日本文学の世界

永井龍男「カレンダーの余白」教養と体験に培われた粋なエッセイ集

永井龍男「カレンダーの余白」教養と体験に培われた粋なエッセイ集

永井龍男さんのエッセイ集「カレンダーの余白」を読みました。

日常の隙間を見つけて優れたエッセイを読む、そんな時間が好きです。

書名:カレンダーの余白
著者:永井龍男
発行:1992/9/10
出版社:講談社文芸文庫

作品紹介

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講談社
¥453
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「カレンダーの余白」は、永井龍男さんのエッセイ集です。

単行本は、1965年(昭和40年)に講談社から刊行されています。

四季おりおりの自然、自己とその周囲、今と昔、生の哀しみ、日常生活の襞。生粋の都会人の冷徹な目と繊細な詩人の感性横溢する、簡潔化されたエッセイの世界。「鴉」、「天気予報」「桃の節句」「夜涼身辺」「歯のこと」「小唄」「酒について」「水のあと」ほか、短篇の名手永井龍男が多彩な題材で軽妙に描いた八十二篇の名文。(背表紙の紹介文)

あらすじ

「カレンダーの余白」には、合計82篇の短いエッセイが収録されています。

(目次)十月の時計/鴉/切るたのしみ/古錦/筆無精/天気予報/冷たい手/金銭のこと/芥川・直木賞の歳月/相撲のマス/ほんとの話/無理の極限///宿題/正月の酒/色紙のことなぞ/にわとりと牛/桃の節句/買物/ねむいということ/電車の中/ものの芽/男の眼で荒された美人が住んでいる/出前のこと/番茶の後/雨/あますぎる/ベーコンふたたび/気分ということ/道徳教育/バス代/縁台ばなし/砂糖は怖い/食後に味わう/舌ざわり/五家争鳴/マネキン/夜涼身辺/虫/街中の釣り/彼岸花のこと/塩原から蔦まで/百軒に三台/あたらしがり/銀座のキツネ/歳末雑感/焼きむすび/歯のこと///蚊/久米さんの頃/墓碑銘/大黒柱/一冊の本/「春の坂」/「雑誌記者」/「河鹿」/「逆杉」/便利ちょうほうなケンゾウ・ナイフ/永井龍男///わが小説/短篇小説と貯金/錯覚/日曜日/不惑のころ/雑誌の移り変わり/文字の積木あそび/置土産と憲法/江戸っ子に就いて/天才の出現/色鉛筆/化粧/小唄/名をあげた横須賀線///酒について/十年一昔/掘立小屋のこと/水のあと/「いびき」は「愛情」である/善意というもの/敬語と敬称/大判の絵本・オリンピック///人と作品(石原八束)/年譜(森本昭三郎)/著書目録

なれそめ

永井龍男さんは短篇小説の名手として知られています。

そして、そんな永井さんが綴る短いエッセイの数々には、永井さんが描く短篇小説の匂いが、しっかりと感じられるようです。

あるいは、こうした短いエッセイの延長線上に、永井さんの短篇小説があるのかもしれない。

そんなふうに考えているので、古本屋で永井さんのエッセイ集を見つけたときは、迷わず「買い」です。

目次なんかめくらなくたって面白いということが分かっている。

この本も、そうやって古本屋さんから連れて帰りました(950円でした)。

本の壺

心に残ったせりふ、気になったシーン、好きな登場人物など、本の「壺」だと感じた部分を、3つだけご紹介します。

誰も四十前後には、ひと揺れもふた揺れもするようである

不惑というのは、人間四十になっても、あれこれ心が迷うようでは駄目だぞということだろうと思うが、そういう教えがあるほど、誰も四十前後には、ひと揺れもふた揺れもするようである。(不惑のころ/昭和37年「文芸春秋」)

永井さんの40歳は昭和18年で、激しい戦争の中で迎える40歳というのは、平和な戦後日本で迎える40歳とは、なにか違うものがあったのかもしれません。

ただ、そういった社会的背景を抜きにしても、40歳になる頃に訪れる心の迷いを、永井さんは言いたかったのでしょうか。

「冷たい手」というエッセイの中でも、永井さんは「三十代から四十代に入る時は、いくらか負け惜しみめいた感慨があった」と綴っています。

二十代の頃から酒場通いをしていた永井さんは「そのころ四十代の客が女相手に飲んでいるのを見かけると、実にいやな気がした」「脂ぎったじいさんだと、反射的に不潔感に襲われた」と回想していますが、それは多くの若者が40代の男性へ感じている、ある種「畏敬」のようなものに対する裏返しだったのかもしれませんね。

ちなみに「四十代から五十代に踏み込んだ時は、なにげなく道を振返って、逆光にまぶしい思いをしたような処があった」「うかうかと峠までたどりついた自分の姿を、はじめて見たせいかもしれなかった」そうです。

もっとも、「しっかりした仕事を幾つかしている人」が「五十五にもなって、どうしても自信がつかめない。恥ずかしいことだ」と吐き出すように述懐したのを聞いて「私は総毛立つ思いをした」とありますから、人間はいくつになっても完成なんていうのもはない、ということなのかもしれませんね。

家というものは、借りて住むものだと信じていた

私は東京育ちの故か、ついこの間まで、家というものは、借りて住むものだと信じていた。東京育ちにもいろいろあって、一概には言えないが、私のように市井の片隅で生長した者には、自分の持ち家に住むということは思い及ばぬことであった。(掘立小屋のこと/昭和29年2月「新潮」)

これは、永井さんが自宅を持ったときのことを回想するお話で、「家は借りて住むものだと思っていた者が、親子四人の雨露を凌ぐ場所を、自分で作る覚悟をするまでには、なかなか暇もかかった」ということです。

自宅が完成した後も「まだ自分の家のような気のしないのは当然」で、「落ち着かない猫といっしょに、毎日家の中を、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして暮す」様子は、ちょっと微笑ましいと思いました。

それにしても、自宅を新築した話を紹介するのに「こんど、掘立小屋を建てた」というのは、いかにも江戸っ子らしい謙遜ですよね(タイトルも「掘立小屋のこと」)。

「家を建てるのは、小説を書くのに似ていた」という一文は、いかにも小説家らしいものですが、「構図が悪く、あいまいな処は、遠慮なく形になって出た」「このテーマで、もう一度書く機会があればと、あきらめるより他はない」などと反省を述べる点にもユーモアがあり、大人の余裕を感じさせてくれました。

作家には才能がなければならぬ

サマセット・モームが、「作家になる秘訣」として、いくつかの条件を挙げた後で、「もうすこしで、かんじんなことを言い忘れる処だった。作家には才能がなければならぬ」と、つけ足したそうである。かんじんなことは、まったくそれだけであろう。(わが小説/昭和36年「朝日新聞」)

サマセット・モームの「作家には才能がなければならない」という言葉を引き合いに出して、自分の作品について謙虚な姿勢を見せています。

別の「錯覚―文士になった理由」(昭和30年/新潮)というエッセイでも、永井さんは「終戦後再び職を失い、やむを得ず売文業に転じた」「小説をひさぐ業が文士というものならば、私も間違いなくその一人であるようだが、自分の書いているものが小説かどうかは、甚だ疑わしい」と綴っていて、「自分は作家だ」と大上段に構えることをしていません。

永井さんは文藝春秋社で編集者として20年間働いた経歴があり、本物の文士を数えきれないほど見てきたからこそ、小説家に対する特別な感情を持っていたのではないでしょうか。

「何冊か本を出したくらいで小説家などと名乗ることはおこがましい」という姿勢が、文学に対する厳しい思いを明らかにしています。

自称「作家」が乱立する現代社会を見たら、永井さんもきっと驚くかもしれませんね。

読書感想こらむ

「本の壺」で拾いきれないほど、永井さんの「カレンダーの余白」には読みどころがたくさんありました。

文芸春秋社で刊行した菊地寛全集第三巻の巻頭写真に、令嬢のナナ子さんに与えた色紙がある。「十を知りて一をも知らざるごとくせよ」(「色紙のことなぞ」)

これは昭和37年の熊本日日新聞に掲載された小コラムですが、ちょっとした小文にも、作者が持つ幅広い教養というものが感じられます。

永井さんの教養の引き出しは、とても数が多くて、さすがに文芸春秋で編集者を20年も務めた人はすごいと思います。

今回は紹介しきれていませんが、大好きだったお酒の話をはじめとして、日常生活の中で感じたちょっとしたエピソードの多くが、長い編集者時代に培われた知識や経験で肉付けられて、見事なエッセイとして生まれ替わっています。

真に教養のある人でなければ書けないエッセイばかりで、こういう教養のある人を「粋」っていうんだろうなあと思いました。

まとめ

永井龍男さんの「カレンダーの余白」は、幅広い話題を取り上げたエッセイ集です。

幅広く教養を身につけたいと考えている人にはお勧めです。

著者紹介

永井龍男(小説家)

1904年(明治37年)、東京生まれ。

文藝春秋社に入社後は「オール読物」「文藝春秋」編集長等を歴任、「芥川賞」や「直木賞」創設の際には、準備事務も担当した。

1965年「カレンダーの余白」を出版したのは61歳のときだった。

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ABOUT ME
やまはな文庫
元・進学塾講師(国語担当)。庄野潤三生誕100年を記念して、読書日記ブログを立ち上げました。いつか古本屋を開業する日のために、アンチトレンドな読書ライフを楽しんでいます。