庄野潤三「エイヴォンの川岸」読了。
本作「エイヴォンの川岸」は、長篇随筆「エイヴォン記」の連載第三回目の作品であり、「群像」1988年(昭和63年)10月号に発表された。
単行本では『エイヴォン記』(1989、講談社)に収録されている。
現在は、小学館 P+D BOOKS から刊行されているものを入手することが可能。
岩波文庫『トム・ブラウンの学校生活』は版元品切れで入手困難
長編随筆『エイヴォン記』の作品名には、二つの意味が込められている。
ひとつは、近所の清水さんからもらった「エイヴォン」という赤い薔薇の名前。
もうひとつは、イギリスにある「エイヴォン川」という川の名前。
庄野さんが、この連載随筆を書こうとしていたときに、清水さんから赤い薔薇をもらった。
名前を訊くと「エイヴォン」だという。
妻から、その名前を聞いた庄野さんは「エイヴォンというのは、イギリスの田舎を流れている川の名前だ」と喜ぶ。
その川は、庄野さんの好きなイギリス文学『トム・ブラウンの学校生活』の中に登場する川の名前だったのだ。
もっとも、「エイヴォンという名を耳にして、先ず最初に思い浮べるべきものは、シェイクスピアの生れたストラッド・アポン・エイヴォン、あるいはストラットフォード・オン・エイヴォンであるかもしれない」と、本作「エイヴォンの川岸」の中で、庄野さんは綴っている。
庄野さんにとっては、シェイクスピアよりも、妻にも一読を勧めたことがあったくらいに、『トム・ブラウンの学校生活』の方が親しみが深かったのだ。
「エイヴォン川」のエピソードは、『トム・ブラウンの学校生活』(岩波文庫・トマス・ヒューズ作・前川俊一訳)の上巻の終わり近く「第九章 数々の事件」に出てくる。
岩波文庫の『トム・ブラウンの学校生活』は、既に版元品切れで入手困難な文庫本である。
中古市場でもあまり見かけないような気がする。
たまに新刊書店で見つけて喜ぶと、下巻だけだったりする。
結局、比較的状態の良い古本を買ってきて読んでいるけれど、こういう良書は、もう少し手に入りやすいようにしてほしい。
岩波少年文庫にでも入ってくれるとうれしいのだけれど。
妻は「昨日はフーちゃん、荒れましたね」といった。
「エイヴォンの川岸」は、冒頭『トム・ブラウンの学校生活』の概要から始まって、途中で二歳の孫娘フーちゃん(文子)の行状報告を挿んで、最後に再び『トム・ブラウンの学校生活』の紹介をして終わる。
『トム・ブラウンの学校生活』の紹介は、もちろん楽しいのだけれど、途中でフーちゃんのエピソードが入ることで、躍動感のある、生き生きとした随筆になっている。
次の日、昼前のいつもの散歩の時間に、道を歩き出しながら、妻は、「昨日はフーちゃん、荒れましたね」といった。今まで一度もそんなことは無かったから、驚いた。帰りかけて、途中から引返して来るというようなことは無かった。殆ど物をいわない、口に出して何やかやしゃべるということをしない子だから、さっぱり訳が分らない。(庄野潤三「エイヴォンの川岸」)
間もなく二歳を迎えようという頃のフーちゃんは「殆ど物をいわない、口に出して何やかやしゃべるということをしない子」だった。
突然大きな声で泣き始めても、その理由が大人には分からない。
戸惑いと愛情がひとくるみになって描かれている。
フーちゃんの二歳の誕生日に、妻は猫の絵本を買った。
フーちゃんが特別に猫を好きだというわけではない。
庄野さんの家へ遊びに来たとき、フーちゃんは『ちさとじいたん』(佑学社、阪田寛夫・織茂恭子)を好んで読んだ。
その中の猫が出てくるページを、フーちゃんはとりわけお気に入りだったのだ。
『トム・ブラウンの学校生活』とフーちゃんが、どこか遠いところで共鳴し合っているような、そんな穏やかなエッセイである。
書名:エイヴォン記
著者:庄野潤三
発行:2020/2/18
出版社:小学館 P+D BOOKS