読書感想文

饗庭孝男「想像力の風景」~庄野潤三の「生の懐しさ」を読み解く

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饗庭孝男「想像力の風景」読了。

饗庭孝男(あえばたかお)は、1930年生まれの文芸評論家で、2017年に亡くなっている(87歳だった)。

本書「想像力の風景」について、著者はあとがきの中で「ここに収録したものは、この三年間のうち、現代の小説と詩について書いた評論である」と綴っている。

冒頭の作品が「庄野潤三 生の懐しさ」である。

この評論は「庄野潤三の作品を読んでいると、私は、何か、はるかな「かなしみ」、あるいははるかな「喜び」といったものを感じるのである」という一文で始まっている。

この「はるかな」という言葉の感情が、どこから来るのかと考えたとき、著者は『つむぎ唄』の一節を思い出す。

それは「われわれの毎日の暮しというものも、生活している当人にとっては、いやなことや情ないことや腹の立つことばかりで詰っているように思えるけれども、もう二度とそこで生きることが無くなって、はるか遠くから眺めるようになれば、こんな風にごく穏やかな、いい色をして見えるかも知れないな」というものだった。

また、著者は、昭和24年に夕刊新大阪に掲載された「そういう切なさが作品の底を音を立てて流れているので読み終ったあとの読者の胸に(生きていることは、やっぱり懐かしいことだな!)という感動を与える—そのような小説を、僕は書きたい」という一文を紹介している。

この「はるかな」気持ちと「懐かしいこと」という言葉によって、庄野文学の意味を解き明かそうとしているのが、今回の庄野文学論の骨子である。

次に著者は『ガンビア滞在記』から「考えてみると私たちはみなこの世に滞在しているわけである。自分の書くものも願わくばいつも滞在記のようなものでありたい」という文章を引っ張りながら、「平凡な事実をさりげなく、しかし痛切にとらえるのである」「氏にとって文学とは、いじらしい生の営みに対する切ない鎮魂の行為である」と読み解いている。

その後、著者の主張は、庄野さんの師である詩人・伊東静雄の作品との比較へと展開していく。

著者は「庄野潤三氏が伊東静雄と青春の時期に出会ったことは、ある意味で氏のなかの感性の方向とでも言うべきものを決めたと言うことができよう」と書きながら、そのことを明確にあらわしている作品が『前途』であると指摘している。

そして、「氏は自己の書くべき小説に思いをはせているが、そこで氏は、小説に主人公は学生であっても、一人ではなく、何人かの友人を中心とし、めいめいの家族のこと、国のことも入れなければならない、のべている」としながら、「私は、往々にして青春に書かれる小説が学生や青年の主情的な心を中心としているものであるのに反して、とりわけ氏が家族のことをその意識のなかにふくんでいることを興味ぶかく思うのである」と、庄野さんの持つ家族に対する視点へと注目してみせる。

『静物』から『鳥』『夕べの雲』をへて『絵合せ』にいたる、家庭をえがいた小説の根底に流れているものとは、「その見えない手の働きを信ずるのではなくて、そうした仮構を人間のいじらしい生の営みの切なさが必要とすること、それを信ずることによって宿命をこえることを謙虚に考えているにすぎない」ということだだというのが、著者の考えだ。

このほか『愛撫』や『プールサイド小景』『夕べの雲』といった代表作も登場して、著者は実に俯瞰的に、そして庄野文学の根底を流れる本質を探ろうとしている。

書名:想像力の風景—現代の小説と詩
著者:饗庭孝男
発行:1976/9/10
出版社:泰流社

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じゅん
庄野潤三生誕100年を記念して、読書ブログを立ち上げました。村上春樹さんと庄野潤三さんの作品をゆるゆる楽しんでいます。