村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」読了。
「ダンス・ダンス・ダンス」は説明の難しい小説だ。
ストーリーが何を伝えようとしているのか、読み返すたびに深読みをしてしまう。
“深読みをしたくなる小説”なのだ。
そういう意味で、一連のシリーズの「風の歌を聴け」とも「1973年のピンボール」とも「羊をめぐる冒険」とも違う小説であると考えることができる。
「風の歌を聴け」や「1973年のピンボール」や「羊をめぐる冒険」の頃は、小説の世界ももっとずっと単純だった(と感じた)。
それに比べて、「ダンス・ダンス・ダンス」は見えない仕掛けが何層にも渡って組み込まれている(ような気がする)。
物語としては明らかに「羊をめぐる冒険」の続編である。
「羊をめぐる冒険」の中で消えた女の子(「キキ」)を探して、物語の語り手である「僕」は、久しぶりに札幌にある「いるかホテル」を訪れるが、かつての「いるかホテル」は既になくて、現代的な「ドルフィン・ホテル」へと生まれ変わっていた。
この新しいドルフィン・ホテルで「僕」は「羊男」と再会して、死んだ親友「鼠」のことを思い出す。
物語の設定としては、完璧に「羊をめぐる冒険」から引き継がれているのだけれど、作品が与えるメッセージは過去の「鼠三部作」から遠く離れてしまったような気がする。
だからこそ「ダンス・ダンス・ダンス」は「鼠四部作」の作品となることがなかったのかもしれない(そもそも鼠が死んでしまっているという本質的な問題はあるが)。
今、言えることは、「ダンス・ダンス・ダンス」は成長をテーマに描かれた物語だろうということである。
もう少し詳しく言うと「成長に伴う喪失感」について書かれた小説だということだ。
人は生きていく中で、多くのものを失っていく。
繊細な感性、無目的な友情、理由のない反抗。
失い続けていくことが、成長することだと言っていい。
「ダンス・ダンス・ダンス」では、人が傷つきながら成長していく過程が、ファンタジーの舞台を借りて描かれている。
僕はもう一度あてもなく街をぐるりとまわり、それからアパートに戻った。アパートの部屋はひどくがらんとして見えた。やれやれ、と僕は思った。そしてベッドにごろんと横になって天井を眺めた。”こういうのには名前がつけられるぜ”、と僕は思った。“喪失感”、と僕は口に出して言ってみた。あまり感じの良い言葉ではなかった。(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)
物語の終盤で「僕」は「喪失感」という言葉を口にしているが、もちろん、これは始まりを示す言葉であって、すべてが終わったことを意味しているのではない。
古いものを捨て去る代わりに新しいものを身に着けて、人は成長を繰り返していくのだ。
生と死、光と影、こっちの世界とあっちの世界。
終わることが始まることへと繋がっていく様子を丁寧に描きつつ、物語はゆっくりと幕を閉じてゆき、すべてが終わったときに「僕」は、新しい一日が始まる言葉で物語を折り目正しく締めくくっている(「ユミヨシさん、朝だ」)。
何度も繰り返し読んで、毎回違った解釈を楽しみたい小説だ。
東京ディズニーランドが開園した「バブル前夜」の日本
「ダンス・ダンス・ダンス」は、1980年代的な特徴を備えた1980年代な小説である。
物語の中で東京ディズニーランドが開園しているから、時代設定は1983年(昭和58年)の3月から6月ということになる。
いわゆる「バブル前夜」の日本を、あくまでも”印象的”に捉えているので、1980年代前半の雰囲気を味わいたい気分の時にはぴったりである。
カタログ的な固有名詞が豊富に埋め込まれていて、「ダンス・ダンス・ダンス」の世界観を独自に再現して楽しむこともできる(ダンキン・ドーナツとかカルチャー・クラブとか)。
書名:ダンス・ダンス・ダンス
著者:村上春樹
発行:1991/12/15
出版社:講談社文庫