昭和36年(1961年)の「文学雑誌 第三十号」に、庄野潤三の「保険会社」という短い作品が掲載されている。
小説というよりも随筆の類だが、随筆集を含め、庄野さんの作品集には収録されていない。
この時期、庄野さんは各種雑誌で多くの随筆を書いており、作品集には入っていないものも相当数あるようだ。
「保険会社」は、ケニオン大学に留学していた当時のエピソードについて書かれたものである。
それは「ガンビアにいた時の日記を見ると、七月九日(昭和三十年)に私と妻はミノーと一緒にコロンバスへ出かけている」という一文から始まっている。
ミノーというのは、留学中に庄野夫妻が滞在していたガンビア村で近所に住んでいた政治学の講師で、ジューン(妻)とシリーン(長女・二歳)と一緒に暮らしていた。
ミノーは一年半の期限付きでケニオン・カレッジへ来ていたので、七月中に新しい就職先であるミゾーリ大学へ引っ越すことになっている。
庄野夫妻も一年間の留学生活を終えて、七月の末にガンビアを出発して、サンフランシスコ経由で日本へ帰ることになっていたから、留学中に仲良しになったこの二つの家族は、間もなく離れ離れになろうとしていた、ということになる。
日本へ帰国する際には「セイリング・パーミット」(収入証明書)が必要になるので、庄野さんはミノーと一緒にコロンバスにある保険会社まで出かけた。
ガンビアからコロンバスまで走る道は、他の車は一台も走っていなくて、ミノーは「自分のための道みたいだ。王様だ」などと言っている。
「ブルー・クロス」という小さな保険会社へ入ると、入口に近いところに、横山隆三の漫画に出て来る人物のように胸がとんがっている女性が座っていた。
ミノーが三十分以上もかかって用事を済ませている間、庄野さんは、この保険会社の様子を、静かに観察している。
奥のデスクに座っているのは、少し男ぶりのいい三十代の男性で、彼はずっと電話中で、胸のとんがっている女性が椅子を滑らせてやってきても、全然相手にいない。
ところが、反対側に座っている、ちょっと美人の、背の高い女性がやって来たとき、男性は立ち上がって、彼女の話を聞き始めた。
最後に、彼女は「立ち上がった男に話しかけながら、ひょいと手を伸して男の顎のところを逆さに撫でた」。
きっと、庄野さんは、美人の部下が、男性上司の顎を撫でた場面に惹かれていたのだろう。
庄野夫人が後で言うには、胸のとんがっている女性は、ドアのガラスに映っている二人の様子を見逃さずにいたそうである。
このエピソードは、後年に書かれたガンビア滞在の回想記『懐しきオハイオ』(1991年)にも登場しているが、女性の「胸がとんがっている」様子は書かれていない。
時代が変わったということなのかもしれない。
「文学雑誌」の同人だった庄野英二と庄野至
本書の巻末に「同人名簿」が掲載されている。
「庄野英二」と「庄野至」の名前はあるが「庄野潤三」の名前はない。
ちょっと意外だったのは、庄野さんの弟の至さんが、昭和36年に、このような同人雑誌に参加していたことで、どうやら庄野三兄弟は早くから文学活動にいそしんでいたらしい。
第三十号には庄野至の作品は掲載されていないが、庄野英二の「チラチャップの鳩笛」が掲載されている。
「チラチャップの鳩笛」は、戦時中にジャワに滞在していた時のエピソードを綴った随筆で、現地にあった俘虜収容所の様子が描かれている。
作品名:「文学雑誌(第三十号)」所収「保険会社」
著者:庄野潤三
発行:1961/11/20
出版社:文学雑誌発行所