日本文学の世界

椎名誠「岳物語」親子であり、友人同士でもあった、二人の男たち

椎名誠「岳物語」あらすじと感想と考察

彼の名は岳(がく)。椎名誠の息子である。

椎名誠よりもシーナ的といわれている。

これは、ショーネン・岳がまだ父親を見棄てていない頃のウツクシイ父と子の友情物語である。

著者初の私小説。

(以上、単行本の帯より)

書名:椎名誠
著者:岳物語
発行:1985/5/14
出版社:新潮社

作品紹介

本書は、「岳」少年の父親である椎名誠さんが、父親としての視点から息子の成長を綴った短編小説集です。

初出は「青春と読書」(集英社)198311月号から19854月号に掲載された短編小説で、単行本化の際に初めて「岳物語」のタイトルが付されました。

主人公は「シーナ家」の長男「岳」少年で、最初の作品「きんもくせい」では保育園だった岳少年が、最後の作品「二日間のプレゼント」では小学5年生になっているように、一連の作品の中で岳少年の成長が描かれています。

挿絵は「あやしい探検隊」仲間の沢野ひとしさん。

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あらすじ

舞台は東京都小平市の「シーナ家」。

物書きの「私」と保育園に勤める「妻」の息子である「岳少年」が、この物語の主人公です。

保育園時代の「岳」少年は、シングルマザーの母を持つ2人の兄弟と仲良しで、様々な珍事件を巻き起こしますが、彼らの「母」は「私」にとって妙に心に引っかかる存在でした。

小学校では「乱暴者」との指導を受けたり、友人宅では「窃盗」の疑いをかけられたりする一方で、バレンタインデーには3人の女の子からチョコレートをもらう人気ぶりを見せます。

ある年、「私」の友人「野田さん」の暮らす亀山湖で魚釣りを覚えた「岳」少年は、少しずつ父親の元を離れ始めていきますが、、、

なれそめ

かつて僕は、野田知佑さんというカヌーイストが綴るエッセイの大ファンでした。

都会暮らしだった僕は、野田さんの描くフィールドに憧れて、北海道の辺境の地みたいなところで一時期を過ごしたこともあるほどです。

そんな野田さんのエッセイの中に椎名誠さんの長男「岳少年」が登場しており、椎名さん本人が書いた「岳少年」の話があるということを知って、すぐにその「岳物語」を読んでみました。

だから、僕にとっては椎名さんよりも野田さんの描く岳少年と、先に出会っていたわけです。

本の壺

「岳物語」は父親の目線から綴られた少年の成長物語です。

父と子の友情

シーナ家の「私」と「岳少年」とは年齢が30歳も離れた親子ですが、二人の関係はまるで友人同士のように感じる場面があります。

自由闊達に育てたいという両親の教育方針のもとで、「岳少年」が元気に成長していく様子は、読者にさえ勇気を与えてくれているかのよう。

自宅ではプロレスごっこに励み、上級生にからかわれたと聞くや「どんどん殴っちゃえよ」とけしかける父親の姿は、時として粗暴にも感じられますが、こうした環境の中で「岳少年」は父親との信頼関係を深め、父と子の友情を深めていきます。

父親が本気だからこそ、子どもも本気で応えてくれる。

そんな当たり前の親子関係が、現代ではちょっとうらやましくさえ感じられるのです。「フジイたちが何か言ったらどんどん殴っちまえよな、岳、どんどんさあと私は刈り上がったばかりの岳の坊主頭にむかってまたもう一度さっきと同じことを、なぜかちょっと怒ったような口調で唐突に言った。「わかったよ」と、岳は少し間をおいて、ひくい声で言った。
(椎名誠「三十年」)

野田さんの存在

物語の後半から登場する「野田さん」は、都会の喧噪を離れて亀山湖で孤独な生活を送るエッセイストです。

長期休みを「野田さん」のもとで暮らしながら、岳少年は友人たちとともに自炊生活を学び、釣りを学び、男としての生き方を学んでいきます。

自分の知らないところで息子がぐんぐんと成長していく様子は、父親の視点からは頼もしくもあり、ちょっと寂しくもある。

そんな複雑な思いが感じられて、多くのお父さんには共感できる部分なのではないでしょうか。

注目すべきは「野田さん」が小学生の「岳少年」を子ども扱いすることなく、まるで一人前の男として扱っているような節があることです。

そして、そんな「野田さん」のもとで「岳少年」は、着実に大人の男性として成長していくのです。

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ロシアからの電話

どんなに仲良しの父子であっても、親離れの日は必ずやってきます。

そのことを理解しているからこそ、「私」は「私」から離れつつある「岳少年」の成長と、複雑な気持ちを持って向き合っているのでしょう。

子どもの成長を温かく見守るほのぼのとしたホームドラマとして始まった物語は、後半へと進むにつれて、父の子の微妙な関係を繊細なタッチで描く物語へと展開していきます。

象徴的なシーンは、シベリアへ長期旅行中の「私」が、東京にいる「岳少年」へと長距離電話をかける場面。

遠く離れていることに不安を感じた「私」は、「岳少年」としっかりと話をしたいのですが、辺境の地からの電話回線は非常に頼りなくて、「岳少年」の声はひどく遠い上に途切れがちなほどに不安定です。

結局、満足な話をすることもできず、電話回線は切断されてしまうのですが、この不安定な長距離電話が、このときの父と子の微妙な関係を示唆しているようにも感じられます

少なくとも、父親である「私」の中に、「岳少年」との交信が途切れてしまいそうな、漠然とした不安があったことは確かではないでしょうか。

実は、この作品を当初僕は「エッセイ」だとばかり思っていました。

椎名家の日常をおもしろおかしく紹介したホームエッセイみたいな。

けれど、この長距離電話の回線が不安定なシーンを読んだときに、初めて僕は、この作品が「小説」であることに気がつきました。

思春期の少年と父親との微妙な関係を暗示する、素晴らしい描写だと思います。

岳ののんびりした声がふいにまた大きくなった。しかしパチパチしゅるしゅるという電波の音も同時に大きくなり、岳の声はその音の向こうにあっけなくかき消されてしまった。わずかにかすかに岳の喋っているらしい「音」が聞こえた。私は息をつめ、岳の言っている「音」を聞き取ろうとした。(椎名誠「二日間のプレゼント」)

読書感想

「岳物語」は「続岳物語」まで続く人気シリーズですが、僕は最初の「岳物語」の、それも特に後半部分のお話が好きです。

「岳少年」が小学校高学年となって、野田さんと出会い、釣りを覚え、父親の元を少しずつ離れて始めたのかなと思える頃のエピソード。

まだ完全に父親離れをしたわけでもなく、低学年の頃のように父親べったりというわけでもないという、非常に微妙で不安定な父子関係は、少年の成長を最大限に感じさせてくれる瞬間だと思います。

椎名父子のような関係が、理想の父子像なのかどうか僕にも分かりませんが、子育てを終えた今、僕自身の子育てが「岳物語」になにがしかの影響を受けていたことは、確かなことだったと感じています。

もうひとつ、本書は父親目線で描かれた少年の成長物語ではありますが、実は、「岳少年」の成長を通して語られる「私」自身の成長物語でもあります。

父親としての「私」に注目しながら読んでいくことも、本書の楽しみ方のひとつだと思いました。

今となっては古い作品ではありますが、家庭教育を考える上で、普遍的な物語と言えるのではないでしょうか。

これから父親になるという方には、ぜひ読んでおいていただきたい、お勧めの作品です。

まとめ

父親目線で綴られた少年の成長物語。

それは、「少年」はどのような過程を経て「大人」へと成長していくのかということの、克明な記録でもある。

親子であり、友人同士でもあった、二人の男の物語。

著者紹介

椎名誠(作家)

1944年(昭和19年)、東京都生まれ。

代表作に「犬の系譜」ほか。

映画監督作品として「ガクの冒険」など。

「岳物語」出版時は39歳だった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。