庄野潤三の世界

福原麟太郎「庄野潤三氏と語る『日本の文壇と英文学—夏目漱石をめぐって』」

福原麟太郎「庄野潤三氏と語る『日本の文壇と英文学—夏目漱石をめぐって』」
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福原麟太郎の随筆集「夏目漱石」(荒竹出版、1973年)に、庄野潤三との対談が収録されている。

「夏目漱石」は、福原さんがいろいろなところで発表してきた、夏目漱石に関する随筆を一冊にまとめたもので、福原さんの漱石観を学ぶ上で、非常に有用な書籍となっている。

この随筆集の巻末に、福原さんと庄野さんとの対談が収録されている。

題名は「庄野潤三氏と語る『日本の文壇と英文学—夏目漱石をめぐって』」で、『英語青年』(昭和41年7月)と『文学的人生』(研究社、昭和45年3月)に掲載されたのが初出となっている。

非常にボリュームのある対談で、夏目漱石を通して英文学を語るという趣向も楽しいし、純粋に夏目漱石の魅力を探る一助にもなってくれる。

興味深いこととして、福原さんが、夏目漱石や英文学を語りつつ、庄野文学の本質にさりげなく触れていたりするところがある。

庄野さんなんかオーステンのほうに近いんだな、それじゃ。

(庄野)
オーステンは日常の当り前のものの中から深みのあるものを見つけ出してくる、そういう天才的なところがありますね。漱石自身はむしろ奇なるもののほうに興味を持つ人で、オーステンのやり方とは反対に普通のことでも少し大げさに言って、おもしろくしよう、それで自分も楽しみ、また読者にもサービスしようとするような気持があったんじゃないかという気がするところがありますね。
(福原)
そうですね、これはおもしろいですね。庄野さんなんかオーステンのほうに近いんだな、それじゃ。
(庄野)
オーステンのようにいま書きたいと思いますけれども、そのほうがやはり飽きがこないように思います。

「日常の当り前のものの中から深みのあるものを見つけ出してくる」と庄野さんが指摘したオーステンの手法について、福原さんが「庄野さんなんかオーステンのほうに近いんだな」と納得したところで、「オーステンのようにいま書きたいと思います」と庄野さんが返す。

「そのほうがやはり飽きがこないように思います」という庄野さんの言葉には、小説家としての自信が漲っているように感じられる。

昭和40年代というと、『絵合せ』『明夫と良二』『野鴨』『おもちゃ屋』といった一連の家族小説を、庄野さんがひたすら書き続けていた時期である。

「日常の当り前のものの中から深みのあるものを見つけ出してくる」小説を、庄野さんは日々実践していたのかもしれない。

それから、次のようなやり取りもあった。

だけど、庄野さんの読者が日本にたくさんいるというのは、これは不思議ですよね(笑)

(福原)
その大人の文学であるということが日本ではどうもはやらない理由になっているかしらと思うのです。それからもう一つは、イギリス的というものがあって、そのイギリス的なものが日本の大衆に合わないというのかなあ。
(庄野)
若い人を感心させるものならば…、実際それでもたいへんなことでしょうけれども、そうじゃなくて、もうずいぶんいろいろなことも経験してきた、そういう年の人が、これはおもしろいなあと読むのだと、やはりそのほうがわたしなんかはいいように思います。
(福原)
だけど、庄野さんの読者が日本にたくさんいるというのは、これは不思議ですよね(笑)
(庄野)
わたしはむしろ欠けているところがあるので…

「庄野さんの読者が日本にたくさんいるというのは、これは不思議ですよね(笑)」という福原さんの指摘が、とてもおもしろい。

日本ではイギリス的な大人の文学が流行らない、だけど、庄野潤三の読者は、日本にたくさんいる。

そこに、福原さんは、庄野文学の不思議な魅力を探ろうとしているように思えるが、庄野さんは「わたしはむしろ欠けているところがあるので…」と巧みにかわしてしまう。

テーマが夏目漱石でなければ、このまま庄野文学についての追求になっていたかもしれない。

もうひとつ、庄野文学について。

あれ、やはり庄野文学みたいなものですからね。

(庄野)
早稲田の英文科に小沼丹というわたしの友人ですけれども、時々、小説を書いている友人がいます。その小沼君が、イギリスでは、文学がわかるかどうかという一つの判定のあれに『ウェークフィールドの牧師』を読んでおもしろいと思うかどうか、おもしろいと言う人は文学を解する人で、おもしろくないという人は文学を解しない人だということになる、そういう話を小沼君から聞いたことがあるのです。『ウェークフィールドの牧師』というのはおもしろいですね。
(福原)
あれ、やはり庄野文学みたいなものですからね。

僕は『ウェークフィールドの牧師』というのを読んだことがない。

読んだことがないけれども、「あれ、やはり庄野文学みたいなものですからね」という福原さんの言葉を聞くと、その『ウェークフィールドの牧師』という小説を、ぜひ読んでみたいと思ってしまう。

考えてみると、最近の僕は、庄野さんと福原さんの作品に登場する本を、片っ端から読みまくっていて、この二人は、僕にとって読書の良き師匠みたいな存在となっている。

とりわけ、最近ではあまり読まれなくなった戦前戦後の名著名作は、庄野さんや福原さんの作品中で紹介されていたことで読み始めたものが少なくない。

『ウェークフィールドの牧師』という小説も、いずれ読んでみようと思う。

夏目漱石に関する対談なのに、漱石のことに触れるまでもなく、いつの間にか、話の流れが庄野文学にたどり着いてしまうところが、この対談の楽しさなのかもしれない。

書名:夏目漱石
著者:福原麟太郎
発行:1973/9/25
出版社:荒竹出版

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。