墓参りにいったときには、子どもの頃によく乗った路面電車で帝塚山の兄英二の家へ向かうが、子どもの頃、母の支度を待ちかねた父は「先に行っとるよ。姫松で待ってる」と言って、先に飛び出すことが、よくあったという。

帝塚山学院長をしていた父は、顔見知りの保護者に出会うのが面倒なものだから、わざわざ一駅先の姫松まで行って母を待っていたのだろうと、庄野さんは回想している。

戦後、母が病の床に臥すようになったとき、庄野さんは小さい子どもを連れて大阪の母を見舞ったが、玄関へ出迎えに出て来た母に向かって、上の子は大きな声で「ただいま、けえりやした」と言ったという。

「これはそのころ東京練馬の石神井公園の麦畑のそばの家で子供が妻に読んで聞かせてもらっていた武井武雄の『赤ノッポ青ノッポ』という漫画の本に出て来る一場面であった」と、ここでも庄野さんは昔の回想に耽っている。

ひと際、思い出話が多いのは盟友の小沼丹。

ちょうど「小沼丹全集」の刊行に携わっていた時期ということもあるだろうが、小沼丹と楽しく過ごした日々の記憶は、次から次へと溢れ出してくるかのようだ。

その頃、新宿西口で待ち合わせて地下の小さなビアホールで、海老の串焼きを食べながら二人で生ビールを飲むことがよくあった。

「それが夏で、私たち一家が子供を泳がせるために出かけた外房から帰ったあとであったなら、私の一家が泊った浜べの宿屋のことなど話すと、小沼は、たのしそうに聞き入る」「この外房の海べの町は、よかった。遠浅の海で子供を泳がせるのには丁度いい」「この浜辺の町を引上げる日は、いつも町の食堂に入って、カツ丼をみんなで食べた」など、小沼と楽しく過ぎた日々の思い出は子どもたちが幼かった日の思い出へと連なっていく。

もしも、この小説が「二人きり残された夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことをたのしみにして暮らしているかを描く小説」であるとしたなら、この時期の庄野さんは懐旧の思い出の中で遊ぶことを何よりも楽しみにしていたのだろう。

だからかもしれないが「星に願いを」は本シリーズの中で、最もしみじみと味わうことのできる作品である。

ただし、この作品だけを読んでも、その感動を享受することは難しいかもしれない。

10年以上に渡って続いたシリーズ11作の、その最終章が本作だということを考えると、その理由は分かってもらえるだろうか。

『貝がらと海の音』から『星に願いを』まで

庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」は、1996年の『貝がらと海の音』から2006年の『星に願いを』まで、合計11作品を刊行している。

改めてシリーズ全作品を並べると、次のようになる。

①貝がらと海の音(1996)/②ピアノの音(1997)/③せきれい(1998)/④庭のつるばら(1999)/⑤鳥の水浴び(2000)/⑥山田さんの鈴虫(2001)/⑦うさぎのミミリー(2002)/⑧庭の小さなバラ(2003)/⑨メジロの来る庭(2004)/⑩けい子ちゃんのゆかた(2005)/⑪星に願いを(2006)

10年以上も続いていると、作品上の構成やリズム感も大きく変わっているので、似ているようで、それぞれ異なった味わいのある作品として読むことができる。

当時、若い女性を中心に「静かなブーム」と呼ばれて、重版を出した作品も多い。

庄野さんの小説は、時代を反映するものというよりも、人間としての生きる喜びを描いているものだから、時代を超えて楽しむことができるはずである。

書名:星に願いを
著者:庄野潤三
発行:2006/3/
出版社:講談社

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。