平田禿木「エッセイと随筆」読了。
昔の人は、エッセイと随筆の違いに、かなりのこだわりを持っていたらしい。
平田禿木は明治六年に生まれた人である。
「文学界」創刊に関わったときに20歳で、仲間の島崎藤村は21歳だった。
英文学に精通し、チャールズ・ラムの『エリア随筆』の翻訳も手がけた。
英国エッセイの本流を知る人である。
その平田禿木が昭和8年に書いたのが「エッセイと随筆」である。
「今こちらでいう「随筆」なるものは、エッセイ材料であって、エッセイそのものではないように思われる」。
禿木は、「日々」に掲載された森田草平の「犬に鼻を舐めさした話」を一例として採りあげて、エッセイと随筆との違いを論じている。
世間滔々たる他の随筆家に至っては、ただエッセイの材料を乱雑に、赤裸々に列べているだけで、そこに何らの含蓄もなく、何らも余韻もないのである。友と別れてもそれが友情の終りでないように、一篇を読み終ってもまだ何か読み了えた気のしないのが、真のエッセイの味でなければならない。(平田禿木「エッセイと随筆」)
平田禿木は、本場イギリスのエッセイの真髄を知っているからこそ、駄文雑文をエッセイと呼ぶような風潮に我慢がならなかったのだろう。
もっとも、禿木は本場イギリスの著名なエッセイストたちの作品にも駄作が多いことを厳しく指摘している。
ラムが一篇書くうちにビアボームは二篇書く、ビアボームが二篇書くうちに、ベロックは三百六十五篇書くと云った者があるが、それ程ではないにしても、今のエッセイストはとても多作である。そのうちには佳作も生れれば駄作も出来るわけである。(平田禿木「エッセイと随筆」)
令和の現代に、随筆とエッセイとの違いを論じることは、ほとんどなくなってしまった。
むしろ、日本語の「随筆」に言葉の重みがあって、カタカナの「エッセイ」には気軽で親しみやすい雰囲気がある。
「随筆」は難しそうだけれど、「エッセイ」なら誰でも書けるといった気軽さがある。
なるほど、こんな時代には、英国エッセイを愛した庄野さんだって、自分の作品を「エッセイ」と呼んで売りたくはなかっただろう。
平田禿木が「エッセイと随筆」を書いてから90年。
残念ながら、日本では「英国エッセイ」という文学は根づかなかったようである。
もっとも「エッセイ」という言葉にさえこだわらなければ、英国エッセイの真髄は、日本にもきちんと残されている。
庄野文学がまさしくそれで、庄野さんは日本文壇の中にいながら、英国エッセイの真髄ということを実現してきた人なのではないだろうか。
『平田禿木選集 第二巻(英文学エッセイ)』に収録
「エッセイと随筆」は『平田禿木選集 第二巻(英文学エッセイ)』に収録されているものを読んだ。
昨年の夏には、平田禿木という名前さえ知らなかった僕が、庄野潤三の作品を通して、この英文学者の古い随筆を愛読するようになった。
ちなみに「エッセイと随筆」は『英語青年』(昭和八年)が初出で、平田禿木の随筆集『炉に凭りて』に収録されている。
平田禿木の随筆集も集めたいと思うけれど、この一年間、庄野潤三の全著作を蒐集するのに、相当の苦労をした。
平田禿木の随筆集は、ほとんどが戦前の刊行になるから、今から収集するのはかなり難しいだろうな。
そもそも、その前に、福原麟太郎さんの随筆集を集めなければならない。
読書の道はどこまで行っても深くて抜け出せない沼の道である。
書名:平田禿木選集 第二巻(英文学エッセイ)
著者:平田禿木
発行:1982/3/30
出版社:南雲堂