児童文学の世界

井伏鱒二訳「ドリトル先生アフリカゆき」~庄野潤三も愛した冒険物語

井伏鱒二訳「ドリトル先生アフリカゆき」あらすじと感想と考察
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井伏鱒二訳「ドリトル先生アフリカゆき」読了。

庄野潤三の小説には、ヒュー・ロフティングの児童文学「ドリトル先生物語」シリーズが、よく登場する。

『さくらんぼジャム』で、孫娘フーちゃんの6才の誕生日に「ドリトル先生」をプレゼントするというエピソードがあって、以降、フーちゃんの成長にはドリトル先生がセットになっていたのではないだろうか。

庄野さんは(家族も含めて)、よほどドリトル先生シリーズが好きだったらしい。

庄野一家が読んでいたドリトル先生は、日本で最もよく知られている井伏鱒二が翻訳したシリーズで、その最初の作品が『ドリトル先生アフリカゆき』である。

原作のタイトルは『The Story of Doctor Dolittle(ドリトル先生の物語)』だったが、子どもたちに内容が伝わりやすいようにという配慮から「アフリカゆき」という言葉が付けられた。

原作の刊行は1920年(大正9年)、日本では児童文学者・石井桃子の勧めによって、井伏鱒二が翻訳に取り組み、1941年(昭和16年)に刊行された。

「ドリトル」は「Do little(ドゥ リトル)」で、石井桃子さんは「日本流にいえば「やぶ先生」になるかもしれない」と解説している。

戦後の1962年(昭和37年)、岩波書店が井伏鱒二の訳による『ドリトル先生物語全集』を刊行、庄野一家もこの全集を愛読したことが、『さくらんぼジャム』の中でも触れられている。

けんかはやめなさい! 人生はみじかいんだ。

「おい、こら!」ジップは、ほんとうに腹をたてました。「その鼻っ面へ、一つ、パクっとお見舞いするぞ! 先生がぼくらに、きさまをなぐらせないからといって、いい気になってると、大まちがいだぞ」「けんかは、やめなさい!」と、先生がいいました。「やめなさい! 人生はみじかいんだ。ジップや、いまいった、そういうにおいは、どの方角からくるのかね?」(ヒュー・ロフティング/井伏鱒二訳『ドリトル先生あふりかゆき』)

『ドリトル先生アフリカゆき』は、動物のお医者さんとなったドリトル先生と、その仲間である動物たちが、イギリスからアフリカまで出かけて帰って来る、冒険物語である。

動物たちは、いつも賑やかで、時には喧嘩だってある。

ジップ(犬)とガブガブ(ブタ)が争いが始めたとき、ドリトル先生は「人生はみじかいんだ」と言って喧嘩を止めるが、口喧嘩を仲裁するのに「人生はみじかいんだ」と壮大な話をするところが、いかにも吞気で、ドリトル先生らしくて楽しい。

「金なんてものは、やっかいきわまる」と、先生は口ぐせのようにいいました。

「金なんてものは、やっかいきわまる」と、先生は口ぐせのようにいいました。「あんなものが発明されなかったら、わしたちは、もっとらくに暮らせたろう。しあわせでありさえすれば、金なんか、なんだというのだ」(ヒュー・ロフティング/井伏鱒二訳『ドリトル先生あふりかゆき』)

動物専門のお医者さんになった後、ドリトル先生は収入を失って、生活にさえ困るようになる。

もっとも、困っているのは、ドリトル先生の面倒を見ている周りの動物たちで、ドリトル先生は「金なんてものは、やっかいきわまる」と言って、お金のことをちゃんと考えようとしたりしない。

「しあわせでありさえすれば、金なんか、なんだというのだ」という言葉に、ドリトル先生の生き方が、見事に言い表されている。

アフリカ旅行から戻ったドリトル先生は、お金持ちになって貯金箱を三つも買い、「金とは、まことにやっかいなものだ。だが、苦労しないですむのも、またいいことじゃ」と言ったところで物語は終わる。

ラストシーンが「めでたしめでたし」になっているところも、庄野さんのお気に入りとなった理由のひとつだろうか。

書名:ドリトル先生アフリカゆき
著者:ヒュー・ロフティング
訳者:井伏鱒二
発行:1961/9/18(1978/8/10改版)
出版社:岩波書店

ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。