庄野潤三の世界

「誕生日のアップルパイ」1989年版ベスト・エッセイ集の表題作は庄野潤三作品

1989年版ベスト・エッセイ集「誕生日のアップルパイ」を読みました。

いろいろな人たちのエッセイを、一度にたくさん読むことができますよ。

書名:誕生日のアップルパイ
編者:日本エッセイスト・クラブ
発行:1989/8/1
出版社:文藝春秋

作品紹介

「誕生日のアップルパイ」は、日本エッセイスト・クラブによって編集されたエッセイ集です。

巻末には「この本のベスト・エッセイは、1988年中に発表されたエッセイを対象に、一般応募として寄せられた一千余篇、当社委員が目を通した定期刊行物掲載作品、合計二千五百余篇から百二十篇を候補作品とし、選考委員会の最終審査によって選ばれた六十篇である」「日本エッセイスト・クラブの選考委員は、扇谷正造、春日由三、十返千鶴子、土方正巳、村尾清一の五氏である」と説明があります。

あらすじ

「誕生日のアップルパイ」には、様々な業界の人たちのエッセイが60篇収録されていて、家の作品と一般の応募作品とが混在しています。

エッセイというジャンルだけが共通で、テーマや文体などは玉石混交。

いろいろなエッセイを読んでみたいという方のとっかかりとしては悪くないと思います。

【ファーストクラス】新米とは限らず(田中澄江)/逆算の感覚(黒井千次)/予知能力(高橋克彦)/エジプト国際陸上選手権(新井満)/河童の血筋(中野孝次)/儀礼の始まり(多田道太郎)/名物、父勘三郎の大怒り(中村勘九郎)/磯田光一納骨式挨拶(阿川弘之)/「自己改造」できますか?(山根基世)/電話の声(長部日出雄)/マンガを捨てカントを読もう(加藤芳郎)/趣味は歯磨き(佐野洋)/踵で触れる生活(大岡信)/小型機で翔ぶ世界の名峰(山田圭一)/ファースト・クラス(村松友視)///【気になるあの人】ことば(風間完)/五つ子の話(武弘道)/アイリッシュ・ハープの祟り(神津カンナ)/女子大生亡国論なんて古い古い(徳岡孝夫)/さらばカツラ人生(金井英一郎)/風来坊、海をプカプカ(加藤祐三)/二枚表札の家(神庭遊)/「笑い」や「事件」をシャレにする(畑山博史)/嬉しい奴(西丸興一)/中高年はつらいよ(木村義徳)/流木に刻む「思いやり」(相沢木城)/宇野重吉先生へ(真野響子)/八月の生きもの(今西和人)/気になるあの人(水野良太郎)///【「君が代」と「ラ・マルセイエーズ」】一人にこだわる(澤地久枝)/咲いた咲いた(小川貞二)/魔女志願(福田はるか)/ヨーロッパの動物園(林丈二)/魚の目(清水弘一)/酒場から喧嘩も人生論も消えた(赤塚不二夫)/病院通い(上田三四二)/美の基準(重兼芳子)/むかし大掃除というものがあった(関川夏央)/硝子の水槽の中の茉莉(森類)/パンダの子守唄(中川志郎)/金庫に入れてある一枚のメモ(諸井虔)/「君が代」と「ラ・マルセイエーズ」(倉田保雄)///【誕生日のアップルパイ】昭和・六十三年(沢村貞子)/慈父のように(山田稔)/変幻自在、雨戸は魔術師(近藤冨枝)/柿の薬(土本克巳)/人生の秋(小此木啓吾)/長寿食(岩川隆)/ある軍人の生涯(高横玄洋)/父の栄誉(高宮みか)/書斎はよごれもののかくし場所(井上章一)/越中褌五十年の効用(村上兵衛)/葬式はやりたくない(荒松雄)/村田兆治頌(川村二郎)/ぼくのスケーティングに就いて(北川冬彦)/後輩「ひさし君」(菅原文太)/うまい魚まずい魚(近藤啓太郎)/喜びも末広がり八八八八(秋山ちえ子)/誕生日のアップルパイ(庄野潤三)

なれそめ

随筆とかエッセイとかいうものが好きで、古本屋でもエッセイ関係の本をよく買います。

ブックオフで、1989年版のベスト・エッセイ集を見つけたときも、「1980年代」と「エッセイ集」というふたつのキーワードだけで、特に内容を確認することもなく、そのうち読むこともあるかもしれないくらいの軽い気持ちで、、この本を買って帰りました。

「誕生日のアップルパイ」という書名も、いかにもエッセイスト・クラブ的な感じで、エッセイ好きの一般人の投稿がたくさん収録されているんだろうなと思いながらも、この本は書棚で長く放置されていました。

2020年になって、庄野潤三さんの作品を読むようになった後、「誕生日のアップルパイ」というタイトルは、いかにも庄野さんの好きそうなタイトルだと思いましたが、庄野さんの作品を読むことに難しく、なかなかこの本を読む機会はやってきませんでした。

ある時、書棚の整理をしながら、何気なく手にした本書の目次を読むと、意外と著名な作家の作品がたくさん収録されていることに気がつきました。

さらに、表題となっている「誕生日のアップルパイ」という作品の作者を確認すると、それはなんと庄野潤三さんの作品でした。

庄野さんらしいタイトルどころか、まさに庄野さんの作品が収録されていて、ベストエッセイ集の表題にもなっていたなんて。

こうして僕は、庄野さんの書いた「誕生日のアップルパイ」をきっかけとして、その他のエッセイも読んでみることにしたのです。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、僕の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

万年新米と言うべく、粗忽、軽率、浅慮、という敷石の上を、跳び跳び歩いて来た

学生時代を知っている娘さんが結婚して十年たったのを、つい最近訪れると、娘さんそっくりの男の人がいる。ずい分年上の旦那さんだと思いながら、「やっぱり御夫婦は顔が似てくるんですねえ」と感心すると、「当り前ですよ、これは父です」(田中澄江「新米とは限らず」)

「オール読物」1988年5月号掲載。

劇作家の田中澄江さんのエッセイは、失敗続きの半生を顧みる内容のものですが、失敗談とは思えないくらいに明るくて爽やかで、彼女の失敗が幾多の場を和ませ、光を与えて来たのではないかと思われる内容となっています。

ごく短い読み物ですが、構成がしっかりとしていて、彼女自身を短時間に語るという意味で、非常に完成された作品になっていると思いました。

昭和の時代には、こういうサザエさん的な女性に人気があったのかもしれませんね。

本は読むよりまず買うべきだと、勤労愛書青年だったぼくは思う

今にして思えばかなり高のぞみの本を買っていた。本棚に並べておくだけでも豊かな気持ちになった。本は読むよりまず買うべきだと、勤労愛書青年だったぼくは思う。この本の文化は俺が買ったぞ、という、これもきどりのひとつかも知れない。(加藤芳郎「マンガを捨ててカントを読もう」)

「新潮45」1988年2月号掲載。

漫画家の加藤芳郎さんは、若かった頃から本が好きで、夜間中学に通う勤労少年ながら読書が好きで、美術関係の本を中心に、随分と蔵書を貯えていたようです。

「本棚に並べておくだけでも豊かな気持ちになった。本は読むよりまず買うべきだ」という言葉は、まさにそのとおりで、書棚に本を並べるところから読書は始まると、僕も考えています。

すぐに読むものではなくても、いつか読み頃がやってきたときに、それらの本は必ず自分のためになってくれるはずですから。

もっとも、加藤さんの蔵書は空襲被害ですべて燃えてしまったそうです。

空襲でどれだけたくさんの書籍が燃えてしまったかと思うと、本当に切ない気持ちになってしまいます。

足柄山の長女が私たち宛の手紙を書くのは一日の仕事が全部終ってほっとしたときで、家族はみんな寝静まっている

いつも足柄山の長女が私たち宛の手紙を書くのは一日の仕事が全部終ってほっとしたときで、家族はみんな寝静まっている。自分も一日飛びまわった疲れが出て、眠くて仕様がない。今にも目がふさがりそうになっている。おやすみなさいと書いてしまってから、なお最後の力を振りしぼって、何かひとこと面白がらせるようなことを書きとめようとする。(庄野潤三「誕生日のアップルパイ」)

「本」1988年1月号掲載。

40歳の誕生日を迎えた長女から届いた手紙を題材とするショートストーリー。

忙しい生活の中、アップルパイを焼いて、紅茶を飲みながら食べる様子から、長女の豊かな暮らしぶりを捉えた著者は、その手紙の中に、人の子の親としての幸せを感じています。

庄野文学にとって、足柄山に住む長女から届く手紙は、欠かすことのできない重要なマテリアルです。

その手紙を単に紹介するだけに留まらず、手紙を通して語られる長女の生活の中に、人間としての豊かさを見出そうとしているところに、庄野さんの作家としての繊細な感性が感じられます。

1988年に書かれた古い作品ですが、時代を超えて楽しむことができる普遍性が、このエッセイにはあります。

普遍性の中に、庄野さんは人としての豊かな暮らしを感じていたのかもしれませんね。

読書感想こらむ

最初のページから通読して、最後に庄野潤三さんのエッセイを読み終えたとき、正直に言ってホッとした気持ちになりました。

エッセイは短くて簡単だから誰にでも書くことができると思われるかもしれませんが、実際にはその逆です。

短くて簡単に見えるからこそ、エッセイは難しいものであり、優れた長編小説の書き手が、優れたエッセイを書けるというものでもない。

こういうエッセイ集を読むと、そういうエッセイの持つ難しさを、しみじみと感じてしまいます。

庄野さんの作品を読むことができるという意味においてお勧め。

まとめ

「誕生日のアップルパイ」は、1989年版のベスト・エッセイ集。

プロから素人まで玉石混交、小説家が必ずしも優れたエッセイの書き手とは限らない。

表題作「誕生日のアップルパイ」(庄野潤三)はお勧め。

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。